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北へ

若者は焦りがち

 僕はその場で姫様の購入を決めた。男らしく12回払いにした。店員は、僕の勢いに少し戸惑っていたが、気にしない。きっと明日にでも、この姫様はどこかの不逞の輩に連れ去られてしまうに違いない。そう思われて不安で仕方なかった。


 書類やら何やらを色々と用意するように言われたので、すぐさま役所に行って書類を貰ってきた。そのまま乗って帰れるのかと思ったが、登録だとかで1週間必要だと言われた。すこしがっかりしたが、頭金やら手数料やらを払ってしまったので、少なくとも不逞の輩に横取りされる恐れはなくなった。あとは待つだけだ。


 ただ何もせず、1週間も過ごすには僕は若かった。余暇の過ごし方を知らなかった。テレビを見たり読書をしたりで1週間も家で過ごすのは勿体なく感じて仕方なかった。結局、僕はずる休みするつもりだった工場にちゃんと行くことにした。今回の遅番が終わったら、その翌日が納車予定日だった。


 仕事中も頭の中は、姫様のことで頭がいっぱいだった。どんなエンジン音なんだろう、どんな速さで僕を運んでくれるのだろう、どんな風切り音をたてるのだろう、バイクに乗っている僕を見て町の人はどう思うんだろう、どこへ行こう、どこまで行こう、どこまで行けるだろう、色々なわくわくが僕の頭を支配した。仕事は全然手につかなかった、だけど、こういう時に限って工場の機械たちは大人しかった。日頃の僕の頑張りを神様が見ていてくださったのだろうと、仕事終わりに珍しく自発的に祈りを捧げた。


 

 待ちに待った納車日が来た。前と同じバスに乗り中心街へ向かう。心なしかいつもよりも景色が鮮やかに見えた。僕の心が高揚しているからだろうか。


 くだんのバイク店に行き、契約書類やらを見せられた後、バイクについて一通りの説明を受けた。だけど、ほとんど頭に入ってこなかった。姫様の円らな瞳しか僕の目には映っていなかった。


 バイク店の前で彼女に乗り、エンジンをかけて、アクセルを回した。想像していたよりも何倍も彼女は走り屋だった。バイク教習で乗っていたオンボロとは全然違った。アクセルを軽く回してあげるだけで、どんどん加速してくれた。アクセルを回しすぎると、僕の身体は置いて行かれそうになった。


 こうして僕と彼女の行く当てもない旅が始まった。当てもないままに北へ向かった。南でも北でもどちらでもよかったのだけれど、行けるところまで、そう()まで行ってみたかった。


 幹線道路をとにかく北進した。ちょっとカーブを曲がったり、ストレートで急加速してみたり、ただそれだけで楽しかった。乗り心地も良くて走っても走っても全然疲れない。彼女のシートは革張りで、お金持ちの家のソファーに座っている気分だった。彼女と一体となった僕は、陳腐な表現だけれど風になっていたと思う。


 数時間走っていると、あっという間に郡の境どころか北の国との国境までたどり着いてしまった。国境の検問には貨物トラックが行列していた。トラックの運転手たちは、みな退屈そうな顔をしていた。タバコをふかしながら体をゆすっている人、ハンドルをリズミカルに叩いている人、ハンドルに足をかけている人など、とにかく皆が、この行列に辟易しているようだった。


 そんな貨物トラックを尻目に僕は一般旅客のゲートへと向かった。こちらは乗用車が数台並んでいるだけだ。


 列に並び始めて、数十分で僕の番が回ってきた。僕が生まれる前に連邦とやらが崩壊したので、今は比較的自由に行き来できるらしい。ビザとか言うものもいらない、パスポートさえあればいい。いつか外国に旅行しようと、二十歳のときに作ったパスポートが役立つ日が来た。いつ使うんだと自嘲していたけれど、思いのほかすぐに出番がやってきた。


 検問では、所持品をチェックされたが、危険物も関税のかかるものを持ち合わせていない。持っているのは衣服と菓子パン、飲みかけのコーラぐらいだ。だから、チェックはすぐに終わった。


「観光ですか? どちらまで?」


 検問の厳つい顔のおじさんが無表情で聞いてきた。


「ええ、北の首都まで」


 もっと先まで行くかもしれないけど、とりあえず首都には寄るつもりだ。


「そうですか、北の島はバイク旅行には良い季節です。よい旅を!」


 そう言っておじさんは笑顔で親指を立ててくれた。親指を立てるのは万国共通なのかな。昔は、国境に近づくだけで撃ち殺された、なんて聞いたことがあった。だから僕はとても緊張していたので拍子抜けだった。


 海沿いの道を北へ向かう。右手には発電所や工場がたくさん並んでいる。うちの国もそうだけれど、発電所や工場は沿いに作らないといけない決まりでもあるのだろうか。よくわからないけれど、僕はこういう景色が好きだ。煙突から吹き上がる真っ白な煙が、海の上に入道雲を作り出しているみたいだ。海には強い日差しと入道雲が似合う。真っ白と真っ青の二色だけで構成された世界は、絵画から抜け出てきたようだ。そんなハイコントラストの世界に彼女は違和感無く溶け込んでいた。


 そうして走り続けて夕暮れごろ、北の国で一番の都市についた。北の国は貧しいと聞いていたけれど、とてもそうは思えない。僕が住んでいる郡のどこよりも都会だった。途中で買ったコーラの値段はうちの郡とそう変わらなかった。北の国が貧しいのは、本土と比べて貧しいだけなのかもしれない。そしてうちの郡も同じように貧しいのだろう。


 コーラの味は、うちの国の方が何十倍も美味しかった。コーラとハンバーガーの国なんて揶揄されるのも頷ける話だ。北の国のコーラは湿布のような香りがして、とても甘ったるくて同じコーラとは思えなかった。頑張って飲みきったけれど、二度と買わないと思う。コーラの無い旅なんて塩味のしないポテトチップスみたいなものだと思うかもしれないけど、それでも僕はあのコーラを飲みたいとは思えなかった。


 今日はこの街に宿泊することにした。郊外まで走りビジネスホテルを探した。駅前のホテルは僕にはもったいない。鉄道を利用する予定はないから、お金だけ郊外の安宿で十分だ。ユースホステルやゲストハウスとかも旅情があり良いのかもしれないけど、相部屋はあまり好きではない。寮の相部屋生活から脱出したばかりで、また相部屋をしたいとは思えなかった。


 夕食はオイスターを食べた。この県の名物らしい。だけど僕の口には合わなかった。昔からオイスターは苦手だったけど、工場のおっちゃんが上質のオイスターを食べたら好きになると言っていたから挑戦してみた。だけど、オイスターはオイスターだった。ミルキーだとかテレビのタレントは言うけれど、ミルクとは全然似ても似つかない。とても磯臭くて、なんだかほのかに苦い。結局、僕はハンバーガーショップでハンバーガーとコーラを食べた。この国にも、うちの国のハンバーガーショップがあって感動した。やっぱりうちの国のハンバーガーとコーラは世界一だ。


 この日は一日中走り続けて疲れてしまって、ホテルに帰ってすぐに寝ることにした。初めてのユニットバスには少し戸惑ったけど、ネットで事前に予習しておいたから無事に入浴できた。


 ベッドはふかふかでうちのせんべい布団とは大違いだった。ベッドにはいると僕はすぐに眠ってしまった。

若者は食べ物の好みがはっきりしがち

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