外壁の勢力 ポセイドン 上
店から出てきた男、いや少年は左腰に剣を携えていた。長さにすれば中々の、一般的な、この世界で流通する剣を携えて、町田と河上の前に立った。神山は話を遮られてか、左手に携え肩に添えていた黒鞘を手の内に握りしめて肩から下げると、その少年向かって言葉を返した。
「だったら何だ?」
「けっ、劣性召喚の雑魚が、勘違いしてイキるのもシャクだかるよぉ、ここで終わらせてやるのよ」
少年は、往来にも関わらず腰の剣を抜いた。それを合図に周りの娼婦やら客やらが、悲鳴を上げるかと思えばそうではなかった、慣れた様にその少年と河上、町田より声を出さずに離れたのだ。
異様だった、悲鳴の一つも挙げず、それでいて止める輩も居ない。町田恭二にとっては全く知らない景色に、胸をざわつかせた。
「離れてな、町田」
河上よりそう言われて、町田恭二は半歩後ろに下がった瞬間、河上の気配は変わった。先程まで柔和な、掴み所の無い気配が、まとわりつく様な妖気にまで、変わったのだ。
「名前だけ聞いとこうか、偽物」
河上は少年にそう言う、少年は剣を構えつつ嬉々として口を開いた。
「偽物だぁ?俺は波岸忠信、クラスは剣士、しかもスキルを二つも持った優性召喚でも上位の本物だぜ?それを聞いてまだ偽物だと、イキリスカし厨二野郎がよぉ?」
波岸何某は、河上を前にしてそう罵倒した、サムライ気取ったイキリスカし厨二病患者と、そうであったならどれだけ良かったか、町田恭二は腕を組みながら河上静太郎の背中を見つめる。
「さよか、抜いた以上文句は無いな、河上静太郎……流派は……うん、香取神道流だ、参れ」
河上は、そう言って左手に握った鞘を腰に当て、柄に右手を置いた。
「かとりしんとーりゅーだー!架空の流派名乗ってんじゃねぇぞ!こっちには剣術強化3と見切り3のスキルがあんだ!テメェみたいな厨二病患者細切れにーー」
その刹那、河上の鞘から刀身は瞬く間に引き抜かれて、波岸何某が無謀にも突きつけた剣を持つ右手に振り下ろされ……ずるりと、芋虫の如く人差し指から小指が纏めて落下する頃には、河上の刀身は既に鞘へしまわれる途中となっていた。
「して、や……」
「香取神道流は実在の流派だ、で、剣術や見切りが何だ?」
「げ!がぎゃぁあがあああああああ!!」
河上静太郎より放たれし居合一閃!周りに逃げていた聴衆も、ましてや波岸何某なる優性召喚者の剣士も!何より、背後の町田恭二すらも!!それを目で追う事は叶わなかった!!
波岸何某が、指を落とされ落下する自らの得物たる剣を前に右手の、切り落とされた指の断面から噴き出す血を必死に押さえて蹲る。そして驚愕の表情を浮かべながら、河上を見上げて叫んだ。
「な、何をした!ぁがぁあうう、ふざけんな!俺がっ、見切れない筈がねぇ、剣術強化3と見切り3だぞ、そこらの剣なんざ止まって見える筈……ぁああううう!」
優性召喚者のみが持ち得る、才覚、才能『クラス』と『スキル』召喚時に見極められ、覚醒した力は強力な筈だ、この波岸何某も確かに両方に覚醒し、確かな強さに自信があったのだろう、しかし河上静太郎はそれを鼻で笑った。
「阿呆め、あの訳の分からん姫とやらから貰っただけのお前達が、幼少から剣を振り続けた俺に、敵う訳なかろうが」
河上静太郎は、そう断じた。
「所詮、お前ら中央の剣士などその程度よ……日々練磨し続け、汗を流し、手の皮を破いて、豆を潰し血を流し、それでも磨き続けた先の技と力、それに貴様が敵うと思うたか?」
河上静太郎はそう言って、足元に落ちた波岸何某の指を踏みつけてから、再び鞘から刀身は抜いて、彼の顔に向けた。
「内地に帰って報せておけ、この河上静太郎こそが唯一無二本物の剣士、貴様ら召喚者こそは贋作偽物紛い物と、文句があるなら腰に得物を差して向かってこいとな?」
そう言った河上静太郎を前に、波岸なる少年剣士は震えながら立ち上がり、喚きながら背中を向けて、よたうち泣き叫びながらも、逃げ出した。それを見届けた河上は、先程斬った際に刀身へ付着した血を見て、柄尻を叩いて払い落とし、納刀した。
強い……本当に、町田恭二は目の前で同胞が、他人の指を斬り落としたと言う事実を目の当たりにしながら、それを彼方に投げ飛ばし、頭から消え去ってしまった様に、河上静太郎の居合、抜刀術に目を奪われた。
そして改めて理解する、河上静太郎という剣士が持つ、強さを支える根底を。
人の『強さ』を生み出し、支える物は様々だ。練習量、才能、精神……それらが格闘家や武道家の強さを表し、支えている。
例えば、神山真奈都。彼の強さの底には、更なる強敵を前にも燃える『闘争心』が原動力となっている。
対して、河上静太郎の内に宿るのは……強すぎる『自我』だろう。
この世界に置いて、召喚者のクラス、スキルによる剣士や剣術を否定し、己こそが唯一の『本物』であると謳う傲慢さ、それを為し得るだけの実力。それが、河上静太郎の強さを支えているのだと、町田は理解した。
全てが終わるや、周りの客やら娼婦達が、声を上げ口笛を鳴らす。そして銅貨を親指で弾いてトスしはじめ、河上の周りには硬貨の雨が降り注いだ。
「一芸仕った、感謝を」
まるで侍の試し斬りパフォーマンスと捉えて、方々に河上は頭を下げてから、町田へ振り向いた。
「指切り、本当だったんだな」
「この色街では、もはや名物よ」
町田が、指切りは本当に河上であった事を改めて理解して、それは最早色街の名物だと、冗談交じりに言うが、硬貨の雨が真実である事を匂わせた。
「町田、今宵は長く遊べそうだ、付き合って貰うぞ?」
「勘弁してくれ……」
先程まで人を斬りつけていた男か、これが。地面に落ちた硬貨を拾い集めて、嬉々として夜遊びに興じる、これが河上静太郎だと見た時に、あの二人はどう思うのだろうかと、町田は頭を掻いた。
さて、そんな一騒動を起こしつつ、町田と河上はある店に辿り着いていた。町田は河上の趣向やら生活に関して、全く知る由も無かった、週一でジャングルジュースに酒を飲みに来て軽く酔い、寝に帰るくらいしか知らないが、普段こそこの東の色街の、この店で夜を過ごしているらしい。
の、だが……町田は少々首を傾げた。何というのだろう、そう、この河上が贔屓にした店は、他の店と全くもって構えから違った。
「どうした町田、入るぞ?」
「あ?あー、待て、河上……なんだ、この店」
門構えが違う、建造物から全く違う、他の店は良くて煉瓦造りに対して……。明らかに時代が進んでいる、まるで東京歌舞伎町のクラブを、そのまま移転して来たような、なんともモダンチックな外観なのだから。
それだけではない、扉の前に立つガードマンらしき男二人も、この店の衣装らしい白を基調に青いラインを入れた服を着ていて、客も入る前にガードマンよりチェックを受けている。
「ポセイドンだ」
「え?」
「店の名前ならポセイドンと言うが」
あ、そんな名前なのね、この店はと町田は呆けながらも河上にさっさと来いと腕を引かれた。そして、河上がガードマン達に近づいた瞬間、ガードマン二人は深々と頭を下げた。
「河上様、いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませ、いつもありがとうございます」
「やはは、どうもどうも、今日カイトは居る?」
どうやら、河上はこの店の常連らしい、ガードマンも名前を知っていて、いつもと言うくらい通い詰めているのが聞いてわかった。と、ここで町田は、ポセイドンなる店の扉の先から、地鳴りの様な音が響いている事に気付いた。
「いや、いや待て、河上、本当になんだ?この店は?」
「あぁ、彼も友達だから、金は払うしVIP席に同伴お願いね?」
「かしこまりました、ご案内しますので」
「話を聞けよ、河上」
町田の問いかけにも全く応じず、河上はガードマンと話を進め。ガードマンの一人がにこやかに手を扉に向けて身体を傾けてお辞儀をした。
「町田様、ようこそポセイドンへ、ご案内します」
何も判らぬままに、町田恭二はガードマンに案内され、河上と共に入り口の前に立たされ、扉は開けられた。そしてその先には、もう一つ両開きの扉があり、先程の地鳴りの様に響く音がより一層強くなったのだった。
「いくぞ町田、二階だから」
「いや、だから河上?ここは一体ーー」
返答も無く、河上が扉を開く。そして町田は、扉の先から叩きつけられた轟音と、景色に驚愕したのだった。
響き渡る重低音、電子音に合わせて踊る男女達、敷地内の至る所に建てられた円形ステージとポールで、ガードマンと同じ白と青を基調とした色で、セクシーな衣装に身を包んだ女性が艶かしく踊っている。
何よりも……奥にもステージがあり、この世界では決してあるはずが無い、機材を前にしてサングラスを掛けた男が縦ノリにリズムをとって、音を操っている。傍らにはドリンクを提供するバーで、バーテンがカクテルを振る舞い、それを共に男女が歓談していた。
「さ、行こうか町田?VIPは二階だから」
呆ける町田に、河上が声を掛ける、しかし町田は音に耳を持っていかれる、その声に気づかない。そして、やっと彼方に飛んだ意識を取り戻し、至極真っ当な言葉を河上向けて吐いたのだった。
「何でこの中世な異世界に、EDM爆音で鳴らしてるクラブがあるんだよ!!」
それが、町田恭二18歳、空手貴族で遊びより稽古な男が、異世界に現れた現代クラブを前にして、言い放った言葉であった。
「河上さーん、いつもありがとうございまーす!」
「あっははは!なぁにこれくらい大した事無いよ、ほら町田!お前も飲め!」
「俺18歳なんだけど……と言うか、河上は19じゃなかったか?」
「この前20になったんだよ、まぁ18から海外では飲んでいたがな、ほらほらぁ君たちも飲んで飲んで!」
「河上さんありがとー!」
俺と河上は、VIP席なる二階へ案内され、そのソファに対面で座した。河上の両隣には、贔屓にされているのだろう、このクラブのコンパニオンが座り、河上が注いだワインをありがたくと飲み始め、町田の前のワイングラスにも注ぎ出した。
こいつ、あれだけ錬磨だなんだと吐かしていながら、やる事やっていやがったのかと、町田は透明な白ワインを見てそう思った。
所謂『パリピ』とかいうやつか、出会ってスラムで共に過ごしていた期間はあったが、別れる前はそんな素振りは見せなかったのにと、町田はこの世界で変わったのか、はたまた元から河上がこうだったのかと判らなくなり、頭を抱えたくなった。
しかもだ、こんな中世時代程度の世界で、このポセイドンなるクラブだけが、嫌でも現代の日本を蘇らせて来た。何故スピーカーがある、何故PCがある、何故光源装置は作動し、キャンドルでは無く電気が通り、光を生み出しているのだと、不可解極まりない場所に、町田は頭が痛くなりだした。
「あのー、大丈夫ですか?おしぼりどうぞ」
「あ、どうも」
そうして頭を押さえていると、町田の横から、これまた美女がおしぼりを差し出して来た。反射的に礼を言って、そのお絞りを額に当てればしっかりと冷えていて、まるで夏場のお絞りを思わせた。
「あー、でだ、闘士の話だよな町田?」
「後にして欲しい、色々追いつかん」
町田は、もうやってられんと投げ出してお絞りの冷たさを堪能した。階下ではオーディエンスがハイになり、相変わらず音は身体を響かせる、現代のクラブなぞ入った事がない高3の町田だが、今だけは現代に帰って来ている感じがしてならなかった。
こんな場所でも、見知っていたらホームシックの引き金になるのだろうかと、ソファにもたれかかり、おしぼりで顔を拭いて、それを取り除く。
すると、その先には逆さまで、一人の男が立ち、此方を見ていた。これまた、白と青を基調とした服を着た男、しかし、彼の服には左肩から、ズボンの左足首の裾までを、海神ポセイドンのアートらしきデザインが描かれていた、そして銀色に染めた髪を逆立て、サングラスをして、右手には杖を付いて此方を見つめていたのだ。
「お!来た来た、また楽しませてもらってるよカイト!」
カイト、確か入り口前で河上が、居るかどうか聞いていた名前だったか。そう呼ばれた男は、無表情にも、此方に近づいてくる。それだけで、河上の左右に居たコンパニオンは立ち上がり、一礼をして席から離れるのだった。




