擁護される神
これは仕方のないことなんだ、と自分に言い聞かせる。
今の俺は少しナーバスになっている。
神聖の塊のようだった少女が、野ざらしの石柱に縛り上げられ、皆の憎悪にののしられ、投石を受け血を流している――そんなショッキングな光景を目の当たりにして、少し同情的になっているだけなのだ。
桜東波一途はそうされるだけのことをしてしまった。
だから仕方がないことなんだ。
「騙してたんだから当然だよね……」
深月の呟きが俺の思いを後押しする。
けれど「当然だ」と言いながら、言葉尻が自問に溢れている。
自分を無理に納得させているようでもある。
深月を納得させてやれる言葉を、俺は見つけることができない。
そんなものがあるなら俺だって知りたい。
俺たちは広場から離れた。
哀れな一途から、悪意に満ちた群衆から、得体のしれない後ろめたさから、俺たちはなるべく距離を置く必要があった。
「うわ、懐かし」
思わず声が出る。俺と深月とタナの名前が書かれた表札が下がっている。
安らぎのマイホーム。今、俺たちが休める場所はここしかない。
「……なにこれ」
入ってすぐに、リビングが荒らされているとわかった。
テーブルに皿が出しっぱなしになっている。食糧が食い散らかされている。
明らかに誰かが侵入した形跡があった。
「もう嫌……」
深月がへたり込む。
表札の掛かった家には、入ってはいけないルールだったはずだ。
楽園の善意はどこにいってしまったんだ。
よくよく考えれば、この街の倫理を支えていたのは一途だったのかもしれない。
一途がいれば死ぬことはないという安心――精神的な余裕の元に、あの倫理は機能していたのだ。
死の恐怖から解放された人間はああも寛容になれる。
だがその安心と余裕は裏切られ、街の寛容も倫理も失われてしまった。
「……」
深月は無言で立ち上がると、自分の部屋によろよろ歩いていく。
休みたいんだろう。
俺は大和をソファに横たえる。
その存在をずっと背中に感じながら、俺は大和の今後について考えるのを避けていた。
考えてしまえば、出したくない答えを出す必要に迫られる。
だから敢えて目を逸らしていた。
けれど、こうして大和を直視してしまった俺は、その答えから逃げられない。
――大和はもう生き返れないんだ。
二度と会話もできない。その現実を思い知らされる。
刹那。
「キャ!」
と、抑えつけられたような短い悲鳴が聞こえて、俺は判断の甘さを思い知った。
――なぜ侵入者がもうここにはいないと思ったのか。
侵入は現在進行形で続いていたのだ。
俺たちが突然帰ってきたことに焦って、深月の部屋に隠れていたのだ。
「動かないで」
駆けだそうとした俺を牽制するように、奥の部屋から侵入者が現れた。
深月を後ろから羽交い締めにして、喉に刀を押しつけている。
「矢夜也さん……」
侵入者は矢夜也だった。
一途の補佐役だった女。
黒いスーツに青十字は見当たらない。
俺は腰にぶら下げた剣に手をかけるものの、抜く隙はない。
――バン!
と、傍のドア――俺の部屋のドアが突然開く。
驚いた俺は腕を手早くねじられ、背中に鋭利なものを押し当てられる。
それはナイフの類なのかもしれない。
「湯田さん!」
深月が俺の後ろに向かって叫んだ。
――なぜ矢夜也と湯田が一緒に?
俺は腕を縄で縛り上げられながら考えて、存外単純な構図であることに気づく。
実は一途一派の手引き人だった湯田と、ガチの一途一派だった矢夜也が、裏で繋がっているのは当然だったのだ。
あの日、深月は湯田によって66階に連れて行かれた。
俺は矢夜也によって66階に連れて行かれた。
それだけの違いだったのだ。
「二人とも一途の仲間だったんですね……」
「……説明する手間が省けてよかったわ」
深月を縛り上げながら、矢夜也は言った。
「で、なんで俺らは縛られる必要があるんです?」
「キミたちも生き返らせてもらいにきたんだろう?」湯田が大和の躰を指差す。「そして生き返れないことに不満を持った」
「青十字の人間に、居場所を知られるわけにはいかないの」と、矢夜也。
青十字――と矢夜也たちが対立していることを知る。
青十字=自警団なのではなく、青十字は単に、一途にクーデターを起こした集団である証なのかもしれない。そして矢夜也と湯田にその青十字はない。
「もしかして、一途を信じて最後まで戦ってた人たちって――」
「いまさら何? 私たちの他に誰がいるのよ。みんな散り散りになってしまったけれど」
「待って。じゃあ誤解があります。俺たちは青十字とは関係ない」
俺は説明する。
今日76階に来たばかりで、街の状況に戸惑っていること。
俺たちが知っているのは、外崎に聞かされた青十字側の情報だけであること。
そして、できれば多方向から状況を考察したいこと。
「いいわ、教えてあげる。教えたところで誰も信じてくれなかったけれど」
矢夜也の表情に影が落ちた。
「どうして一途は、蘇生を拒否するんですか?」
最大の疑問を訊く。
そんなことをすれば暴動が起きると、わかりそうなものだった。
「冗談じゃないわ! 一途さまは蘇生の拒否なんてしていない!」
矢夜也が憤る。
「一途さまは何度も説明したのよ。『もう生き返らせることができません』って。でもみんな信じてくれなかった。一途さまが再生の能力を失ってしまったなんて、信じてくれなかった」
「能力を失った?」
「そう。モンスターが突然凶暴になったあの日、一途さまも突然再生ができなくなった」
「いったいどうして……」
「わからない。自然の摂理に反する能力が神さまの怒りに触れたんだ、なんて言った人もいる。とにかく、説明しても誰も信じてくれなかった。みんな恐怖でパニック状態だった。そしてあっという間に青十字に煽動されてしまった。私たちは一途さまをかばったけれど、奇襲だったうえ、多勢に無勢。自警団の誰が敵か味方かもよくわからない状況の中で、敗走するしかなかった」
そしてこの家に隠れていたところ俺たちが来た――というわけらしかった。
木を隠すなら森の中、じゃないけれど、表札の下がった他人の家は、隠れるにはもってこいだったのだろう。誰にも侵入されないし、この二人は俺たちがすでに街にいないことを知っていた。
「わずか三日だ」と湯田が言う。
「三日後までに、死人を全部生き返らせて、ここの脱出方法を吐けというのが、奴らが提示した一途さま解放の条件だ」
「脱出方法?」
「そう。連中の間では、迷宮のどこかに、一途さまだけが知っている地上直通エレベーターがあるという話になっている。一途さまはそれを使い、わずかな時間でここに人をさらってくるのだ、と」
なるほどそんなものが……と思いかけて、
「そんなものあるわけないのに!」
矢夜也に否定された。
でも、と思う。
「再生能力がなくなったって話もそうですけど、二人ともなんでそこまで一途を信用できるんです?」
エレベーターの話は少し納得してしまった。
再生能力にしても、一途は再生ができなくなったふりをしているだけの可能性がある。
この二人が一途を盲信しているだけならば、正当性は青十字側にある気がしてならない。
「馬鹿ね」と言われた。
「故意に生き返らせないなんて、そんなことして何の得があるのよ」
そうなのだった。
支配しようとしていたにしても、再生の能力で民衆を手懐ける方がはるかに賢いやり方なのだった。
「それに……」と矢夜也が口ごもる。
「あの子だって被害者なのよ。あの子も神隠しに遭った人間の一人に過ぎない」
ん?
――あの子?
湯田がにわかに動揺した。
「その話を彼らにしてしまうのかい?」
「話したところで、もう失うものなんてないでしょう?」
何か重要なことが話されようとしている。
俺はまたこの世界に翻弄されるのか?
「なぜ一途が被害者だ、なんて言えるんです?」
つい、口調が鋭くなった。
「だって……私の方があの子より先にこの街にいたんだもの」
矢夜也がうなだれる。
「あの子は……一途は悪くないのよ」
――悪いのは全部私なの。