やはり待ち伏せされていました。
久しぶりの学校から帰宅した俺は、晩ご飯を食べ終えていまは風呂に入っていた。
湯船につかりながら、放課後の出来事を思い返す。
まさかあの宵宮さんが、あんなヤバげな本性を隠し持っていたなんて……。
「うがー!
明日から、どうすりゃいいんだよー!」
彼女とは同じクラスなのだ。
嫌でも顔を合わすことになる。
「うぬぬぬぬ……」
俺は目もとまでお湯に沈み、吐き出した息でぶくぶくと泡を鳴らしながら考えこんだ。
いっそもう、記憶喪失が治ったことをバラしてしまおうか。
そうすれば宵宮さんも、俺を騙そうとして近づいてくるのを諦めるかも知れない。
「…………。
……いや、ダメだな」
たぶんもう手遅れだ。
本性を知ってしまった以上、記憶の有無に関わらず、これからも彼女に付き纏われる可能性は大だ。
それに治ったことを周囲にカミングアウトするのは、まだしばらく先にしたい。
だってさぁ。
俺は彩羽の様子を思い返す。
記憶喪失になってからというもの、あの生意気だった彩羽がなんかめっちゃ可愛いんだもの。
今晩の夕飯だって、あいつが下手なりにがんばって作ってくれたのだ。
いや『あーん』して食べさせようとしてくるのだけはどうかと思うけどさ。
とにかくまだ俺は妹と仲良くしていたいし、記憶が戻ったことが知れてまた前のような険悪な仲に戻ることは避けたいのである。
◇
そんなことを考えていると、脱衣所にひとの気配を感じた。
浴室ドアに女性のシルエットが映る。
「い、樹くぅん。
お湯加減はどうかなぁ?」
「おお彩羽か。
問題ないぞ。
いい湯だ」
「そ、そっかぁ……」
会話が途絶えた。
というかこいつ、なにしに脱衣所に来たんだろう。
まさか本当に湯加減を聞きたかったわけではあるまい。
五右衛門風呂でもなし、昨今の風呂はスイッチひとつで温度設定が可能なのだ。
着替えやバスタオルだって忘れてはいない。
「……?
どうした彩羽。
ほかになにかあるのか?」
促すとドア越しのシルエットがもじもじし始めた。
「あ、あのね?
そそそ、その……ね?
あ、あたしたち、許婚で恋人同士だよね?」
まぁそういう設定らしいな。
そういやこいつの設定だと、親父やお袋はどうなってんだろ。
今度それとなく聞いてみようか。
そんな風に考えごとなんかしつつ、俺はのんきに話の続きに耳を傾ける。
すると彩羽のやつが、とんでもないことを言い出した。
「そ、それでね!
こここ恋人なんだし、一緒にお風呂でもどうかなって……!」
「――ぶふぉ⁉︎」
脳天を爪先まで、落雷をみたいな衝撃が駆け抜ける。
は、はぁぁぁぁっっっ!!!?
一緒に風呂だぁぁぁぁ!???
な、なに言ってんだこいつ、トチ狂ってんじゃないだろうな!!
「え、えへへ……。
未来のだんなさまぁ♡
お、お背中、お流ししましょうかぁ?
な、なんちゃってー」
「ぐぉぉぉ……!」
やめろ……!
小っ恥ずかしいことを言うのはやめてくれ!
恥ずか死んでしまうだろうが!
俺は湯船の水をバシャバシャしながら悶えた。
「あ、あ、もちろん水着だよ!
は、ははは裸じゃないからね!
で、でもさ!
もし樹くんが望むなら、あたしは裸でも……」
「ふぁ⁉︎」
なに口走っちゃってんの、この妹⁉︎
いくらなんでも豹変し過ぎだろぅがよぉぉぉ!!
「……ぎ……ぎぎ……。
ぐぐぐ……」
歯を食いしばって叫びたいのを堪える。
「ぐぎぎぎ……!
そ、それはまた、今度な……!」
努めて冷静に返事をした。
「そ、そっかぁ……。
そ、そうだよね!
あはは。
な、なに言ってるんだろうね、あたし!」
まったくだよ!!
なに言ってんだよ!!
「そ、それじゃあ!
長湯しすぎてのぼせないようにね……!」
彩羽が脱衣所から去っていく。
俺は彼女の気配が消えたことを確認してから、ようやく緊張を解き、ずりずりと頭の天辺まで浴槽に沈んだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
翌朝、俺はかなり早めに家を出た。
というのも昨日からずっと気になっていて、確認したいことがあったからだ。
「えっと……。
たしか、ここらだったよな」
このあたりは昨日、通学路で宵宮さんに偶然ばったりあった場所だ。
だが俺はひとつの疑念を抱いていた。
――果たして昨日のあれは、本当に『偶然』だったのだろうか。
物陰に身を潜める。
◇
息を殺して待つこと三十分。
遠くから宵宮さんがてくてく歩いてくる姿が視界に入った。
登校するにはまだ早い時期。
通学路の人影はまばらである。
黒のセーラー服に映える彼女の美しい黒髪が、きらきらの朝陽を反射している。
「しっかし、宵宮さんってマジで綺麗だよなぁ。
…………。
……まぁ。
……見ているだけなら、だけどな」
立ち止まった宵宮さんは、こっそり観察されているとも知らずにキョロキョロと辺りを見回し、サッと物陰に身を隠した。
やはりだ……!
案の定のこの行動。
やはり昨日も待ち伏せされていた!
戦慄した。
お、俺もう完全に、やばいストーカーにロックオンされているっっ!!!!
「……ごくり」
思わず喉を鳴らす。
それと同時に背筋にぶるっと悪寒が走った。
ど、どうする?
というか、これから俺はどう行動すればいいんだ⁉︎
「くっ……!
と、とにかく学校では、なるべくひとりにならないように注意しよう……」
呟いてから俺は、彼女に見つからないよう慎重に身を翻し、来た道を戻って別ルートから登校した。
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