北の島を駆けて
若者はよく眠りがち
翌日早朝、僕は朝食をとるために魚市場に向かった。様々な魚介類が少し狭い通路の両側にところ狭しと並んでいた。捌かれる前の魚もあればサシミ状になったものや料理されたものもあった。この市場では、観光客向けにシーフードを小分けにして売っている。様々な種類のシーフードを買って食べるもよし、好きなものを飽きるほど食べても良しとなっている。
僕はハンバーガー程ではないがシーフードも好きだ。今日はここで新鮮なツナのサシミを嫌になるほど食べようと思う。ほとんどの商店でツナを扱っているが、僕には良いものと悪いものの区別がつかない。通路を一往復してじろじろと見て回ったが、結局よくわからなかった。なのでえいやと優しそうなお婆さんが店番をしている店で買うことにした。チュウトロを三きれと赤身を沢山買った。十センチ角ぐらいのプラスチックのパックに二層になるぐらいだ。醤油とワサビもオマケでもらった。
早速食べるためのテーブルは探すと市場の奥まったところにまとまった数のテーブルがあった。椅子はお酒のケースだったが、ぐらぐらせず座り心地は悪くない。多少お尻が痛いが、長居するような場所では無いから大丈夫だ。
まずは赤身を食べてみる。うん、悪くない。臭みがなくて食べやすい。多少、筋があるが気にならない。これならいくらでも食べられる。
次にチュウトロを食べてみる。おお! これは美味しい。脂が口のなかでとろけて、さらっと消えていく。生臭さもなく、ほのかな甘味がある。いままで食べてきたツナの中で一番かもしれない。
美味しすぎてがっついていると、すぐに無くなってしまった。結構な量を買ったつもりだったけれど意外にお腹は膨れなかった。少々ケチな僕は少しの空腹は我慢して、出発することにした。お昼にポテトのLサイズを食べれば、たぶん問題ない。
市場を後にし、ホテルのチェックアウトを済ませると彼女をつれてフェリーターミナルに向かった。海底トンネルもあるけれど、鉄道専用だ。車やバイクを渡すためにはフェリーに乗らなければならない。
ターミナルは白い四角の建物だった。左手に大きな駐車場があり、フェリーを待つ自動車やバイクが数十台ほど停まっている。前面のガラス窓はきれいに磨かれていて、この国にしては珍しく小綺麗な建物だった。潮の香りが漂っていて、海風が心地よい。だけど、この海風は彼女には毒だ。早くフェリーに乗せてしまいたかった。
それほど賑わっていない待合室で待つこと二十分ほどで出航の時間となった。係員に促されるままに彼女を堤防まで連れていった。船尾が大きく開いて堤防とフェリーの間に仮設の橋ができていた。その橋を渡って彼女と一緒に船底に入っていった。船底には既に自動車が、ぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。どうやって乗り降りしたのだろうか。どうやって降ろすのだろうかと疑問に思いながら船底の側壁近くに彼女を停めた。
金属製の階段を登ってデッキに出た。このまま海を眺めるのも良さそうだとも思ったが、まずは船室で一休みすることにした。二等船室は椅子室と雑魚寝室がある。追加料金を払えば個室の一等船室も選べるが、たかだか数時間のために追加料金を払う気はおきない。
僕は雑魚寝室の青いカーペットの上に荷物を下ろし、仮眠をとることにした。二日連続で走りっぱなしだったのと、今朝が早かったので眠気があったからだ。眠いまま走って事故を起こしたら目も当てられない。だから休めるうちに休もうと思った。少しだけ眠って海の景色を楽しむと決めて、衣服を丸めて枕にして横になると、僕はすぐに眠りについてしまった。
ずずんと大きな音が鳴り、船が揺れて、僕は目を覚ました。何事かと窓から外を見ると、見知らぬ堤防に船が着岸したところだった。どうやら僕は数時間ぐっすりと眠っていたようだ。自分が思っているよりもずっと疲れていたのだろう。
僕は少し残念な気持ちになった。僕は海が好きだ。今日のような真っ青な空の日に、海は本当の魅力をさらけ出してくれる。初めての外国の海は、もしかしたら僕に、かつて無い感動を与えてくれたかもしれない。それなのに僕は眠りこけてしまっていた。なんてもったいない事をしたんだろう。
過ぎてしまった事は仕方がない。帰りの楽しみが増えたと思えば良いのだ。と、自分に言い聞かせてみるも、いまいち気分が晴れないまま、僕はまた彼女に乗って出発した。
僕のそんな気持ちをよそに彼女は今日も絶好調だ。むしろ初日からどんどん気分が揚がっていっているように思う。
「今日も上機嫌だね」
と呟いてフロントパネルを撫でる。愛着をもって接すると、機械はそれに応えてくれる。工場で働きながら学んだ数少ない知識の一つだ。頭のいい人たちは、そんなことあるはずがないって思うんだろうけど、本当なんだ。工場の上長も他のおっちゃん達も言っていた。だから僕は彼女の事を大切に大切に扱う。彼女は外国からやって来て大変かもしれないけれど、僕の言うことを聞いてくれる。バイクの事をじゃじゃ馬だなんて言う人もいるけれど、僕の彼女はとてもおしとやかだ。わがままと言えば、ハイオクガソリンを沢山飲みたがる事だけだ。
海を右手に山沿いの海岸線を走っていく。やっぱり海は良い。さっきまでの残念な気持ちは、どこか後ろの方に置去りになっていた。風を感じながら彼女と見る海はとても躍動感がある。雲や沖の小島が、どんどん後ろに流れていって一瞬たりとも同じ景色は無い。波が、ざざんざざんと一定のリズムを刻んでいる。そんな波の音色と爽やかな風、そして彼女のエンジン音が海の風景に命を吹き込んでいた。
そんな絶景を見ながら、延々と海沿いの道を走っていく。海岸線に遮られた先には、また海が現れる。水平線に吸い込まれそうになる目線を道に戻すのは骨が折れた。
ほんとうに絶景だったと思う。いくら見ても飽きなかった。だけど空腹には勝てなかった。休憩所に立ち寄ってハンバーガーとホタテの串焼きを食べた。ホタテは今まで見たこと無いほどの大きさで、口のなかでホロホロとほどけ、海の香りが口一杯に広がって、とても美味しかった。ハンバーガーは常に正解なので言うことがない。みんな違ってみんな良いんだ。
お腹が膨らんだところで再出発だ。海岸線の道をしばらく走ると、道は徐々に内陸に入っていった。海への名残惜しい気持ちを抑えながら、次の目的地である北の国の首都へ走っていった。
今までの明るくきらきらとした道から、木陰の落ち着いた道に変わっていった。道は、初夏のエメラルドグリーンの木陰に彩られていく。山道と集落とが代わる代わる現れる。集落の先には農場や牧舎が見えた。
集落近くの道を走っていると戦車の一団とすれ違った。うちの国では駐屯基地以外で軍隊なんて見ることは無い。せいぜいが戦闘機が空を飛んでいるくらいだ。だけどこの国では戦車が普通に道を走っている。驚きだった。
だけどこんな風景は、ここでは珍しいことじゃないらしい。ケヒケヒケヒとキャタピラを鳴らしながら走る戦車に誰も注目していないし、牛だって気にせず牧草を食べている。鶏舎からは、けたたましい鳴き声が聞こえる。とても自然に生活に溶け込んでいた。
僕にとっては非日常の戦車も、この国ではただの日常の一風景に過ぎないらしい。こういう文化の違いを肌に感じられるのが旅の醍醐味の一つかもしれない。面白いなと思いながら、僕は北の首都についた。
冬は雪で閉ざされると言う、この街も今は青々としている。ここからならば明日には、島の北端までたどり着ける。なにか特別なことなんてあるはずもないと頭では分かっている。だけど、彼女と行けるところまで行ってみたい。もしかしたら何か世界が変わるような出会いがあるかもしれない。女の子と仲良くなったりとか……
そんな、なんの根拠もない淡い期待を胸に、僕は名物のラム肉を頬張った。
若者は旅に夢見がち