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緋に染まるもの

 ――ヒイイイイイイイイ。


 闇の中から近づく声は、悲鳴のようにも聞こえる。

「そーちゃん、こわいいい」

 左手に握った深月の手が震えている。俺の手が震えているのかもしれないけど、よくわからない。どっちもかもしれない。


 体が凍りつき、闇に向ける視覚と聴覚が妙に研ぎ澄まされる。

 ホラー映画で、悪霊に遭遇してもなかなか逃げ出さない映画的演出をもどかしく思うけれど、あれは存外リアルな演出なのだと知る。

 恐怖に捕らわれた人間はこうも動けなくなる。

 発すべき言葉も失われる。


灯下に現れたのは、緋色の陽炎かげろうだった。


 黒みを帯びた赤は一〇〇年着古したような襤褸ぼろで、所々はだける肌に生気はない。それは肌ではなくて、かつて皮膚だったものという表現の方が正確に思える。嗄れた手には大鎌が握られていて、その姿はどこか死神を思わせた。


 骸の眼窩に瞳はない。

 瞳はないのに、目が合ったと思えた。


「やだああああ!」


 深月の体が跳ねた。


「深月、待て!」


 何を差し置いても逃げる意気の深月に言葉は届かない。虚を衝かれた魍魎の脇をすり抜けて深月は走る。混乱の度が過ぎて、恐怖の対象さえ見えなくなっている。


 緋色の死神が深月を向いた。

 滑るような不自然な動きで追尾する死神は、あるべきところに足がない。


「創哉、深月がやばい!」

 大和が叫ぶけれどそんなことは百も承知だ。追った所でどうにかできるのかと思いながらも、俺は追いかけるしかない。けれど追いつけない。恐怖に憑かれた深月は速い。


「※※※ ※※※※※ ※※※※※※※※」


 死神がリズミカルに昏い音を発した。言葉のようだった。

 唐突に光が弾けて、迷宮を一瞬だけ照らす。

 死神が指をタクトのように振ると、光は閃きとなって空を斬り、深月の傍らで轟音を上げた。壁の煉瓦が爆ぜて、土埃が舞い、光の中で魔法少女の体が舞った。


「※※※ ※※※※※ ※※※※※※※※」


 立ち上がった深月に向かって、死神は再度指を振り下ろす。

 深月は再度光に襲われる。

 俺は離れた距離を走りながら、どうすることもできない。


「※※※ ※※※※※ ※※※※※※※※」


 逃げまどう深月を、次々と光が襲う。

 ひまわりの刺繍が入った自慢のレースがズタズタになっている。

 地を這う虫を潰そうとする子どものように、死神は楽しんでいる。


「※※※ ※※※※※ ※※※※※※※※」


 冷たく整然と刻まれる言葉は呪文の詠唱らしかった。

 深月を襲う希望のない光。

 腰を抜かした深月は、四つんばいで這い回る。

 格好の的にしか見えなかった。


「※※※」


「くそがああ!」

 三・五・八の詠唱が始まり、俺は走る。

 緋色の背中に、けれど俺の剣は届かない。


「※※※※※」


「やめろおおおおおおっ!」

 叫ぶしかない俺は叫ぶ。

 せめて詠唱をかき消そうと俺は叫ぶ。


「※※※※※※※……!?」


(――光らない?)


 光らなくても、俺の走りは止まらない。


「うあああああ!」


 俺の叫びに、骸の顔が向いた。

 剣を振り上げた俺は、襤褸の揺らめく臙脂が血の色だと気づく。

 腐った血そのものが滴っているのだと気づく。


 腐臭を纏った髑髏が笑う。表情のある死。死を纏う死。作り物の悪魔とは比べものにならない恐怖

を前にして、俺は怯える。


「うあああああああ!」

 けれど、俺は怯まない。


 俺には今、恐怖を覆す怒りがある。

 俺には恐怖を覆してでも守らなければならないものがある。


 ――ガッ、キ!


 干涸らびた躰とは思えない硬さを感じた後、剣が折れた。

 手が痺れる。骸は窪んだ眼窩に怒りを湛えていた。


 ――やばい!


 死神が指を振り上げる。反撃の光が来る。


「……… …………… ……………………」


 深黒の虚でしかない口は動くだけで、音はしない。

 繰り返し指を振り下ろしてみせるが、光は走らない。

 死神は白骨の指を見て首を傾げる。電波が悪い携帯にでもするように、ぶんぶん手を振ってみて、また首を傾げる。


 そういえば、と思う。

 深月を仕留めようとした光も出ていなかった。

 魔力的なものが切れたのか、と思うけれど、死神の仕草を見ているとそんな風でもない。


「うおっ!」


 光を諦めた死神が唐突に鎌を振る。

 妙に人間くさい髑髏の仕草に油断した。

 とっさに受けた半折れの剣が宙を舞った。


 そして二度目の鎌が振り下ろされる。

 俺には受けるべき武器も防具もない。

 斬り裂かれるその瞬間だけが恐ろしくて、俺はKO寸前のボクサーみたいに惨めに顔をかばう。


 刹那、斬撃とは違う衝撃に圧されて、体が吹き飛んだ。

 訳がわからないまま数回転がり、起き上がった俺は再度衝撃に襲われる。


 鎌に貫かれた大和がいる。


 視覚的な衝撃。


 俺は大和にかばわれたのだろう。

 大和の躰はぴくりともしない。


 死神は大和の躰を鎌で貫いたまま持ち上げる。獲物を誇るかのように掲げて無音で笑う。ごみでも薙ぐように大和の躰を振り捨てると、すうっと死神の姿が薄くなった。残像になっても笑っている。満足したとでも言いたげに残像は消えていく。気配はもう感じない。念のために警戒するけれど、もう大丈夫らしかった。


『助かる方法 → → → → 死』。


 大和は動かなかった。鎌で貫かれたにもかかわらず、血が噴き出すわけじゃなければ、切り傷さえない。出血がないのに血の気はなく、顔に生気も感じられない。心臓の音も、生命反応もない。


「大和くん……死んじゃったの?」

 いつの間にか、深月が傍らにいる。白とピンクの能天気なレースが、咎められたようにぼろぼろになっていた。

「せっかく会えたのに……」深月の声は震えている。

「大丈夫だよ、生き返れるから」俺は大和の躰を抱き起こす。


「でも……これじゃまるで、わたしたちを守るために再会したみたい……」


 ごめんね、と深月は大和の頬を撫でた。


「深月は怪我、大丈夫か?」

 恐怖を思い出したのか、改めて安堵したのか、深月はしくしくと泣き始めた。

 よほど恐かったのだろう。俺だって恐かった。いまの理不尽は理解を超えていた。説明のつかない現象の数々。命を奪う光と鎌。冗談では済まされない死の造形。

 兎とモルモットしかいないと聞いていたふれあい広場に、突然虎が現れた気分だった。ピーターラビットを読んでいたら、見開きで怪物が登場した気分でもいい。上着をなくしたピーターが家に帰ると、そこには血だらけの口元をぬぐうクトゥルーが。馬鹿げてる。平和だったはずの世界が唐突にぶち壊された。


「帰ろう……」

 大和の鎖帷子を脱がせて、背負う。


『畜生! 俺たちは騙されたんだ』


 壁の文字が目に飛び込んだ。


 文字文字文字文字!


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