―幕間― 地下55階情景描写神視点?
―― intermission ――
55階の街は、冬。
景色の全てが雪に覆われ、立ち並ぶロッジ風の家屋に明かりはない。
薄暗い空、ひと気のない街、不安になる心を唯一暖めるのは、二列に並んだ外灯の暖色。
雪に埋もれた道の代わりに、進むべき道を示している。
降りしきる雪の中、その灯りは幻想的に滲む。
誘われるように雪を踏みしめてゆくと、そこには
――美園くん。
「美園くん、ちょっといいかな」
とあるオフィスの一角。
呼ばれた美園が慌てて振り返ると、デスクで手招きするチーフディレクターがいた。
――せっかく世界に入り込んでたのに。
美園はしぶしぶ席を立つ。
「完成した部分、読ませてもらったんだけど」と、TDの多田は話を切りだした。
「俺さ、この手の話の醍醐味って、剣や魔法の派手なバトルだと思うんだよね」
「はぁ」
「モンスターもさ。もっと格好良いのをばーんと出してさ。ケルベロスーとか、ディアボロスーとかいって、火とか吹いたりしちゃってさ。そんな連中と、特殊能力とか格好いい武器を持った主人公が戦うはめになるみたいな」
「でも女性ニーズを考えると、モンスターが可愛い世界観もいいかなと思うんです。『ちびっとモンスター』みたいな……」
「美園ちゃんそれブレてるよ。これ、メインターゲットは男子だよ。10代から30代にかけての男子。その年ごろの男子の感覚、美園ちゃんにはわかりづらいかもしれないけど」
男の子だってちびモンに夢中だぞ、と思うものの、新人ディレクターの身分で反論はできない。
そもそもそんなターゲット層だなんて聞いていなかった。
提示されたのは「できるだけ万人受けしそうなもの」という真ん中がわからない的――それはターゲットといえるのだろうか? ――だった。
「まあ、モンスターはいいや。キャラデザ班がやるから」
「え……、変更前提なんですか」
「まだ企画(案)だから、変更になることもあるよ。あ、そっか。美園ちゃんは初めて通った企画だからびっくりするか。企画はね、現場でより良い方に常に動かす必要があるの。ゲームは生き物なんだよ」
『方向音痴の多田』
TD多田が影でささやかれているあだ名だった。どれだけの現場がこの人に振り回されてきたのだろうか。そのあだ名は、方向を定める者として致命的にしか思えなかった。
より良い物を作るためには――という考え方はわかる。
でも大人数が作業に関わる以上、簡単に動かしてはいけない芯だって必要だ。
それを作るのが企画なんじゃないかな、と美園は思っている。
東京から大阪に向けて出発した以上、名古屋で寄り道したり、間違って岐阜に向かっていたりすることはあっても、「ごめん、目的地北海道だった」なんてことがあっては駄目なのだ。
静岡でお茶をすする美園の不安は続く。
この流れは嫌な予感しかしない。
「実はさ」と、多田が姿勢を正した。
「シナリオに少し手を入れようと思うんだ」
――来たか。
「シナリオ、Pにも見てもらったんだけど、ちょっと手を加えようってことになってね。ほら、最近『DNA』がスマッシュヒットしたじゃない」
『Deadly Nation Aggression』――通称『DNA』は親、子、孫三代に渡る戦いの人生を描いた携帯機向けのゲームだった。
製作は小規模なゲーム会社。
低予算で魅せたそのブラックな世界観、単純ながらもはまるシステム、安直な大団円に陥らない硬派なシナリオ――特にラストの爽快な後味の悪さは斬新で、けれど胸を打つ主人公の悲痛な叫びが評判を呼び、これぞ小規模ゲーム会社が目指すべきロールモデルだと、業界界隈の人間を唸らせていた。
「Pがさ、この波に乗りたいって言うんだよね。このビッグウェーブに」
「乗りたいって、そんな簡単に……」
「Pが言うんだよー。もーPにはホント困っちゃうよねー」と、あまり困っていない素振りで「だからウチも今回はダーク路線に舵を取り直そう、って」
「このシナリオ、自分では結構ダークな方だと思うんですけど……」
「でもプロットだとラストが予定調和のハッピーエンドじゃん」
「分岐エンドならともかく、一個しかないエンドがバッドエンドだったらプレイヤーが納得しないですよ。絶対叩かれます。炎上します」
「いや、バッドエンドじゃなくてさ。もっとこう、安直な解決を避けるというかさ。モンスター倒しました、迷宮脱出しました、みんなハッピーになりましたじゃなくて、というかさ。現実で実際に起こる問題なんて、一〇〇パー解決する方がありえない訳じゃん? その中で人はどこに解決を見出していくか、そこに発生する人間のリアルな葛藤みたいなのを描くべきというかさ」
『DNA』のシナリオが美園の頭を巡る。
描かれていたのは、蔑まれた戦闘民族の葛藤だった。
平和になった社会の中でアイデンティティを見失った戦闘民族が、結局自分たちは戦いの中でしか生き方を見つけられないと知り、戦いの中で振り出しに戻る的に民族のアイデンティティを取り戻してゆく。その解決になっていない解決の悲しさは見事だった。
中でも、逃れられない戦い運命の中で、仲間たちが次々と倒れていくクライマックスは涙を誘った。キャラクタが相当入念に作られている、と美園も同業者の端くれだからわかる。作者もあんなに思いを込めて作ったキャラクタを死なすのは、さぞ辛かったに違いない。
美園も昔、自分の作った物語の中でキャラクタを殺そうとしたことがある。でも、書き進めるうち、キャラクタたちに感情移入してしまい、愛おしくなってしまい、どうしても殺すことができなかった。結局その物語は、肝心な場面で人が死なない斬新なコメディになってしまった。
でもそれで良かったと思っている。
生きてさえいれば、その子の続きを書いてあげることができる。
キャラクタといえど、いったん死んでしまえば、その子の続きを書いてあげることは二度とできないのだ。
そんな曲折があって、美園は人が死ぬ話はもう書かないことにした。
もしくは、もし死んでも生き返れる世界観を書くことにした。
「あたし……『DNA』みたいのは、書く自信がありません……」
少し舌足らずな二二歳の美園の一人称は、中学の半ばでようやく「あたし」と聞こえるようになった。今の発言が大人のもの――プロの発言じゃない、とも自覚はしていた。
「そうだね。美園ちゃんにはちょっと荷が重いかな、とは思った」
「え」
多田の軽さに、面食らう。
――でもやってくれないと困る。
そう言ってもらえると思っていた。
「あ、美園ちゃんの力がどうこうってんじゃないんだよ。単に適性の問題でね。ダーク路線なら神野くんの方が向いてるって判断しただけなんだ」
頭が真っ白になる。
「それって……あたしのシナリオはボツってことですか……」
やっと半分書き上げたのに。
眠い日も、コーヒーとだんごをエネルギーに頑張ってきたのに。
「いや、できてる部分はそのまま使わせてもらうよ。これはこれで使える。ただラストにかけての部分は神野くんに任せることになる。彼ならきっちり闇に落としてくれるだろう。彼の異名は美園ちゃんも知ってるだろ?」
――虐殺の神野。
メインキャラを必ずといっていいほど多く死なせる、神野のシナリオ手法についた異名だった。
誰も生き残らないどころか、全人類が滅んだことさえある。
「突然の交代ですまないとは思うけど、土台は美園ちゃんのシナリオだし、エンドクレジットも残るからしょげないでよ。それに、美園ちゃんにやってほしい仕事ができたってのもあるんだ」
私にやってほしい仕事。
私にしかできない仕事?
「外注でソシャゲの発注が入ったんだけどさ、クライアントの要望は『女子向け王子様ゲー』。ウチの企画でこれをできるのは、美園ちゃんしかいないってことになってね。これぞ適材適所、ってわけでさっそく企画起こしてくれるかな。べったべたな王子様をいっぱい書いちゃってほしいんだけど――」
その後、何を言われたのか、美園はよく憶えていない。
「――あ、今やってるシナリオのデータは、神野くんに引き継いでおいてね」
多田はそう言い残して、逃げるように席を立った。




