Answer it
「おまえ、よくこんなとこ見つけたな」
隠れ家は同じ東地区のさらに上、丘をのぼりきるでもなく、景色も良くない、ただ立地が悪いだけとしか思えない、建物群の谷間にあった。
階段を下りて行くと、地下に隠れるようにドアがあって、看板の類も出ていない。中に人がいる気配さえしない。周囲の建物にも人の気配は感じなくて、おかしな地域に迷い込んでしまった感じは西一二三辺りの比じゃなかった。
「タナ、おまえやっぱり迷子になったんだろ」
タナは無視してドアを開ける。図星なのか。
店は想像していたレストランではなく、バーのような造りだった。
客はまばらとはいえ、外からは想像できないほどの人数がいる。
店内は薄暗く、淡い照明が灯ったバーカウンターの奥で、髪のない店主の頭が光っていた。
「お嬢ちゃんはやっぱり言っちゃったのか……」
俺と深月を引き連れ胸を張るタナに、店主が言った。
「この二人は秘密を守れるからだいじょぶ」
ちゃんとやくそくできるもんな? とタナが俺たちに同意を求める。
すみません、と俺は店主に頭を下げた。
「まあいいよ。この子は多分黙ってられないだろうなと思ってたし」
タナの頬がむむうと膨らんだ。
「そんなことよりおやじ。この二人にもさっきのんまいやつを頼む」
「はいはい」
ここはそういう場所じゃないんだけどね……と言いながらも、店主は満更でもなさそうにフライパンに向かった。
カウンター近くのテーブル席に座る。
客のほとんどが、剣状の武器、重そうな鎧、煌びやかなローブなど、いかにもロールプレイングな装いをしていて、まるでコスプレ会場に紛れ込んだみたいだった。
客の視線に警戒を感じる。
店内の会話が妙に潜まった気もする。
新規客だから疎まれているんだろうか。
「そいえば、酒場でじょうほーは聞けたのか?」タナが訊いてきた。
「上に行く階段がないんだってさ」
酒場で訊いた一連の情報を話してやる。
「じゃあどうするんだ?」と、タナ。
「……俺は60階を探索してみる。上の階がないなんて、どうしても信じられない。ここでただ腐っているくらいなら、無駄な努力でもした方がまだマシだ」
「でもモンスター強くなるんだよ……」深月が言う。
「だから俺一人で行ってみる。二人は危ないから待ってて」
「そんな、一人なんて駄目だよ。だったらわたしも行く」
「そうだぞ水くさい。あちしも行く」
「大丈夫だよ。もし帰ってこなかったときは捜索隊出してな」
そんな……と深月の表情が曇る。
「ギルドの人の力、借りれないかな……」
「必要ない。ギルドの連中と行くくらいなら一人でいい」
と、目の前に腕がぬっ、と伸びて大皿がテーブルに置かれた。
麺料理が盛られている。
「君たちは、この街に来て日が浅いみたいだね」
話を割った腕の主――店主――は、俺たちの話を聞いていたらしかった。
「昨日来たばかりですけど……」
「そうか。この街であんまりギルドの悪口を言うもんじゃないよ」
気配りのなさを思い知る。
周りにいる客はみな冒険者姿、いつの間にかこちらに視線が集まっていた。
すみません、と誰にともなく頭を下げる。
「ああ、ごめん。違うんだ。ただの忠告のつもりだったんだ。まだギルドに毒されていない姿が少しまぶしくてね。あまり輝きすぎるとこの街じゃ危険だから」
「どういう意味ですか?」
思わず店主の頭を見る。
店主は空いていた席に腰を落ち着けた。
「君たちの経緯を当ててみようか」
まあ食べながら聞いてよ。と、店主は皿の麺料理――パスタを取り分ける。
トングでパスタを持ち上げると、湯気とともにトマトソースの甘い香りが広がった。
「まず、君たちは湯田という男からこの街に誘導されているね。理由は76階の脱出を企てたからだ。そしてこの街にたどり着くと、君たちはギルドを紹介された」
店主は取り分けながら語る。
深月はそうだけれど、俺とタナは違う。
でも湯田に誘導された深月を追いかけてきたのだから、まあ似たようなものとも言える。
店主は続ける。
「迷宮に入ろうとした君たちは、ギルドの受付で入宮届を書いた。するとマップをもらった。迷宮の情報をまとめたマップだ。けれど59階から上にはいけないと教えられ、君たちは希望を失ってしまった――君たちがいるのは、今ここかな?」
確かにそうだけど――
「ギルドの人のほとんどがそうなんじゃないですか?」
「そうだね、そうかもしれない。問題は次のステップだ」
「ステップ?」
「希望を失った人間ってのは脆いものでね。結局地上に帰ることはできない――そんな絶望に陥った人間は、何か縋るものが必要になる。少しでも絶望を忘れさせてくれるなにかだね。するとどうだろう、目の前にはわかりやすい誘惑が広がっている」
酒場の光景を思いだす。
酒、女、曇った目、高いテンション。
漂う頽廃の臭い。
「絶望状態にある人間ってのはね、騙す方にとってはカモなんだ。例えば愛する家族を亡くした人。長年勤めた仕事をクビになった人。一年間みっちり勉強した受験に失敗した人。そして、二度と帰れない迷宮に閉じこめられた人。抗えない絶望に直面した人間は、とても何かに縋りやすくなっている」
何が言いたいのだろうか。
「……俺たちもいずれ絶望に屈する、ということですか?」
「ああ、それは読み違いだよ。でも君たちにそうなってほしくはない、ということではある」
「いったい何が言いたいんです?」
「――ところで、そのパスタはどうだい?」
苛立つ俺をすかすように、店主は話題を変えた。
「おいしいですけども」
ふむ、と店主はうなずく。
納得してない、みたいな表情だった。
「これトマトがすっごく美味しいですね。ソースになっても甘みがすごい」
深月の賞賛に、店主が一転破顔した。
「わかるかい? トマトにはこだわってるんだよ。これね、東の森になってるトマトから上質のシシリアンルージュだけを厳選してソースを作ったの! 適当に採っただけのトマトとはわけが違うんだよね!」
こほん、と店主は咳払いした。
「君たちは信用できるね。トマトがわかる人間に悪人はいない」
「誰ですか、そんなことを言うのは」
「僕だよ。実はね、僕たちは仲間を探している。迷宮脱出のため共に戦える、気が置けない仲間だ」
この街にもまだ真摯な人間がいた、と思えば嬉しくもなる。
でも――。
「仲間ったって、結局60階から上にいけないんじゃ……」
そういえば、と店主。
「大事なステップが一つ抜けていたね。君たちは75階で、落とし穴とダミーの扉を湯田に見せられている。初めて見た罠はインパクトがあっただろう」
深月が頷いた。
俺も矢夜也に見せられている。
「それで君たちは『街を出て最初の階段を上がると簡単にみつかる、いかにも怪しい扉は罠だ』という軽いトラウマを胸に刻むことになった。扉をろくに確かめもせずに」
それは、もしかして。
「75階の扉は、ダミーなんかじゃなかったってことですか?」
「いや、あれは確かにダミーだよ。確かめた。違うんだよ。問題は、君たちはあれと似た風景を見ると、トラウマが発動するように仕込まれたことだ。『罠に違いない!』という具合に。あの風景がトラウマを引き出す一種のトリガーになっているんだ」
「……そういうことか」
思わず頭を抱えた。
――なにがこの迷宮は人を騙す工夫が足りない、だ。
「65階ですか」
「そういうことだね。65階には上への階段が二つある。一方は60階で行き止まりになる階段。一方はちゃんと59階から上にも行ける階段。あの扉の先に本当の階段はあるよ。僕たちの仲間はもう55階の街にたどり着いてる」
「でも」と深月は納得しなかった。
「あれは罠だってマップに書いてありましたよ。だから罠だと思ったんですもん」
俺はポケットからマップを出して、テーブルに広げる。
『扉はダミー、手前にデストラップ』と、確かに書いてある。
店主はゴミでも追いやるように、地図をつま弾いた。
「まだわからないかな。なんでそんなマップが信用できるんだい。嘘の情報が紛れてたってわからないじゃないか。そのマップを作った人間は本当に信用していいのかい?」
――キリエ。
だけじゃない。
マップの編集には受付嬢たちが関わっている。
「だって、彼女らが嘘を書くわけないじゃないですか」
「君は今、すごく根拠のない発言をしたのを自覚できているかい?」
「ならどうして、彼女たちは嘘を書く必要があるんです?」
「理由は簡単だよ。彼女たちはマップに細工をすることで、みんなをこの街に留めておく必要がある。迷宮を攻略されたら困るからだ。おや、この行動思考は誰かによく似ているね」
沈黙。
店主は答えを言わせたがっている。
「……桜東波一途、ですか」
「そうだね。あのギルドの核をなす連中と桜東波一途はグルだ。そう考えると全ての筋が通るんだ。76階と66階を繋いだ湯田という男もグルということになる。湯田は一途に命じられて、脱走思想を持つ人間を監視していた。いかにも湯田自身が一途に疑問を持っているように見せかけて」
窓から覗く湯田が、脳裏に蘇る。
深月が地上に戻りたがったとき、湯田は強引に家に侵入してきた。
「そして脱走者は66階のギルドに誘導されて、結局迷宮から出ることはできないと知り、絶望して、快楽にすがって、堕落して、逃げようなんて考えを捨ててしまう。そこまでが描かれたシナリオなんだね。結局みんな一途の掌で転がされているだけなんだ」
言葉を失う。
深月も唖然としている。
タナはパスタに夢中だった。
「だけど今、君たちはその掌の果てを目にしている。君たちはどうする? 掌で転がっているか――」
視界の端で客が二人、立ち上がった。
「――それとも、僕たちと共に上を目指すか」
深月の肩越しに、出口前を塞ぐように立ち止まる二人が見える。
「この隠れ家は、一途の洗脳を破った人間が集まる真のギルドなんだ。君たちも洗脳が進む前にここに来られたのは良かった。僕たちは仲間を欲している。トマト好きに――ってのは冗談だけど、君たちは信用できそうだと思った。是非、僕らとともに戦おうじゃないか」
いつの間にか、客の注目が集まっている。
真ギルドを出ると、辺りはすでに暗い。
転ばないよう、右にはタナの、左には深月の手を取って歩く。
暗闇の中、二人の手を引いて歩く状況は、俺の心象が演出されているみたいだった。
黒いシルエットだけの建物群は不気味だ。思えば全く明かりがない街なんて、地上では体験したことがなかった。夜でも、外灯、信号、自販機、何かしらが光っていた。
「あの人たちは信用して大丈夫だよね?」
暗闇の中で、深月の声がした。
「いいんじゃないか。トマト好きに悪人はいないらしいし」
ふふっ、と漏れる声が聞こえた。
一緒に戦おうと誘われたとき、店の出口が塞がれていたことを深月には言わない。
余計な不安を煽りたくない。真ギルドの存在を知ってしまったお前たちに、選択肢は一つしかないぜ、ということだったんだろう。
「なんだかわたし、人間不信になりそうだよ」
「わかる」
俺たちは自分の意志で行動していたつもりだった。それが全て一途のシナリオの中で踊らされていただけだった、と気づかされたショックは大きい。
『扉はダミー、手前にデストラップ』
たったそれだけの言葉で、俺たちはこうも騙されてしまう。
でもこれで決められたシナリオから抜け出せたんだ――なんて思えるはずもなく、俺を襲うのは次の疑念。
――真ギルドを本当に信用していいのだろうか。
もしかしたら連中さえも一途とグルなんじゃないだろうか。
堕落の偽ギルドをすり抜けて、上を目指そうとする人間をさらに捕らえるための罠なんじゃないだろうか。
あの店主も湯田の役どころと変わらなくて、55階の罠に導くだけの存在なんじゃないだろうか。
渦巻く猜疑心。
考えてしまえば、あの隠れ家ギルドがとんとん拍子で見つかったこと事態も疑わしくなる。
誰が見つけた? タナだ。そもそもこの少女だって信用していいのか? 強引に家に飛び込んできた少女が、実は桜東波一途一派が俺たちに着けたリードだった、という考え方があっても自然じゃないだろうか――とまで考えたところで、タナにきゅっと手を握られ、俺は自己嫌悪に陥る。
俺は確固たる自分を持たなければならない。
俺は今、複雑な騙しの構図に呑み込まれている可能性がある。
俺は騙されてはならない。
二人の少女の手を引く俺が揺らいではならない。
疑うべきたくさんのこと。
それらに惑いながらも、選べる選択肢は意外とシンプルなことに俺は気づく。
――進むか、進まないか。
そしてその答えは一つだ。
街の灯りがようやく見えてくる。




