Talk it ――地下66階の街
地下66階は土漠の街だった。
石造りの家並みは白で統一され、みな律儀に角張っていて、中東辺りの街並みを思わせる。土の地面は砂っぽいけれど、道は舗装されていて歩きやすい。迷宮から北に向かってメインの通りが伸び、広場につながるのは76階と変わりないが、そこに豪奢な聖堂はなかった。
「こんなに早く着いたのも、あちしの大活躍のおかげだな」
ご機嫌のタナは「ずばーん」とロッドを一振り、スライムにとどめを刺す再現をしてみせる。
タナがとどめを刺したスライムは、バケツゼリー青リンゴ味に丸い目がくっついたみたいな風貌をしていて、「モンスター」の響きとかけ離れた可愛らしさがあった。
「私が見てれば問題ないわ」という矢夜也の指導の下、タナは「うわー」「きゃー」とヒットアンドアウェイ戦法で、ぽくぽくスライムを叩く。とどめを刺し終えると、まるでテーマパークのアトラクションでもクリアしたみたいに「これたのしいな!」と言ってのけた。
他にも巨大なカナブンや芋虫が現れたけれど、タナは「虫はちょっときもいね……」。
それでも俺には十分可愛らしく見えて、矢夜也の刀でばさばさ切り捨てられる虫たちを、少し可哀想にさえ思った。
結局、66階にはたった一時間ほどで着いてしまった。
「あそこが脱出者ギルドよ」
矢夜也が指す先には、ひときわ大きい箱形の建物がある。
街に着くなりチャドルで顔と身体を覆った矢夜也は、イスラムの女性みたいだった。
「私がこの街にいるのはまずいから」と言う矢夜也は、その風貌を隠す必要があるらしかった。
「――私はここまでね。深月ちゃんをちゃんと連れ戻すのよ」
「え、一緒に来てくれるんじゃないんですか?」
「言ったじゃない、私がいるのはまずいって。こんな格好でギルドに行ったらさすがにバレるわ」
バレたらどうなるというのか。
そもそもなんでまずいのだろうか。
「さっきの死体も早く引き上げてあげなきゃだし、私は行かなきゃ。帰り道はノートがあれば問題ないでしょ」
しっかりねー、と矢夜也は踵を返して行ってしまう。質問する隙がなかった。
「そーやくん、あちしがいれば心配ごむようだぞ」
タナが自慢のロッドを振り回しながら言う。
だが、脱走者ギルド連はロッドでずばーんというわけにはいかないと思うのだ。
近くで見る箱形構造物は、建物というより施設という言葉が似合った。
無機質で、美術の立体作品みたいで、どことなく宗教的な感じがする。
その閉鎖的な外観を裏切って、門扉は開け放たれていた。
タナを外で待たせて覗く。中は酒場の造りになっていて、昼間っから酒の臭いが漂っている。その盛況ぶりは真菜さん食堂に劣らない。
「――どうしました?」と、声をかけられた。
見るとバーカウンターとは別に、受付カウンターじみたスペースがあって、そこに女の子が二人座っている。ぱっと見の印象は、大人っぽい子と子どもっぽい子。受付嬢風。胸の名札には「マリエ」「キリエ」と書いてある。
「もしかして、新規の脱走希望者ですか?」子どもっぽい方――キリエが訊いてきた。
「え、あ、はい。そうです」
嘘をついた方がいい気がした。
「湯田さんの紹介?」
「いえ、違うんですが……」
えー、一人で来たんですかー。すごーい。めずらしー。一緒に攻略がんばりましょうねー。と、二人がかりで褒めそやされて、攻略頑張っちゃおうかな、とちょっと揺らぐ。
「なんだい。兄ちゃんばっかしモテてずるいねぇ」
近くのテーブルにいた男に冷やかされる。同席の三人が下品に笑った。みんな酔っぱらっている。
「あ、お兄さんのお名前を教えてください」
と、キリエが訊いてくるのはプライベートではなく、名簿に登録する必要があるらしかった。
脱走者ギルド名簿。
名前だけなら問題ないと思い、教える。
「あのー、深月って子がギルドに来ませんでしたか」
「みづき? マリエちゃん知ってる?」
「あ、さっき来たばっかりの子じゃない」
キリエは手元の名簿に目を落として「あー、あの子」
「お兄さんの彼女ですかー?」
「いや、その子がどこにいるか知りたいんですけど」
「えーと。ギルドの仲間とは言っても、そういう個人情報は教えられないことになってるんです。ストーカーとかヤバいですから」
残念だけど、真っ当な対応だろう。そう簡単にはいかないか。
「ここで待っていれば、そのうち会えると思いますよ。迷宮を攻略するときはみんなここで仲間を探しますから」
この酒場の喧噪の中に、タナを入れるのは躊躇われる。
「いや、街の散策もかねてその辺を探してみます」
「それがいいかもですねー。ついでに住むおうち探しもするといいですよ」
「住宅街ってどの辺ですか?」
「少し西の方ですよ。街の造りは基本的に76階と同じなんです。北の山、東の森、西の海。あ、住む家が決まったら教えてくださいね。住所も登録しないとだから」
またきてくださいねーと、人好きのする笑みで見送られ、酒場を後にする。
可愛い子に人懐こくされると、なんだか得した気分になる。
「タナ、行くぞ」
タナはロッドの柄で地面に何やら模様を書いていた。
円が何重にも重なって描かれている。
「的?」
「これはねー。げんし」
「げんし?」
俺の知ってる原子は、こんな鳥よけ目玉みたいなやつじゃなかった。
「あんねー。原子の中には原子核と電子があって、原子核の中には陽子と中性子があるの。さらにその中には素粒子があるの」
「よく知ってるな」
原子を習うのは中学だっけと考えて、タナは少なくとも中学生以上らしいと知る。
いや、小学校で習うんだったか?
「世界は原子で成り立ってるんだよー」
にししし笑いながら、タナは目の間の広場に駆けて行ってしまう。
授業で習ったことを自慢したかったんだろうか。小さな子には良くあることだ。
広場は川が袈裟切りに流れ込んでいて、中央に大きな泉を作っていた。
水が豊富なせいか広場は緑に包まれている。
オアシスみたいだ、と周辺の土の風景と比較して思ったけれど、よくよく考えればまごうことなきオアシスだった。本物のオアシスなんて初めて見た。
「そーやくん、おなかすいた」
タナは泉の周辺に展開された露天を恨めしそうに眺めている。
そう言えば、昼をまだ食べていない。
露天には野菜、果物、肉、魚、調理品、衣料品、生活小物、様々なものが並んでいてフリーマーケットの風情がある。
「タナ、なに食べたい?」
「だんごっ!」
「だんごはないかなー」
「じゃあみたらしっ!」
「それもだんごだなー。タナはだんご好きなのか?」
「あんこも好きっ!」
「じゃあ俺はごまかなー」
「あ、ずるい! じゃ……きなこっ!」
ずんだ、三色、焼きだんご、となぜかだんごの種類古今東西になりながら、露天を見て歩く。
露天は物々交換が基本らしく、この街は善意だけでは成り立たないらしかった。
でもこれが普通なのだ。善意だけで成り立つ方が特殊なのだ。
頭を下げてなんとか貰えたのは、試食用のナツメヤシだった。
貰ったもののナツメヤシってなんだ、と思う。砂糖漬けらしいそれをタナに与える。
「……そーやくんはたべないのか?」
五個中四個食べた時点で、タナは罪悪感に襲われたらしかった。
「タナが全部食べていいよ」
一食くらい抜いても平気だ。
「そーやくんは優しいな。でもやっぱしそーやくんも食べたほうがいい。ほれ」
「これって、うまいの?」
「んまんまよー」
でかい干しぶどうじみたそれを口に運ぶ。不思議な味だ。
何かに似ている、と記憶の奥からようやく掘り返した味覚は干し柿だった。
うまい。