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4章 異世界楽園の神殺し

 一途は微動だにしない。


 胸の辺りで巻かれた縄に体重を預けて首をもたげている。もう立っているのも辛いのだろう。縛られたままの姿で、何夜越したのかはわからない。食べ物は与えられていないと聞いた。与えられるのは死なない程度の水だけらしかった。


 誰かが投げた石が、罵声とともに放物線を描く。

 外れてくれ、と願えば願うほど、石は真っ直ぐに空を切り、そのまま一途を撲った。

 おおっ、と歓声が沸く。

 一途の顔に神聖な少女の面影はない。

 額は腫れ上がってまだらに変色し、血に汚れながら辛そうにしているだけだった。


 彼女の顔を拭って上げられたなら、と思う。

 彼女の縄を解き、恐怖とは無縁の暖かいベッドでゆっくり休ませてあげられたなら。


 けれど、俺は「彼女は無実だ」と叫んで広場に踊り出し、無駄に終わるであろう救出劇を演じる勇気を持ってはいなかった。


 俺は堪らずに、その場に背を向ける。

 目を逸らして、現実から逃げる。

 でもいくら目を逸らしても、一途はここでずっと石を浴び続けるのだ。


「……すいません、遅くなりました」

 家に戻った俺は、果物と野菜が詰まった籠を背中から下ろした。

「ありがとう、助かるわ」

 矢夜也はすまなそうにしながら、野菜をひょいひょい品定めする。

 この家にあった食糧が底をつき始め、だが外に出るわけにもいかず、矢夜也たちは往生していたらしかった。


「すぐ食べれるものを作るわね」

 と、矢夜也はとうもろこしとさつまいもを取り上げる。

「深月はどうですか?」

 矢夜也は無言で首を振った。


 俺は籠からリンゴとモモを選んで皮を剥き、できるだけ可愛らしい皿に乗せる。

「深月」部屋をノックする。

 返事はない。

「入るよ」ドアノブを回す。


 部屋は暗い。

 体調が悪いのか、それとも現実逃避をしたいのか――わからないけれど、深月は昼過ぎまで寝ているようなタイプの子じゃなかった。

 俺は少しだけカーテンを開ける。

 布団の中の深月が動いて、光に背を向けた。

 布団からはみ出た深月の後頭部が光に晒される。

「まだ具合悪いのか?」

 返事はない。

「なにか食べた方がいいよ」

 回り込もうとすると、深月は布団をかぶった。

 俺は優しさを伝えるべく、布団の上から深月をぽんぽんと叩く。 

「果物、ここ置いとくな」

 部屋を出る俺は、できる限りドアを静かに閉めた。

 ドアを勢いよく閉めることで示せる怒りがあるのなら、ドアをそっと閉めることで伝えられる優しさがあってもいい。今の深月には優しさが不足している。優しい深月は、人間の悪意とか憎悪とかいったものにあてられて、かつてないショックを受けている。

 広場で展開する残酷に、俺だって人間不信になりかけた。

 人の優しさを信じて生きてきた深月が受けた衝撃は計り知れないものだったのだろう。


 レタスとトマトのサラダ、蒸けたとうもろこしとさつまいもに、閉塞感をトッピングした昼食を済ませると、俺はソファごとかぶせてあったシーツを取り払った。


 もうこれ以上放置しては置けなかった。


「ごめんなさい。手伝ってあげられなくて……」

 察して、矢夜也が言った。

「いや、これは俺が一人でやるべきなんです」

 矢夜也は大和に手を合わせる。

「手を貸そう」と、湯田が大和を俺に背負わせてくれた。

「深月ちゃんには言わなくていいの?」

「今は余計なストレスを与えたくなくて」

「そうね……」

「元気になったら一緒に墓参りに行きます」


 大和を背負い、スコップを持ち、俺は家の裏山の林に足を踏み入れる。

 大和の墓は、家の近くに作ろうと思っていた。迷宮の壁沿いにあった鬱屈な墓の列に、大和の墓を並べたくはない。大和の墓はもっと特別扱いを受けるべきだった。

 林の斜面を上ってゆくと、適度な平地を見つけて、ここがいいと思った。

 家が見下ろせるし、景色も良い。他人が入ってくる恐れもない。


 人一人分の穴を掘るというのは意外と大変な作業で、スコップの刃を遮る石や木の根と格闘している間は何も考えずに済んだ。あるのは、あの躰を埋めなければならないという義務と、汗と、腕の痛みだけだった。

 やっとのことで、深さ一メートルほどの穴を掘り終え、大和を横たえる。

 この深さではいずれ蟲が沸き、腐臭が漂うだろう。

 けれど俺はそれを受け入れられる。

 手を合わせると、悲しみよりも肩の荷が下りた気分が勝って、罪悪感を覚えた。でも顔に土をかぶせた途端に涙が溢れた。

  

 家に戻ると、窓から矢夜也と湯田の姿が覗けた。

 二人はテーブルで向かい合って、深刻そうにしている。

 家に入るのを躊躇わせたのは、湯田が矢夜也の手を取っていたからだった。

 俺はいつかの湯田を真似て、窓の下で聞き耳を立てる。なるほどよく聞こえる。


「――今晩なんて無茶だ」

「でも時間がない。創哉くんの話が本当なら、おそらく今夜か明日に、一途はリンチされる。その前に助ける。上手くいけば、騒ぎを聞きつけた仲間が呼応するかもしれない」

「深夜の隠密行動に誰が呼応するんだ。それに仲間なんてもう……期待しない方がいい。キミが殺されるだけだ」

「私は殺されても構わない。私は殺されるべき。少なくとも私は一途より先に殺されるべき」

「キミが責任を感じるのはわかる。けど無駄に死んでも仕方がないだろう。もっと成功率を上げる方法を考えるべきだ」

「無駄だっていい。もしあの子が火あぶりなんかになったら、私は生きていられない。あの子より先に死ねるならそれで構わない」

「そんなのは逃げだ。それに僕が言ってるのは、そういうことじゃない。僕は、成功率を上げる方法がある、と言っている」

「成功率って、どうやって?」

「……一人より二人の方が……わずかばかり成功しやすい」

「……」

「責任を感じているのはキミだけじゃない。僕は、『この世界は桜東波一途に仕組まれている』なんて噂を流して、『脱出者』たちを欺き続けてきた。キミが死ぬべきなら、どうして僕だけが生きていられる」

「ごめんなさい」

「謝られても困る」

「違う。私は心のどこかで、あなたがそう言ってくれると思っていた。だから今夜のことを話してしまった。ごめんなさい。本当に」

「なに、かえって嬉しい」


 俺はその作戦をとめるべきだったのだろうか。

 それとも、三人の方がもっと成功しやすいですよとでも言って、颯爽と会話に割り込むべきだったのだろうか。


 俺にできたのは、海を眺めてしばらく時間を潰した後、素知らぬ顔で家に戻ることだけだった。

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