解放、会合
俺が『ムエタイ』という競技に出会ったのは、意外な場所だった。四歳の頃の、自宅のテレビである。暑い夏の木曜日の夜9時、その映画に俺は釘付けになった。
ムエタイアクション映画という、なんともB級なアクション映画のジャンルで、俺はその俳優の動きと戦いに憧れを抱いた。飛翔しながら放つ膝、素早い踏込みからの前蹴り、肘打ち。
カンフーアクション映画を見たら、その真似をしたくなる様に、僕はこのムエタイに目を奪われたのだった。その翌朝に、ムエタイが習いたいとお父さんに頼んだら、お父さんは快く頷いてくれた。
自分が住んでいた地域に、ムエタイのジムがあったのも幸運だった。毎週二回あるキッズクラスに、体調を崩してなければ必ず僕は通っていた。
いつかは、あのアクション映画みたいに動く自分を想像して、来る日も来る日も練習していた。
小学生の高学年ともなれば、映画のムエタイと実際のムエタイの試合の違いに嫌でも気付く。アマチュアキッズの試合にも出ながら、そのアクションを真似て頭をぶつけたりして、両親に叱られたのはいい思い出だ。
中学生で、ジムのオーナーから本場で練習してみないかと言われ、両親にお願いしてタイ本国のジムへ合宿に行って、さらなるムエタイの現実に衝撃を受けた。
国技ながら、賭け事がスタジアム行われて、選手達は日本の数ヶ月に一度の試合ではなく、毎週毎週戦わされる。それも小学生の子供が、殴り合い、失神する程の戦いを。今では少ないが、昔は田舎の子がバンコクのジムに買われて選手として出稼ぎをするのが当たり前だった。
環境が違った、ぬくぬくと習い事で通ってムエタイをしている俺と、家族の生活を背負い戦っている彼ら、背負う物の重さが強さをつくっていた。
同じ年齢の、本場タイ人のプロと首相撲をしても歯が立たず、スパーリングで笑顔でボッコボコにされて、熱中症になりそうな暑さでのランニングで倒れかけた。
それでも何とか、最後まで合宿をやり切った時、改めて俺は強くなりたいと胸に願いを抱いた。俺は更にムエタイへのめり込んだのだった。
中学、高校とアマチュアキックやグローブ空手の試合がジムに告知があれば、それに必ずエントリーして経験を積んだ。ルールの違いもある、負けた事もある、それでも自分が着実に強くなっていく実感は、何物にも変えられない。
そしてついこの前、二か月前だ、ある団体のプロライセンスを取得して、プロとして試合に出れると決まった矢先、俺は学校で光に包まれたのだった。
黒の詰襟に身を包み、渡され革袋をポケットに入れて、俺は外に出た。そこは……俺の知らない世界が広がっていた。天にそびえるビルも無い、良くて二階建ての木造か、石造の建造物たち。
行き交う人々の服も、簡素だ。リーマンのスーツなんて見かけやしない、スニーカーなんて履いてる奴もいない、革靴か、簡素なサンダル、素足の奴も居た。
この場で俺の服装だけが『異質』だった。
思えば、街中に出て歩いたのも二ヵ月ぶりだった。あの興行主に買われてから、粗悪な訓練所で5日間訓練して、闘技場で戦い、1日休んでまた訓練という、規則正しいルーティーンで生活していて、自由など無かった。
辺りを見回せば、まるでタイムスリップした感覚だ、此処は古代ローマなのか?しかし、建物は欧風だったりと、まるで統一感が無い。何というか、歴史の知見が浅い人間の描く『なんとなく想像した昔の外国』という混沌とした景色だった。
ちなみに、俺もそうだったりする。そう、仰々しい騎士の鎧が歩いてたり、奴隷を乗せた鉄格子の馬車が引かれてあり……俺はその中でドナドナされてた当事者だが。貴重な体験をしたやもしれない。
そんな世界が、今目の前にあるのだから、何とも信じがたい。
さて……制服も取り返した、金もまぁまぁ貰った、しかしここはどこだ?何せ、馬車で闘技場に移送される際も、全く外を見れない様に革の幕をされていた程だ、右も左も分からない。
「……とりあえず、言葉は通じるし……自分が闘っていた闘技場でも行ってみるか?」
ならば、知っている場所に行って見るのがいいかもしれない、全く知らない大地に、スニーカーで足跡をつけながら、とりあえず俺は闘技場を目指した。
さて、道行く適当な人に闘技場の場所を聞いたら、指差して教えてくれた。迷わなかったかって?迷うはずがないほど大きかったのだ、目視して分かるくらいの建造物だった。あとはそこまで歩いた、時間にして20分近くは歩いたかもしれない。
外観からして、自分の知るローマのコロッセオに酷似していた、石造りに、円形……今は興行をしてないらしい静まり返っている。こんな場所で戦っていたのか、自分は……思えばこの場所か、訓練所でしか日の光に当たっていなかったのだと思い出した。
少し、周囲を歩いてみるかと俺は足を動かした。コロッセオの外周を歩けば、さながら観光気分だ。そんな気には浸れない、情報が必要だし、今晩の宿も必要だ。
て言うかあの興行主め、しばらく住処を見つけるまでは雇ってくれても良かったろうに、これでは戦う場所も無く、野宿の果てに野犬に喰われてしまう自分が想像できた。
そちらを先に探すべきだったのかもしれないが、それよりも自分が今立つ場所を、俺は知りたかったのだ。外周を歩き続けると、ふと彼方に見えた建造物に注視した。
「あれか、立派な城なこと……」
そう、俺が最初に居た、俺の始まりの場所だった。あの城に俺が、何か知らんが呼び出されたのだ。
それから白無垢な、如何にもなドレスを着た姫様が、俺に杖を奮って、鼻で笑って言ったっけか?
『あぁ、劣性召喚者だわ、もういいわ、さっさと追い出して奴隷商に下ろしなさい』
性悪な女だったな、そしてそんな姫の言葉から、不可解なキーワードを思い出した。
『劣性召喚者』
なんだか遺伝で言う『劣性遺伝』みたいだなと、頭の隅に置いておく事にした。優れているとか、劣っているという意味では無いのだがな。確かあくまで、遺伝子上に現れ易いか難いかの意味だった筈だ。だが、あの姫のニュアンスからすれば、劣っているという意味合いだろう。
城を見ていれば、その周囲も目に入る。城を囲む様に、綺麗な建物が建てられている。何より、今居るコロッセオしかり、その周囲の建物とは全く違う。それを区切る様に、これまた円形の壁があった。住む区域も、世界も違うと来た。
「さながらここは平民街か貧民街かね、中央程小綺麗なのは何処も一緒かな」
その場に胡座をかいて、彼方の城を見やる。本当に、異様な場所に来てしまったなと、最早ここは地球ですら無いのかもしれないと考えてしまう。例えば、遥か昔銀河系の彼方とか。別銀河の惑星とか……あり得ない話では無いのかもしれない。
「本当、どうすっかなー」
何も分からず、右膝に右肘を置いて頬杖を付く。何故、自分がこんな場所に呼ばれて、挙句奴隷にされて、しかも役立たずとリリースされた、踏んだり蹴ったりである。真後ろの闘技場、もしかしたらまだ戦わせてくれないのかな、誰か相手してくれる奴は居ないのかなと、溜息を吐いた。
「あのー……」
そうしていると、ふと後ろから声をかけられた。
「あ?」
俺に声をかけたのかなと振り返る、そこには、エプロンを着た男が不思議そうにこちらを見下ろしていた。
「何だ?」
何か用かと言葉を返せば、この男、いや同い年くらいの少年は恐る恐る口を開いた。
「いや、キミも召喚者、だったりする?」
召喚者、なんとも気になる単語だろう。そして新たに思い出した、そう言えばあの城に呼ばれた時、俺と同じ様な学生が数人居たのだ、ただ、制服は全く違っていた。そしてこのエプロンの少年が、その召喚者なる言葉を言い放ったという事は。
「それは、あの城のいけすかない姫に呼ばれたって意味で、召喚者っていうのか?」
「そ、そう!ならキミ、ここは危ないよ、召喚者を狙った追い剥ぎとか居るから!」
その少年は、俺にわざわざ危ないと教えてくれたのだった。
「制服だし、召喚されたばかりでしょ?働き先の店があるから、そこに行こう!」
早く!と、少年は俺を立ち上がらせようと手を振り上げた。追い剥ぎですか、それはそれで退屈凌ぎにはなりそうだが、騒ぎを起こすのはまずいと、俺は少年に言われるがまま立ち上がり、走り出す背中に追走した。
少年が働き先と言った店は、いわゆる半屋台形式の簡素な食堂だった。今は営業時間では無いらしい、長机の上に椅子が乗せられて、静かであった。
入り口はドアが無く解放されて、そこに長机が4列、奥にはカウンターがあり、酒樽や酒瓶、グラスが見えて、さらに奥には厨房に繋がっているだろう扉が見えた。
「カウンターにどうぞ、飲み物は水に、オレンジ、ザクロがあるけど」
少年はそのままカウンターに入る、そしてカウンター席を指差しながら飲み物を聞いてきた。
「なんだそのラインナップ、いやザクロ?あんの?」
と、少年はそそるメニューを言った。ザクロだ、ザクロとはあのザクロで、そのジュースなのか?俺は改めて聞き返した。
「ザクロは苦手?」
「好物だよ、タイでガブガブ飲んでた」
「じゃあ決まりだね」
ザクロジュース、タイでは屋台や道端の移動販売でポピュラーな飲み物だ、完熟すると割れてしまう、中には綺麗な赤い粒々の果実、こいつを手回しの絞り機で絞ってジュースにする、甘酸っぱさが病みつきになるのだが、人によっては『樹液みたいな味がする』と言う奴が居るとか。
お前それ、樹液舐めた事あるのかよ。そう言ってやりたいが、ザクロジュースは俺の好物だった。ほんのり来る甘酸っぱさは、あの蒸し暑さに合う。
少年はこれまた、歪なガラス瓶をカウンターから取り出して、奥の棚よりグラスを取り、注いでくれた。赤紫色の果汁がグラスに満たされる。
「はいどうぞ」
「どうも……まともな飲み物、二ヶ月ぶりだな」
ああ、訓練所の食事は量も多かったが、水しか飲めなかったなと、ふと思い出した。二ヶ月振りの甘露だった、それが大好物のザクロジュースとは感慨深い。
「え、二ヶ月?君、召喚されたばかりじゃないの?」
少年は驚いた風にそう言った、それに関してはこちらがまだ説明して無かったのが悪いなと、一口ザクロジュースを飲んで彼に口を開いた。
「いや、ここに来たのは二ヶ月前で、闘技場で戦わされてさ……ついさっきクビになった」
「えぇ、じゃあキミは……中央堕ちの召喚者なのか?通常?優性?」
また気になる言葉が出てきた、それも聞きたいが……それよりも重要な事がある。これを聞かねば少々、これから話すのに難儀する。
「その前に……そちらさん、お名前は?」
「あ、そうだね、うん……僕は、多分キミと同じ召喚者で、三木原康太、スキルは<<嗅覚>>っていうのを持ってる」
また出たな、スキルとか、クラスとか、端々で聞いたがこの二ヶ月全く知る機会も無かった。それよりか、まずは自分の名前だな。
「神山真奈都、スキルも、クラスとやらも持っちゃいない……劣性召喚者とかいうやつらしい」
俺は自らの名前と、自分の知る言葉を、三木原康太に打ち明けた。
後書き格闘技話
キックボクシングで『強い』と認められるには?
もうこの決めつけというか、指標って一昔前になるのかな?ボクシングで強いって認められるには、ベルトを取る事が頭に浮かぶと思います。日本、東洋太平洋、WBA、WBC、WBO、IBFのベルト、今ならWBSSトーナメントで井上尚弥選手が優勝したのが記憶に新しいかと思います。
で、キックボクシングで『強い』って認められるにはどうなのか?
キックボクシングは団体が乱立し、ルールも統一しておらず疎らです。ここで、大型興行のベルトを勝ち取るのが一つの指標かと思います。今ならK-1、グローリーのこの団体でチャンピオンになる事でしょうか。
そしてもう一つ……それは『タイ人ムエタイファイターに勝つ』でしょう。
キックボクシング自体、打倒ムエタイを掲げて様々なファイターが戦い、ボコボコにしたりされたりです。今なら神童こと、那須川天心がこれに当たるでしょう。
それ程までに、本国ムエタイファイターの強さは凄まじく、日本国内や世界で戦える選手が、全く何もできず倒れるなんて事もあります。
そんな凄まじい選手で、代表的なタイ人ムエタイファイターを挙げるなら、私はまずセンチャイ・PKセンチャイムエタイジムを上げます。今や同階級に敵がいない為、ハンデで階級上の選手と戦っている、ムエタイの現人神です。
↓ そのセンチャイのハイライト動画。
https://www.youtube.com/watch?v=SfEVpcQS4s4&feature=share