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地下77階、真の最深層

 互いにとぼけ抜いた夜が更け、玄関のドアが閉まる音に起きてみると、二人は雑魚寝しているはずのリビングから姿を消していた。


 二人が一途を助けに行ったのは明らかだった。

 そして俺が一途を助けに行きたいのも明らかだった。


 なのになぜ俺は行けないのか。


 俺には二人のような覚悟がない。

 二人のような責任もない。

 俺が行けば絶対一途が助かるという保証があるのならば、俺は動くべきだ。

 だが現実は真逆で、俺が行っても絶対一途は助からないのだから、俺はとどまるべきだった。


 ――俺には守るべき深月がいる。


 もし俺に何かあったら、一人残された深月はどうなる?

 可哀想な深月。

 深月の部屋の果物は、夜になっても減ることがなかった。

 深月は今日一日何も食べることなく眠り続けている。


 ――深月を守りたいから、一途を助けにはいけない。

 その言葉をはたから見れば、よほど言い訳じみて映るに違いなかった。

 けれど俺はその謗りを受けてでも、深月を守らなければならなかった。

 その謗りに耐えることが深月を守るということならば、俺は耐えなければならなかった。


 部屋の窓から外を眺める。

 思わず教会の方向を見た。

 教会がある辺りの空に、何も変化はない。

 けれどあの空の下には、闇に紛れて足音を忍ばせる二人がいる。

 死を覚悟して鼓動を高鳴らせる二人が、あそこには確実にいる。

 あるいはもう全て終わってしまったのかもしれない。


 昏い空は、眼下での出来事を何も教えてくれなかった。


 ――俺は、今後どうすべきなのか。


 考えるほど、ある光景が俺の考えるべき今後を遮った。

 二日後の光景。

 俺の今後はそれを避けては通れなかった。


 ――二日後、一途は広場で炎に焼かれる。


 その光景を、俺が実際に見ることはない。耐えられないとわかっているから見ない。遠くに立ち上る煙を見ただけでも、俺はきっと堪らない気持ちになるだろう。


 その日その時間、俺はいったいどうやって過ごすべきなのか。

 耳を塞ぎ、目を逸らし、離れた海で釣りでも楽しんでいるべきなのか。


 無理だ。


 どこで何をしていても、俺は気にするだろう。

 広場の方角と、立ち上る煙を気にしてしまうだろう。


 様子を見に行くだけだ、と俺は自分に言い聞かせる。

 言いながらも、クローゼットから剣と耐刃ジャケットを取り出す自分の行動が理解できない。

 理解できているのは、このまま眠るわけにはいかない、ということだった。

このまま二日後を迎えるわけにはいかない、ということだった。


 玄関のドアをそっと閉め、鍵をかけ、俺は広場に走る。

 広場に近づくに連れ、速度を落とし、自分の気配を隠す。


 深夜の広場に人の姿はない。

 一人で胸を騒がせる俺をあざ笑うかのような静けさがある。

 変だ、と思う。

 夜も広場を封鎖していているはずの自警団がいない。


 ――一途は?


 背後の教会の灯りに照らされ、石柱が見えた。一途の姿はない。一途がいないから警備もいない。

 すでに何かが起こっているのは明白だった。

 でなければ、この深夜に教会が煌々としているはずがなかった。

 警備がいない緩さが、俺の好奇心を煽る。

 もし見つかっても言い訳が通るだろう。眠れなくて散歩していた。教会の電気がついていた。こんな深夜に、と不思議に思って来てみた。ごく自然な行動だ。問題ない。俺と矢夜也たちの関係は誰も知らない。


 俺は警戒しながら、恐る恐る教会の扉を開く。


 ――誰もいない。


 人の気配がなく照明だけが灯る教会は、奇妙な寂しさがあった。

 教会の抜け殻だけを残して、皆消されてしまったみたいだった。


(何が起こっているんだ?)


 一途はどこに連れて行かれた? 矢夜也と湯田はどうなった?


 わからない。


 祭壇を見上げるが、救いは下りてこない。

 ふと、祭壇脇の壁画が視界に入った。救いが下りたのかもしれない。


 いつか、一途がここに消えて行くのを見たことがあった。


 絵を押すと、どんでん返しのように開いて、ぱかっと空間が現れる。


 中は居住空間らしかった。

 赤絨毯の通路が真っ直ぐ伸びて、両脇に数部屋並んでいる。

 突き当たりには下りの階段がある。

 部屋が二つ、めちゃくちゃに荒らされていた。一つは一途の部屋だろう。もう一つは矢夜也の部屋なのかもしれない。台所とリビングは散らかってはいるものの、生活の臭いを感じる。青十字が休憩かなにかに使っているようだった。


 ――誰もいない。


 突き当たりの階段は、地下の暗闇にぽっかり口を開けていた。

 先が見えない暗さなら、諦めようと思う。

 何か障害があれば、帰ろうと思う。


 けれど、階段を下りた先の鉄格子は、鍵が開きっぱなしになっていて、地下には暗くない程度のライトが灯っていた。

 俺に引き返すきっかけは与えられない。


そしてこの光景。


 見覚えのある石壁。


 適度な間隔に灯るランタン型ライト。


 迷宮だった。


 迷宮の光景と同じだった。


「地下77階?」

 と、意味なく口にして、俺は地下76階という数字に疑問が浮かぶ。

 どうして迷宮の最深層が、そんな中途半端な階数だったのか。

 66階の街、55階の街、とゾロ目の街が続くのに、どうして始まりは76階の街だったのか。


 76階は最深層じゃない。地下77階に続く階段がここにあった。


 ――じゃあ77階にはいったい何がある? 


 人の気配はない。モンスターの気配もない。


 罠はあるのだろうか。


 今は探索している場合じゃないし、道に迷うわけにもいかない。俺は左右に現れる枝道を無視して、ひたすら直進する。遠くに見える、小さな光の四角形だけが気になっている。


 四角は徐々に幅を広げていく。それは黄泉の国の出口のように、遠くで俺を待ち受けている。


 足が速まる。本能的に振り返る。誰もいない。俺はようやくその光を掴む。


 俺はバルコニーに立っていた。


 観客席じみた素っ気のないバルコニー。正面に舞台はない。あるのは巨大な扉。大きいなんてもんじゃない扉。遠近感が狂うくらいに大きくて黒い。そこだけ漆黒の穴が広がっているんじゃないかと、錯覚するくらいに黒い。


 四方を囲む壁にはステンドグラスがある。

 ステンドグラスには様々な場面が表現されていた。

 ヤハウェによる天地創造。大洪水とノアの箱船。黒い翼の夜の卵から孵るエーロス神。混沌の暗黒を照らす太陽神ラー。アフラマズダによる善の創生。『リグ=ヴェーダ』プルシャの死体から派生する様々な命。大地を支える象と亀と龍。世界樹の上に根付く世界。ビッグバンにより弾ける宇宙。猿が徐々に立ち上がる進化論。


 天の浮橋に立つイザナギとイザナミもいる。

 他にもたくさんあって、何がモチーフなのかはわからない。

 ただ全てが、創造される世界をテーマにしているらしかった。


 あっけに取られてしまい、眼下の人影にようやく気づく。

 階下の遠く中央、幾何学模様が施された円の中央に、十人ほどの人だかりができていた。

 中心には台座がある。取り囲んでいるのは青十字だ。


 台座の上には一途がいる。

 一途はもう覚悟を決めたように動かない。

 青十字たちはそれを舌なめずりで見定めていた。

 その一途を見せつけられる格好で、矢夜也が拘束されている。もう抵抗する気力もないといった風に、床に転がったまま体を震わせている。傍らの湯田は拘束されてはいなかった。でもあれじゃもう動けない。躰をつるぎで貫かれていた。


「あんた誰だ?」

 後ろの声に振り返る。


 青十字がいた。

カジュアルな皮の鎧を纏った男は、同じ年頃の男に見えた。


「誰か――」


 やばい、と思った。


 声を出される。仲間を呼ばれてしまう。


「……!?」


 男は口をぱくぱくさせている。何か怒鳴ったつもりらしいが、激しい表情と口の動きの反面、声は出ていない。突然声が出なくなったらしいのは、降って沸いた幸運としかいえない。でも何か以前も似たようなことがあった気がする。


 次の瞬間、男は剣を抜いた。


 待て、俺には持ってきた言い訳がある、と思うけれど、男は口を開く隙をくれない。振り下ろされる剣を間一髪かわす。初対面の人間にいきなり剣を振り下ろすなんてどうかしている。ゲームのし過ぎだ。不幸ながらも慎ましやかに生きてきた高校生が、初対面の人間にいきなり真剣を振るようなリアリズムを、俺は持ち合わせていない。


「待ってくれ」という俺の声は、男に届かない。

 銅の剣の一閃を、俺はギィンとレイピアで弾く。


 階下遠くの青十字が、一斉にこちらを向いた。

 剣が交わる音は予想以上に広間に響いた。

 三、四人がこちらに向かって駆けだす。早く誤解を解かなければならない。


 男の三度目の剣が振り下ろされる。俺をゴキブリかなんかだと思っている。俺は剣を受けるためだけに使う。細身の刀身は頼りないけれど、銅の剣よりはるかに俊敏だ。銅の剣が重すぎることを俺はよく知っている。


 四度、五度と剣を振った後のモーションで、相手もその重さに慣れていないことがわかった。剣の重みに重心を奪われ、致命的な隙ができている。その隙を敢えて突かないことで、俺は戦う意志がないことを相手に伝える。

 相手も馬鹿じゃない。明らかに不利なタイミングに敵の攻撃が来なければ、自分が剣を振る意味に疑問を持ち始める。だんだん俺の「待ってくれ」の一言が利いてくる。剣に躊躇いが生まれ、こいつもできれば人なんか殺したくないのだとわかってくる。相手は人間だ。血を纏った髑髏や、酷い臭いの亜人と違い、ちゃんと読める感情があるぶん楽だ。


 俺は一度だけ攻撃に剣を使う。


 ――カチィン!


 慎み深い太刀筋は、こちらの殺意を伝えない。

 そのまま相手の剣を押さえ込み、なんとかにらみ合う構図に持ち込む。


「待ってくれ、俺は敵じゃない。教会が明るいから不思議に思っただけなんだ」


 ようやく使えた言い訳。

 交えた剣の力が緩む。

 声はしないが相手の表情が安堵に変わっている。

 視線に友好的なものを感じる。


 助かった。

 あとはゆっくり弁解すれば――


「ここは青十字以外立ち入り禁止だぜ」


 背後で聞こえた瞬間、後頭部に衝撃が走った。

 途端、顔にも衝撃が走った。

 顔から床に落ちたらしい。気づいたら顔が床にひっついていた。体を起こそうとするが、目の前がぐわんぐわん歪む。体のバランサーみたいなものが狂っている。よろけたところ、横腹に蹴りが入って、俺は仰向けに転がった。


 俺は警棒を握ったそいつを仰ぎ見る。


「オレはずーっとテメエが気にくわなかったんだ」


 こちらこそだクソ野郎。


「おい、早く布かなんか噛ませろ。こいつも連中の仲間だってことにしちまうぞ」


 外崎は男に向き直る。


「え……じゃあ殺すんですか?」男が声を発した。

「ショーを見せつけてからな。いいから早くそのタオル寄こせ!」


 押さえ付けられる俺の抵抗は虚しい。


 深月。ごめん。

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