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楽園の街 ――地下76階の楽園

     ○


『水無月深月(16)さんが行方不明。連日発生する失踪事件に関連か』


 体育委員だった深月は水泳の授業中、バタ足が思わしくない級友クラスメイトのためにビート板を五つ倉庫に取りに行ったまま帰ってこなかった。プールからわずか十数メートル先の倉庫は、警察によってくまなく検証された。けれど結局、深月の失踪は連日発生する神隠しの一つである可能性に落ち着いた。

 その報道がなされた翌日、俺はひとりでプールの倉庫にいた。

 来たところでどうしようもないのはわかっている。

 でも無駄と知りながらも、散乱したコースロープをひっくり返したり、ビート板の山を蹴散らしたりせずにいられなかったのは、深月さんは神隠しに遭いましたの一言で片付けるわけにはいかないからだった。

 水着姿のままで、深月はいったいどこに消えてしまったのか。

 もし誰かにさらわれたのだとしたら、と思えば忌まわしい想像も浮かぶ。無力に苛まれれば、八つ当たりもしたくなる。俺は棚に並んだ大量のビート板を意味もなく床に叩きつけた。


「……何やってんだ俺は」


 散乱したビート板の中に、力なくへたり込む。

 徒労にため息を漏らすと、奇妙なものが目に映った。


 ――なんでこんなところに?


 ビート板のあった棚の陰にドアがあった。

 どうしてドアの前に棚を置いてしまったのか。

 倉庫の奥行きを考えれば、ただの裏口的なドアだろうと想像はできた。

 警察だって調べたはずだ。

 だが、今の俺は自分で調べずにはいられなかった。

 ノブを回す。

 鍵はかかっていない。

 棚を少しずらし、ドアを開けてみる。外からの光は漏れてこない。

 さらに棚をずらす、ドアが完全に開く位置まで。

 中は暗かった。

 何も見えない。

 電気のスイッチを探しながら部屋に入ると、突然ドアが閉まった。


 ――記憶はそこで途切れている。

「なんだここ……」

 苔むした石壁と停滞した空気独特の辛気臭さが、いかにも地下迷宮然としている。薄暗いものの、やけに親切な壁の表示――「B76F」の白ペンキが読める。ランタン型のライトが、暗さに困らない程度の間隔で壁に設置されていた。


 ――本当に地下76階なんだろうか。


 疑う。

 ペンキで地下76階と書いてあるからと言って、「へー地下76階なんだ」と信じるほうが嘘だ。76階も地下がある建物なんて聞いたことがないし、プール倉庫にいたはずの自分が、地下76階にいる原理もわからない。気絶している間に地下76階まで運ばれたのだとしたら、俺はどれだけ気を失っていたのだろうか。そもそも俺は本当に気絶していたのだろうか。


 ――とりあえず出口を探そう。


 困惑の中、現状把握に努める。

 俺は通路の角にあたる場所にいるらしく、道は二方向に伸びていた。

 と、一方の進路の奥に、地下76階には不相応の肌色が晒されている。


 ――人が倒れている。


 まさか、と思う。


「深月?」


 予感が当たる。

 悪い予感も当たる。

 確かに深月だけれど、こんなに真っ白な深月を見たことがない。さらに悪い予感は水着が乱れていることだ。

「深月!」と、肩を揺する。頬を叩く。

 揺れる首に力はなく、叩いた頬は冷たかった。


 ――深月がなぜこんな所で死ななければならない?


 視界が滲む。

 目を拭って、深月を背負う。

 柔らかな躰も今は虚しい。冷たい躰と壁に挟まれて、俺は当てもなく通路を彷徨う。

 なぜ深月ばかりが――ただでさえ不幸な深月ばかりが――こうも不幸を背負わされる必要があるのだろうか。

 この理不尽な事態が全て理解できない。

 全て受け入れることができない。

 もし神なんてヤツがいて、俺たちの運命を決めているんだとしたら、そいつがクソ野郎であるのは間違いなかった。不幸ながらも謙虚に幸せを楽しんでいた深月に、報われない運命を与えて楽しむドSクソ野郎だ。


「――いますか」


 と、背後から不意の声。

 瞬間、神経が尖る。


 ――この場所には深月を殺した奴がいる。


 直線の通路に隠れる場所はない。

「誰かいますか?」

 女の声だった。

 逃げようと思うが、駆け出せば足音でばれる。

 深月を背負って逃げ切れるだろうか。

 行動不能に陥る。

「あっ、いた」

 声に敵性は感じない。

 だが友好的に近づいては殺しにくるサイコパスかもしれない。


「こんにちは、びっくりしたでしょう。みんな最初はそうだから気にすることないわ」


 地下76階に軽い声が響く。

 女は黒のスカートスーツを凛々しく決めていて、就活中の女子大生のようだった。

 面食らっていると、女は「あれ?」と、背中の深月に気がついた。

「お友達?」

 能天気な女に苛立つ。

「……死んでるんです」

「え、うそ。なんでこんなとこで死んじゃったの?」

 女の声はあくまで軽い。

「あらホントだ。死んでるわ、これ」

殴ろう、と思ったが、深月を背負っているから手が出せなかった。

 浴びせるべき罵声も浮かばない。

「とりあえず街に行きましょうか」と女は踵を返す。

「ついてきて」


 ――街?


 疑問があるけど、今は従うしかない。

 女を見失わないように追いかける。

 ずんずん進む女は、俺に質問する隙を与えない。

 来ればわかると言わんばかりに進んでいく。

 曲がり角で二度見失いそうになり、三度目の先に、凱旋門の縮小模倣じみた扉があった。

 扉を開いた光景に俺は絶句する。


 ――地下76階?


 街が広がっていた。

 街を照らす空は明るい。

 とても地下とは思えない。


 ――じゃ、ここはいったいどこなんだ。


 街並みはどこか、欧州を真似て作った風の嘘くささがある。

 日本人の姿が多いから、やはり日本なのだろうか。

 だとしたら、東京ドイツ村や大阪アメリカ村の類のテーマパークなのだろうか。

 だとしたら、さっきの迷宮はテーマパークのアトラクション的な迷路なのだろうか。

 だとしたらなんで深月が。なんで俺が。誰が。いったい。どうやって。

 疑問が止めどなく溢れる。


「扉ちゃんと閉めてね」


 女が向かう先には、大聖堂じみた教会が見える。

 俺が背負う亡骸を、街の人々が気にする様子はない。

 ああ教会にいくのね、程度の視線を向けられるだけだった。

 教会は色々な建築様式が混じっていて、でたらめなファンタジーを思わせた。

 壮大だが、あくまで厳粛な祭壇に圧倒される。

 その静謐の下で、司祭が膝を折っていた。

 こっちに気づいた司祭が立ち上がり、振り返る。

 少女の顔だった。

「ああ……また亡くなられたのですね」

 背負われた深月の意味を、少女はすぐに理解したようだった。

一途いちずさま、お願いしてもよろしいですか」

 かしずく女から、軽い口調は消えている。

「勿論です」

 豪奢な法衣に不似合いのあどけない声。

 歳は同じくらいだろうか。どこかの法王のコスプレみたいだ、と思うけれど、コスプレの域に甘んじていなかったのは、少女にそこはかとない神性が漂っていたからだった。過ぎた清純派、と言っては俗っぽいだろうか。

「そこに寝かせてください」

 言われるがまま、祭壇前の台座に深月を横たえる。

 少女は祭壇に向かって膝を折り、祈りを捧げ始める。


 ――深月は天に召されるのか……。


 言葉がない。理解を超える事態が膨大に起きて混乱している。

 混乱している中でも確かなのは、握っている深月の手がとても冷たいことだった。

 涙が出ないのは、泣いてしまえばこの馬鹿げた現実を認めることになる気がしたからだった。

 前触れもなく、深月の上体がむくりと起きあがった。

 きょろきょろ首を振って、目を見開いて言う。


「あー、死んだかと思った」

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