Doubt it
65階に上がるとすぐに、左に折れる道があった。
直進と左、進路が二つに分かれている。
左の道の突き当たりには扉が見えた。
デジャヴを感じて、マップを開く。
やはり『扉はダミー、手前にデストラップ』と書いてあった。
「75階にもあったよね。こんな罠」
「性懲りもなく同じ手か……」
二度目となれば誰しも警戒する。
シチュエーションが同じなら尚更だ。
この迷宮は人を罠に嵌めようという努力が少し足りないんじゃないだろうか。
――と、進行方向から這うように接近してくる影があって、身構える。
対峙したそれはワニの姿をしていた。
相変わらず可愛らしくて、あまり強そうには見えないのだけど、やはりワニはワニ。大きさはタナの身長くらいある。
「次はわたしにやらせて」と深月は意気込んだものの、トラバサミのごとく開閉する牙と、意外にも素早い匍匐前進に意気消沈した。
ワニに追い回されて、深月は逃げる。
俺は慌てて、さらに後ろからワニを追いかける。振りかぶってワニの躰を叩く。ワニが振り向こうとするさらにその隙をついて頭を叩く。するとワニは口をぱかっと開いて、ごろんと転がる。
そのまますうーっと、ワニは消えてしまった。
「今のモンスターはちょっと危なくなかった?」
深月は胸をなで下ろしている。
「上の階ほどモンスターが強くなったりすんのかな?」
スライムなんかに比べて確実に手強くなっている。
深月が意図せず囮になってくれたから楽に倒せたものの、あれと一対一は少し恐い気がする。
「どうなんだろうねー」と深月も首を捻る。
色々と情報が足りない気がした。
59階から先がどうなっているのかもわからない。
気が進まないが、やはり酒場で情報交換をする必要がある。
そもそも今日の探検は、三人だけでも迷宮を上っていけそうかの小手調べにすぎなかった。
帰路ではモンスターに出会わなかった。
「あちしは先におうち帰ってるよ」
迷宮を出ると、タナが言った。酒場は嫌なのかもしれない。
「一人で大丈夫か?」
「うん。東の森でなんか食べてくる」
なんだか野生児みたいだ。
「ごめんな。おみやげ持って帰るから」
「だんごな」
言い残してタナはすたすた駆けていく。
ごめん、たぶんだんごは無理だ。
「おかえりなさいませー」
酒場ではキリエがメイド喫茶の口調で迎えてくれる。
「迷宮探索お疲れさまですー、有意義な探索でしたか? こちらに帰還時間をお願いしますー」
差し出された「入宮届」の帰還時間の欄に一三時四五分と記入する。
迷宮を出入りする際は、「入宮届」を書く必要がある。
登山する際の入山届けみたいなものだ。
ギルドはこれで行方不明者を管理しているらしかった。
「創哉さん、何か食べていきますか?」
「お願い」と答える。
深月と二人、昨日と同じカウンター席に座った。
昨日と変わらず酒場は大盛況で、やはり昨日と同じ集団が、同じ席で、同じ――かどうかはわからないが――酒を飲んでいた。
集団の方でもこちらを気にしている気配があって、ちらちらと視線を感じる。
格好だけは冒険者が居並ぶ酒場で、魔法少女のスカートは少し短い。
「誰に話を訊こうね……」と言いながら、魔法少女は明らかに乗り気じゃなかった。
「どうしたもんかな」
皆酔っていて、テンションが普通じゃなくて、あまりお近づきになりたくない。
どいつもこいつも信用できる感じがしない。
信用できるのは誰なんだろうか。
途方に暮れていたら「お二人とも目付きが不審ですよー」と、水を運んできたキリエが笑った。
信用できそうな人間――。
「キリエちゃんって、迷宮のことに詳しい?」
「やだー私を誰だと思ってるんですかー。ギルドの受付嬢ですよー」
ギルドの人間は迷宮で何か情報を得た場合、カウンターの受付嬢に報告する決まりになっている。
彼女たちが情報を整理して、掲示板に張り出したり、マップにしたりすることによって、ギルド全員が情報を共有するシステムだった。
「私たちが迷宮に詳しくないはずないじゃないですかー」
上の階には全然行ったことないんですけどー、とキリエは笑った。
「良かったー。なんだかここの人たちって話しかけづらくって!」
気を許した深月の声は大きい。
周囲の視線が集まる。
「おい、ねえちゃんそれはどういう意味だ」
酔っぱらいがジョッキ片手に絡んでくる。
厳つい中年男は、例の「同じ集団」のひとりだった。
「ねえちゃんなら、いくらでも話を教えてやるってのに」
「本当ですか?」
「ああ、今晩ゆっくりどうよ」
わかるだろ、といった感じで男はにやりと笑う。
なにやら腰も前後に動く。
――最悪だ。
男は馴れ馴れしく深月の隣に陣取る。
俺は深月の手を引いて、俺の逆隣に移動させる。
「おう、こらてめえ、俺はねえちゃんと仲良くしたいんだ」
これは揉めるだろうか。
俺がうんざりしかけたとき――
「こらー、外崎さんー」キリエが窘めてくれた。「それはセクハラですよー。私たちと同じ感覚でしては駄目ですー」
「そうかー? キリエと同じことしたら駄目かー?」
外崎は汚い声で笑いながら、キリエの尻を右手で撫でる。
可愛らしいキリエに突然繰り出された痴漢行為が、俺には衝撃的だったのだけれど、彼女が動じる様子はなかった。
「もうー。二人は迷宮の事について訊きたいんですって、外崎さん教えてあげてくださいよー。実際見てきてるじゃないですかー」
「今さら何教えろってんだよ。あんなイカサマ迷宮」
「イカサマ迷宮?」
「ああ、あんなもんイカサマだぜ。どうしたって出れねえんだからよ」
「出れないって……どうしてですか」
「ねえんだよ、階段が。59階に行く階段がねえんだ」
――階段がない?
「見落としてるだけじゃないですか?」
「おうてめえ」と外崎が凄んだ。「ここのギルメンが何か月階段探してると思ってんだ。昨日おとつい来たばっかの兄ちゃんがナメた口利くんじゃねえよ」
剣幕に怯む。真面目な話らしかった。
「階段が見つからないのは事実なんです」とキリエ。「でもきっとどこかにあるはずなんです。諦めないで探してる人もいるんですけど……」
「俺はもう諦めたぜ」外崎はジョッキを傾ける。「これも全部一途の野郎の策略なんだ。やつは俺たちを外に出す気なんてハナからねえんだよ。飲まずにやってられるかってんだ!」
酒場に漂う退廃的な空気をようやく理解した。
脱出の道を断たれ、皆心折れている。
外崎の愚痴は続く。
「しかも最近になって、モンスターまでうろちょろしだしやがった。76階を脱出する人間が増えたから一途が配置したんだって、もっぱらの噂だぜ。モンスターは上に行くほど強くなりやがる。一途は俺たちを殺すつもりなんだ。あいつは俺たちが死体になって76階に戻ってくるのを待ってやがるんだ。お願いだから生き返らせてくだせえって具合に、俺たちが跪くのを待っていやがるんだ」
一途に頭を下げるなんて冗談じゃねえ、と外崎はひときわ激昂する。
「だから脱出なんてもう流行らねえよ。やめだ。諦めてここで楽しむのが正解なんだ。酒もあるし女もいる」
外崎はジョッキを傾け、カウンターの受付嬢たちを見る。
「楽しむもんは山ほどある」
角の暗がりに、酒とは違う酔い方をする一団がいる。
「だから、兄ちゃんらも変な希望は捨てることだ。諦めちまえばここもそんなに悪かねえよ」




