旅の終わり
キャンパスの芝生に寝転びがち
翌朝、出発の前に首都を少し観光していくことにした。郊外のホテルから街中に彼女を走らせる。今日も彼女はご機嫌だ。
北の首都は整然としていた。道路は広くて真っ直ぐで、十字に交差している。駅の近くには、大きなビルが立ち並び、駅前には巨大なキャンパスがあった。キャンパスは開放されていたので、中を走ってみた。厳密には開放されていたのかはわからないけれど、とにかく自由に出入りして問題無さそうだった。
朝のキャンパスは人通りが少なく、静まり返っていた。沿道のイチョウ並木がとても綺麗だ。だけど、こんなにイチョウを植えたら秋には銀杏が沢山落ちて酷いことになりそうだと少し心配になった。頭の良い人たちは落ちた銀杏もスマートに処理するのかもしれない。今の僕はただこの綺麗な風景の恩恵だけを預かった。
少し芝生に寝転がってみると、朝日がイチョウの葉に透けて見えた。芝生の香りが胸に広がる。僕も勉強ができたら、この芝生で寝転がりながら本を読むような毎日が送れたのかもしれない。それはきっととても素敵な日々だろう。
芝生と朝日の心地よさは、僕にもっと勉強を頑張っていればと後悔させるには十分過ぎるほどだった。今からでも頑張って勉強しようかとも思った。だけど、大学に通う学費の当てがない。交代勤務だから、働きながら通える夜間大学みたいなのも難しい。そもそもそんなものがあるのかわからない。だけど、僕はこのキャンパスと言うものに、どうしても惹かれてしまった。まだ諦めるには若いように思えるし、もう歳をとりすぎているようにも思える。
深呼吸して芝生の香りを吸い込みながら少し考えた結果、僕はまだ若いのだという思いが僅差で勝った。旅から帰ったら、大学受験について調べてみよう。もしかすると、学費は意外と安いかもしれないし、二十歳を越えた人が入学するのも珍しいことじゃないかもしれない。自分には無理だと決めるのは、それからでも遅くないだろう。
柄にもなく、少し暑苦しいことを考えてしまって、なんだか少し照れ臭い気持ちになった僕はさっさと今日の目的地に向かって出発した。この街を出て、ただただ北へ向かう。目指すは北端の岬だ。
街の郊外には、やっぱりコンクリート打ちっぱなしの灰色の建物が並んでいた。飾り気がないのが良いのだろうか。それとも政府がカラフルな建物を規制しているのだろうか。ただの旅人の僕からすれば異国情緒があると思えるけれど、住むとなったら何だか寒々しくて暗い気分になりそうだ。
そんなことを考えながら郊外を走り抜けていく。今日も天気は快晴だ。本当に天気に恵まれたと思う。
郊外のコンクリート地帯を抜けると、地平線まで田園風景が続いていた。見渡す限りと言うのは、こう言うときに使うのだろうなと、独り得心したほどだ。
本当にどこまでいっても農場と牧草地が続いていた。丘を越える度に同じような風景が現れる。北の国が連邦の食糧庫なんて言われていた理由がよくわかった。
本当の本当にどこまでも同じような風景が続いた。一時間以上、風に揺れる若い稲穂と臭いたつ牧舎ばかりが目に入った。気付けばスピードを出しすぎていたりと、何ともペースを乱される。
海岸線の道も同じような景色が続いたのに、全然飽きなかった。なにがそんなに違うんだろう。考えたけれど答えは出なかった。ただ僕は海が好きなんだと言うことがわかっただけでも、収穫なのかもしれない。頭の良い人たちは、こう言うときにちゃんと理由を見いだせるんだろうか。大学に行って勉強すれば、言葉にすることができるようになるんだろうか。
なんだか大学に行くのが決まり事のように考えている自分に驚いた。今日のキャンパスでの数十分が、そんなに僕に大きな影響を与えているとは思わなかった。僕はどうかしてしまったのだろうか。
さらに数十分走り続けて、田園地帯を抜け市街地に入ったところで、ハンバーガーショップが目に入ったので、昼食をとることにした。いつものハンバーガーを食べるといつも通りに美味しい。僕はいつも通りだ。
ハンバーガーショップを出て、街の案内所まで行くと、はげちょろけた案内図があり、岬まで三十分とあった。
コーラを一気飲みすると、僕は最後の旅に出発した。海を左手に見ながら、のんびりと走らせる。これで旅も終わりかと思いながら、これまでの旅を思い出していた。発電所の並ぶ景色、詩人の島、黄金の寺院、海岸線の道、初夏の木陰の道、イチョウ並木のキャンパス、地平線まで続く田園風景。どれも今まで見たことがない景色だった。最果ての岬は、これらの景色よりも美しい景色なのだろうか。僕はこの旅の終わりになのを得られるのだろうか。ただ楽しかったと言うだけで終わるのだろうか。なにか意味を見いださなければならないと言う訳でも無いけれど、折角だからなにかを持って帰りたい。僕は欲張りなのだろうか。
そうしてついに僕は岬についた。僕は彼女を道の端に停めた。
「行ってくるよ」
彼女に一声かけて僕は最北端に向けて歩み出した。
いま僕の目の前には水平線が横たわっている。太陽は少し傾いているが、勢いは衰えずさんさんと日光を降らせていた。水平線の少し上に浮かぶ雲は染みひとつ無い白で悠々と空を泳いでいる。波は穏やかで白波ひとつたたせず、ゆらゆらとしていた。
美しい。本当に美しい。いつまでもいつまでも見ていられる。僕はぼうっと景色を見ながら、ただ立ち尽くしていた。そうしているうちに、僕の目から涙が溢れていた。
それはただ、眼前の風景の美しさに感動したからではなかった。もちろん風景の美しさが胸を打ったのは間違いない。だけど、それだけではなくて、初めての旅を終えた達成感や見てきた様々な景色、見知らぬ街の街並み、各地で食べた食べ物の味、初めてのずる休み、彼女との出会い、工場での仕事……
様々な思い出が頭のなかをぐるぐるして、僕の目から涙になって流れ出てきた。
そうして立ち尽くして、どれほど時間が経ったかわからない。日は傾き午後と言うよりは夕方と言える景色になっていた。
結局、死んでもいいと思うことなんて無かった。だけど、ぼんやりとした死にたいと言う気持ちはどこかへ行ってしまった。僕はこの旅で色んな事を知ってしまった。今は次の旅先や大学のことで頭がいっぱいだ。
「アメリカ本土の大学に留学してみようか。そのときは君も一緒だよ。でもその前に、この日焼けの言い訳を考えないとなぁ」
そんなことを彼女に語りかけながら僕は北端の宗谷岬をあとにした。
旧ソ連領:北日本
合衆国領:日本自治州
旅していたのは架空の日本でした。
国境を越えさせたかったのと
異国感を出させたかったので分断統治した。
反省はしていない。