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楽園のユダ

 夜になってもやまない雨は少女の言ったとおりだった。


 一度降り出した雨は次の日までやまない、みたいな法則というか、俗習的予報でもあるんだろうか。ならあの子は雨宿りしても意味ないんじゃないか、と思ってみるけど今さらだ。


 帰ってからというもの、深月の表情は浮かない。外を眺める姿から、憂鬱の理由を雨に見出すけれど、深月が天気一つで落ち込むような脆さを持たないことも知っている。前向きな深月は雨なら雨の楽しみを見つける。

 さりげなく夕食の準備にとりかかっても、深月は手伝いにくる気配がない。

 そこは察して促さない。むしろ「俺に作らせろ!」とおどけて牽制する気概で。


「明日はどこ行こうか?」

 深月の野菜炒めは減りが遅い。

「雨やんだら海に行ってみないか。海、泳げんのかなー」

 わざとらしいほど能天気に振る舞うものの、「ふう」とため息を返される。

「そーちゃんは楽しそうだね」

 なんだか俺が馬鹿みたいじゃないか。

「深月は元気がないな」

「ちょっとね……」

「帰りたいのか?」

 深月は首を少し、傾げる。

 判断に困る意思表示。

「さっきの子見てたら思い出しちゃって……」

 と言われ、ようやく浅月を思い出した俺は世話がない。


 牛乳少女は十二歳の浅月を想起させるに十分な背格好だった。

 浅月を思い出してやれなかった自分が遺憾ではあるけれど、それはそもそも思い上がりなのかもしれない。深月と浅月を繋ぐ絆の強さ。人生のあらゆる不幸を一緒に乗り越えてきた姉妹と同等の絆の強さを、なぜ自分が持っていないのかと考えるのは思い上がりだ。


「浅月どうしてるかな……」

 深月の呟きで、浅月の姿を思い出す。

 深月が神隠しにあったあの日、悲しさ、悔しさ、寂しさ、混じり合った感情に戸惑い、ぽろぽろ涙を落とす浅月の姿を思い出す。あのときは同じ感情を共有して慰めあえる俺がいたけれど、今の浅月は誰と慰めあっているのだろうか。


「浅月もこっちに来れたらいいのにな」


 浅月のところに戻らなきゃ――じゃないのが不思議だ。


 ――地下に連れてこられたからって、地上に帰らなきゃいけないってことはない。


 矢夜也が言っていた意味を理解しつつある。

「そーちゃん、それは違くない?」

 深月は理解しつつなかった。

「わたしは浅月に来てほしくない。それって神隠しの被害者になるってことでしょ? 浅月には被害者になってほしくない」 

「でもさ、神隠しに遭った俺たちは本当に被害者なのかな? ここの生活見てると、楽園に選ばれた、っていう表現は大袈裟でもない気がする」

「そーちゃんはここにずっといるつもり?」


 少し、考える。


「悪くはない」

 ここがもし悪夢のような場所なら受け入れられないが、少なくとも良い夢の類だと思える。

 さらに言ってしまえば、つまらない未来しか見えない現実よりもよっぽど良い場所だと思える。

「深月は?」

「……ねえ、そーちゃんには夢ってある?」

「ない」

 俺は胸を張る。人生には夢も希望もないのだ。

 強いて言えば、ここで暮らしてみたいというのが夢になりつつある。

 ここには学校もなければ、施設育ちに向けられる蔑みもない。

 孤児だからと向けれるわざとらしい優しさにうんざりすることもない。


 見ると深月はがっかりした顔で、少し引きさえしていた。

「わたしの夢は浅月と一緒に暮らすこと。だからわたしは帰りたい」

 夢を叶えられないこの場所は、深月にとって楽園になり得ないのだろう。

「わたし、帰る方法を探す」

「探すって……どうやって」

「聞き込みとかしてみる。わたしやっぱりあの迷宮が気になるの。上まで行けば出られるんじゃないかって、考えた人がいると思うの」


「――そう、もちろん考えた人間はいるのさ」


 うつむきがちだった顔をお互い見合わせる。

「今そーちゃん言った?」

「違う」

「こっちさ」

 声の方向には窓。少し開いた窓から顔が覗いていた。

 ひっ、と深月の悲鳴。

 俺は椅子から転げ落ちそうになるのを耐えて、ぐいぐい窓に歩み寄る。

 沸きあがる不審者の恐怖に耐える。


「驚くことはないよ。僕は真実を教えに――」


 何事かを語る顔を無視して、窓をばちんと閉め、鍵をがっちと閉め、カーテンをしゃっと閉め、手早く済ませて息をつく。ああ恐かった。

「今のって……湯田さんだよね」

 深月に頷く。

 このまま放っておけば帰るだろうか。自警団のひとはどうやって呼べばいいのだろうか。


 ――どん!


 深月の身体が跳ね上がる。今度は玄関のドアが叩かれた。


「開けたまえ! ほんのわずか開けたまえ!」


 どんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどん。


 ――やべえ奴。あいつやべえ奴だ。


「あ、開いた」

 ドアがすんなり開いて唖然とする。

「おじゃまするよ」

 しれっと侵入されて戦慄が走る。


 無施錠の我が家のセキュリティの甘さもさることながら、当然の権利とばかりに上がり込む湯田の積極性に驚く。近年大胆になってゆくストーカー犯罪。

 慄然として動けない俺たちをよそに、湯田は勝手に椅子に腰かけた。

「まあ、わずかばかり聞きたまえ」

「深月。剣だ、剣もってこい」

「うん」

 表札が掛かった家に入ってはいけない。

 大胆手口のストーカーが大胆すぎたあまりに墓穴を掘る勧善懲悪があってもいい、と考える。あるべきだ。

「ちょちょ、武器はやめたまえ」湯田は狼狽する。

「ぼくは暴力は嫌いだし、君たちにそれをわずかも振るうつもりはない。矢夜也から聞いてないかい? 湯田は哲学者に過ぎないと」


 ――あいつはただの懐疑主義者だから。


 矢夜也の言葉を思い出す。相手にしなければ問題ない、とも言っていた。

「まあ戯れ言だと思ってわずかに聞いてくれたまえ。信じるか信じないかは自由だ。だがそちらのお嬢さんの疑問に一石を投じる意気込みは持っている」

 剣を取りに行こうとした深月の足が止まる。

「疑問って……迷宮のことですか?」

「そう。迷宮のことでもあり、わずかにこの街のことでもある。君たちだって地下76階――と思われる場所に、なんでこんなテーマパークじみた街があるのか、わずかばかり不思議に思っただろう」


 したり顔に苛立つ。

 やっと呑み込んだ謎を蒸し返された。


「そもそも神隠しだ。あれが誰の手によって行われているのか。こんな世界のどこにあるかもわからないテーマパークじみた街に、人を集めて得をするのはいったい誰なのか。わずかばかり考える必要がある」


 誰が得をする?


「みんな幸せそうに見えるけど……」

 今日一日出会った人の中に、被害者の表情かおは見つけられなかった。

 むしろ笑顔に満ちていた。

「君はそういうだろう。君はいわば洗脳済みなのさ。だがそちらのお嬢さんは違う」

 湯田に指された深月がうつむく。

「君たちのやりとりを聞いていたが、ここで平和に暮らしたいならお嬢さんの考えは危険だよ」

「わたしの考え……って?」不安げな深月の声。

「この街からの脱出を考えることだよ。ここから出ようなんて考えはわずかでも捨てることだ」

「どうして?」

「ここの存在がばれたら困る連中がよく思わないからだよ」

「だから、それは誰?」

「それは言えないな。ぼくができるのは忠告だけ。ぼくも求められた以上にでしゃばるわけにはいかないんだ」

 湯田は肩をすくめる。

「ただわずかに言えるとしたら、超自然現象で人を惹きつけるのは宗教の常套手段だということさ」

「言ってることが良くわからない」

「キリストは水をワインに変えたし、触れただけで病を癒した。その奇跡を目の当たりにした人間は当然信者になった。奇跡を披露して神の存在を信じさせるのは、宗教古来の勧誘方法やりかただということだよ。もっとも近ごろの悪徳宗教は、単なる科学現象を奇跡に見立てるらしいけどね」


 ある宗教団体が信者を勧誘する際に、ヨガを利用した神秘体験を見せていた話は聞いたことがある。教祖さまのオーラの力で病気が治った、なんていうのも良く聞く話だ。

 並列で語ってはいけないが、キリストが触れただけで病を治した現象は、プラシーボ効果で説明できないことがないらしい。御神に触れていただいたという思い込みで、ある種のストレスが解消し、身体の自然治癒力が高まるのだ。信じる者は救われる。だから水だって信じて飲めばワインになるのかもしれない。んな馬鹿な。


「まあ、もし、だよ」湯田が声を潜める。

「聡明な君たちが、この街にわずかではない疑問を持ってしまい、逃げ出したいと考えたならば――まず、僕に相談してみるべきだとは思うね」

「アンタに相談したらどうなるって言うんだ」

「どうなるのだろうね」


「できれば相談しないことが、君たちにとっては望ましいのだけど」

 そんな捨て台詞を残して湯田は去っていった。


 ――あいつは結局何がしたかったんだ。


 ずっと家を監視してまで。

 ここの存在がばれたら困る連中――とかいうフレーズは気になるけれど、俺自身ここが誰にも見つからないといいなと思いつつあるし、そもそも全てが湯田の妄言にすぎないのかもしれない。ユダ。裏切り者の湯田。


 思い出すのは矢夜也の言葉。


『もしあの男が何か言ってきても相手にしちゃ駄目』

『まあ話を聞いたところで、相手にするのが馬鹿らしくなると思うけど』


 相手にするのが馬鹿らしいと思えているから俺は大丈夫だ、と確信を持つ一方、ずっと心ここにあらずの深月が気にかかる。

「あんな奴の言うこと真に受けるなよ」

「うん。……わたし今日はもう休むね」

 深月は自分の部屋に下がってしまう。


 風呂に入り、ベッドに倒れ、今後について考える。

 

 ――俺はここにいたい。


 ――深月は浅月のために帰りたい。


 俺は深月がいなければここにいても仕方がない――気がする。

 俺の「ここにいたい」は、深月がここにいる前提に成り立っている――気がする。

 ならば俺も深月と浅月のために帰ろうとすべきなのだろうか、と考えて、「ここから出ようなんて考えはわずかでも捨てることだ」という、湯田の言葉を少し気にしてしまう。


 ――76階を上った先にはいったい何があるんだろうか。


 ふと、気配を感じて窓を見る。

 過敏になるのは、明らかに湯田のせいだった。

 そう思いながらも、カーテンはきちんと閉めて、牛乳を飲んで寝る。

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