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イタリアのお姫様

若者は旅に出がち

『今日は死ぬにはいい日だ』


 そんな言葉を昔どこかで聞いたように思う。僕にも、そんな風に思える日が来るのだろうか。その日が来たら、僕の死にたいと言う漠然とした感情はどうなるのだろうか。


 そんなハッと目が覚めるような世界が、ここではないどこかにあると信じて、僕は果てを目指した。



 高等学校を卒業して、工場で働き始め3年がたった。交代勤務は辛いが、貯金はそれなりに貯まった。本当は貧しい両親へ仕送りでもすべきだったのだろうが、僕はバイクが欲しかった。自分のバイクに乗って旅に出たかったのだ。僕の知っている世界はとてもせまい。この郡から出たことが無い。


 バイクで旅行するなんて知られたら、きっと後ろ指をさされるだろう。毎日、農場や工場に行ってしっかり働いて、休みの日は教会に行って神様にお祈りを捧げる。それが模範であり、道徳だと学校で習った。僕は不良になるのだろうか。でも、本土の人たちはバイクや大きな自動車を乗り回している。きっと本土の人たちはみんな不良なんだろう。


 交代勤務の4日間がとても長く感じた。いつもは、何も考えずに仕事をしていれば済んだが、次の休暇が楽しみで仕方なかった。次の休暇にはバイクを買いに行くのだ。


 勤務明けに、旅行に行くから休みが欲しいと上長にかけあうことにした。上長は堅い人だ、文句を言われるかもしれない。だけど、僕は旅に出ると決めたのだ。


「あのすみません。しばらく、り、旅行に行きたくて、その休みを、休暇を頂けませんか?」


「旅行だぁ? お前もずいぶんと偉くなったもんだな。てめえの代わりなんざ、いくらでもいるんだぞ! 毎日、一生懸命働いて飯を食って納税するのが、この国の男だろうが!」


 一喝されてしまって、僕はなにも言えなくなった。本土の人たちは、バケーションとやらで長い休みがもらえると言うのに、僕たちはいつも工場の都合で働いている。


 僕は投げやりな気持ちになって、次の勤務からずる休みをすることに決めた。工場はクビになってしまうかもしれない。それでもよかった。まだ貯金はあるし、今年から工員寮を出てアパートで独り暮らしを始めていたから、クビになっても生きていく当てはあった。だけど、仕事はやりがいがあったので、少し残念だ。


 働きだしたときは、やかましいアラームと共に赤いランプを回す機械のもとまで走って行ってアラームを止め、上長を呼びに走るのが仕事だった。工場内で走るのは厳禁だったが、走らないと怒られた。僕は本音と建て前と言うものを学んだ。


 上長について回りながら、徐々に機械のなだめ方を覚えていった。今は一人で沢山の機械をなだめることができるようになり、みんなから一目置かれている、と思う。多分。


 本土の人が、開発品だとかを試作するときは、いつも僕が機械を操作する。本土の人が来ているときに走るのは厳禁だった。工場の偉い人たちは、本土の人がくるのをあまり好んではいなかった。生産計画が崩れるからだそうだ。だけど、本土の人が新しい製品を持ってこないと、それはそれで上の人は怒っていた。受注が無くなるからだそうだ。偉い人たちはいつも怒っていた。そんな偉い人たちも、本土の人の前ではへこへことしているのは滑稽だった。偉い人たちは本音と建て前を本当にうまく使い分けていた。


 僕が作っているのはキラキラした何かだ。本土の人はこれを石と呼んでいるが、僕にはとてもじゃないが石には見えない。石だとしても宝石だろう。こんなキラキラと色んな模様を描く石なんて見たことが無い。僕たちが使うモバイルデバイスに入っているらしい。こんなきれいな宝石が入っているから高価なのだろう。モバイルは高価だけれど、無いと不便だ。買い物にも困ってしまう。みんなが僕たちが作っている宝石を持っていると思うと、ちょっぴり誇らしい気分になる。だから、工場をクビになってしまうのは少し寂しかった。


 次の日、僕は中心街のバイク店に足を運んだ。近所のバイク店でもよかったのだけれど、せっかくだから遠出がしたかった。バスに乗って30分ほどで着いた。中心街と言うものの、いつもテレビで映し出されている本土のような煌びやかさは無い。ただ街の若さや熱気は本土に負けていない、と思う。本土では、みんなすまし顔で静かにあるいているが、ここはとてもかしましい。ひっきりなしに通るスクーターや商店主の掛け声、楽しそうに買い物をする若者たち、色々な音が混ざり合っている。工場よりも賑やかだ。


 バイク店を見つけ出すと、深呼吸してから入店した。当たり前だが、中はバイクで一杯だった。バイクにこんなに種類があるなんて知らなかった。ハンドル部分がカマキリみたいなバイクもあった。テレビで本土の人たちが荒野の一本道をこのカマキリバイクで走っていくのを見たことがある。


 ハンドルを握ってみたりしていると、ヒゲを蓄えた中年の店員がずしんずしんと近づいてきた。ただ歩いているだけなのに威嚇されているみたいだ。バイクに無断で触ったのが癪に障ったのだろうか。


「お客さん、どんなバイクをお探しで?」


 意外にも笑顔で応対された、怒ってはいないようだ。ひるみかけていた僕の心が息を吹き返した。


「バイクに乗って旅行したくて、でもバイクの免許を取ってから全然乗ってないんです。」


 そうだ、僕は18歳の時に免許を取ってから一度たりともバイクに乗っていない。ため込んだバイト代をはたいて免許を取ったのにバイクに乗らずに過ごしてきた。もっとも通勤は工員寮と工場を往復するバスが出ていたし、最近引っ越してきたアパートも工場から歩いて通える距離にある。今から買おうとしているバイクは、純粋に旅行のためだけのバイクだ。質素倹約がどうのこうの、と事あるごとに唱える偉い人たちから見れば、僕は今まさに不良への第一歩を歩き出そうとしているのだろう。


「そうですね、当店では初心者の方で遠乗りしたいと言うことであれば、オートマタイプをお勧めしています。こだわりが無いのであればスクータータイプが一番乗りやすいですよ。」


「スクーターです、か。」


 街を走っているバイクの99%ぐらいはスクーターのような気がする。とてもじゃないが不良には成れなさそうだ。


 少し残念な気持ち(?)になりつつ、スクーター売り場に案内された。

 スクーターと一口に言っても種類は様々のようだ。新聞配達で使われている様な、質実剛健と言うべきか飾り気のないものから、なんだか少し大きくてやんちゃそうなものまで幅広く売られていた。改めて僕はバイクについて無知なのだと思った。


 品定めしていると、一台のスクーターに目を奪われた。そのスクーターは、鮮やかな若草色(?)をしていて、なんとなくレトロな見た目をしていた。レトロなんて表現してみたが、レトロの意味なんか知らない。とにかく昔の映画に出てきそうな見た目だった。丸くて大きな可愛らしいヘッドライトが僕をじっと見つめている様に思えた。きっとこのバイクは僕と出会うために、ここにいるに違いない。そう断言したくなるほど、僕はそのバイクの虜になってしまった。


「お客さん、そいつはイタリアのメーカーの輸入品で、人気があるんですよ。街乗りも遠乗りもできる良いバイクです。」


 イタリアと言えば、ヨーロッパの長靴みたいな形をした国だ。僕だってそれくらい知っているし、それしか知らない。店員は、エンジンがどうのこうのや、USBポートがどうのとこうのと言うようなバイクの機能について熱っぽく語ってくれたが、ほとんど右の耳から入って何の処理もされずそのまま左の耳からこぼれていった。


 僕にはカタログスペックやらなにやらで、バイクの良し悪しを判断できるような予備知識なんて持ち合わせていない。ただただ、僕はこのイタリアのお姫様の見た目だけが好みだった。そして、それだけで貯金をはたく価値があると思った。

若者は衝動買いしがち

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