血とか骨とか
「まったく、随分な手を使ってくれたな」
「それくらい、町田さんには来て欲しいのさ」
あれからしばらく、俺は町田に連れられてスラムのある場所に連れて行かれた。そこで町田は、この世界の簡素な服から、パリッとアイロンが効いたツータックとベストに着替えて、見事なバーテン姿というか、ウェイターになり、カウンター席に案内された。
このスラム、唯一のバーであり、町田の働き先だと言う。
店名は『ジャングルジュース』米兵がジャングルで作った即興のカクテルの名前だが、この地に米兵は居ないしアメリカ領でも無いので、意味合いは違うだろう。
「まぁ、それでも出る気は無いぞ?」
「そうだろうね、頑固だし」
町田は相変わらず、出ないの一点張りだった。例え門下生にせがまれようとも、出る気は無いと来た。いい手だと思ったが、ここまで頑固だといよいよ諦めの目も出てくる。
「それにだ、俺が展覧試合に出ればここに悪い輩が根を張るからな」
棚の酒瓶を数えて羽ペンを走らせる町田が、そんな事を口にした。悪いやつか、やはりスラム、そんな輩が居るのは当たり前だが……二日目にしても全く姿を見せない。
と、ここで俺は三木原から聞いた噂を思い出した。
「噂なんだけどさ、このスラムの鎮圧をしたのは町田さんと、もう一人の、指切りとか言う奴って聞いたんだけど」
そう、スラムを鎮圧した二人の男、その片方が町田恭二であり、もう一人は『指切り』なんて言う通り名があると。これに対し町田は、指切りの名前を聞くとこちらを向いて、驚く事も無く淡々と宣うのだった。
「その指切りなら、たまに此処へ来るよ、週一の頻度でご飯食べに」
「あ、そーなの……えっ!?」
指切りの所在見つけたり、まさか週一で店に来るとは。これならば最後の闘士も確保できそうだ、しかし町田は『指切り』の話を聞いた俺に、察したらしい怪訝に顔をしかめて口を開く。
「指切りを闘士に誘うのはやめときなさい」
「まだ何も言ってない、けど、何故ですか?」
「指切りは……あれは物狂いだ、最早人ですらない」
「人ではない……」
指切りは人に非ず、物狂い、物騒な言葉の羅列に俺は、指切りの姿を想像した……。人外魔境の魔人なのだろうか、例えるなら魔界転生の、天草四郎に甦らされた柳生宗矩とか……。
「え、もしかしてその人本当にこう、一度死んで蘇った的な魔人だったりする?」
「そんな事はない……」
「あ、そうーー」
「とも言い切れない」
何ですと?俺は、思わず目を見開いて固まった。ガチの化け物なのか、その指切りという人物は。俺はカウンターの上で思わず、両手を握り締めてしまった。町田は、グラスを磨きながら、そんな俺にゆっくりと語り出すのだった。
「僕も、多分君たちと同じ劣性召喚者とやらだ、で、中央から輸送の馬車に詰められて、奴隷落ちする所を、指切りに助けられた」
初めて聞く話だった、町田もまた、僕や中井の様にこの外壁に奴隷として売り捌かれる流れだったらしい、そこを『指切り』に救われたらしい。
「いや、助けられたというより、自分が逃げる為の隙を得る為、騒ぎが必要だったのだろう……私や他の召喚者を解放して、中央から外壁に逃げる時も、彼は構わずその真剣で兵士を斬っていたよ……嬉々としてね」
斬っていた、つまりは本当に斬り殺したという事だろう。町田は、磨き終わったグラスを棚に戻し、また別のグラスを取り磨き始める。
「僕も彼に着いて逃げて、ここに流れ着いた訳だが……あれは多分、僕の一つの結末を映しているようだった、力を振るった先の……歯止めを無くした自分……修羅とでも言うのだろうか、指切りはそんな奴だ、現代日本では決して生きれない、認められやしない、剣に魅入られた鬼……それが指切りさ」
そんな奴を、闘士にしてはならない、ましてや闘士になれないだろう。何せ手綱を握れる輩が居ないのだから、首輪すら噛みちぎる狂犬を、誰が欲しがるか、町田はそう呟き磨いたグラスを棚に戻した。
だが、その話を聞いた俺が、あい分かったと返事をするわけも無く、むしろ興味を惹かれて両肘をカウンターに着き指を組み、その手に口元を置き凛々と楽しそうな目をして町田を見ていたのは間違いなかった。
「それを聞いて、その指切りも、あんたも誘いたくなったよ」
「そうか、勝手になさい、私は知らんから」
阿呆めと、侮蔑すら感じた目と口調で、町田は僕にそう言った。まぁ、まずは町田、あんたからだと俺は作業する町田を静かに見ていると、カランコロンと出入り口のドアのベルが鳴り響いた。
「おはようマチダくん、仕込みありがとうね?あら、友達呼んでたの?」
カウンター席から振り返れば、そこには赤毛の、なんとまぁ美人が笑顔をこちらに向けていた。年齢にして24〜25くらいの、年頃のお姉様である。
「おはようございますフェディカさん、仕込みと掃除は終わらせておきました、彼はその……まぁ、友人です」
「そう、なら夕方まで調子を整えと来なさいね、話し込みすぎて仕事できないのは無しよ?」
「はい、そうします……マスターは?」
「父さんなら相変わらずよ、疲れて寝てる、夜には来るわ」
そんな赤毛の女性は、俺にもウィンクをして二階へ上がっていった。フェディカさんと言う、話からするにこの酒場のマスターの、娘さんとやららしい。それにしてはやけに親しく、小気味良く話をしていたではないか、俺は少しニヤついて町田に話を振ってみる事にした。
「綺麗な人だな、町田の彼女?」
「どうしてそうなる、恩人の娘さんで、仕事仲間だ」
「にしてはこう、親しいじゃないか」
「フェディカさんが優しいだけだ、僕など眼中に無かろうよ」
「眼中に?ほう、つまりは見てほしいと?」
「そうではない、何だ一体、とにかく彼女とは斯様な話はーー」
と、ここまで話したところで、出入り口のベルが喧しく鳴った。さっきが『カランコロン』という、古き良き喫茶店の音なら『がらぁあん!がらごろんがらん!』と、これくらいの差が出てくる程だ。
「マチダぁ!!出てこいやぁ、テメェ今日こそ殺してやるからよぉ!!」
さて、背後から聞こえた怒号に、俺は口をまた吊り上げるのだった。
突如響き渡る怒号に、俺は椅子から首だけを捻り顔を向ける。そこに居た男もまた、なんとこの世界らしい出で立ちだった。身長はそれなりに高い、180近くはあるか、そして恰幅が良い。何より革のコートを羽織り、下には素肌の上に鎖を巻きつけて、右手には棍棒という出で立ちの男が、怒りの目を見せてこちらを見ているのだ。
いや、正確には町田を見ている。町田に対しての怨嗟がしっかり目に灯っていた。対して町田は、何本目かのグラスを磨き終わり、澄んだ瞳でその男を視るのだった。
「ゴルト……懲りずにまだ暴れてるらしいな、利き手を斬り落とされながらまだ来るか」
「じゃかあしゃあアホンダラァ!テメェも指切りも、ワシからぁなんもかんも奪いくさって、のうのう生きてて気に食わんのじゃあワシぁ!」
うむ、町田と指切りの因縁は深い輩らしい、しかしなんというか、口調と言い出で立ちと言い……昭和映画のチンピラを連想させる、何というか、ヤクザ映画というか、戦後を描いた映画に出てきそうな男だった。
「町田さん、誰この人?」
「ゴルト、このスラムで少し前まで偉い顔してた迷惑者さ、まぁただの……チンピラだ」
そして身形通りのチンピラらしい、息を荒げる様は野良犬の空腹を思わせる唸りみたいだ。ふと、町田が利き手を斬り落としだという事を宣っていたので、ふと左手が無いことにも気付く。
「お、おお?誰じゃワレ、おお?ワシ前にして何ぃ無視して話しくさりよんなら?」
俺は震えた……マジかよ、まじでこんなドチンピラがまだ居るのか、この異世界ではと。そのゴルトなるチンピラは、もう俺をどうにかしようと満々で、棍棒を俺向けて突き付けて来たのだ。
現世ではやれ法律だのなんだのと、しがらみがあってこうして因縁をふっかけてくる輩なぞとうに居なくなっている、むしろ分からないように変に知恵を付けて陰湿な方法を使う奴の方が増えているくらいだ。
それなのに、この異世界にはまだこんな奴が居るとなれば、もう笑うしかなかった。
「クフフフフ」
「あ、オウコラァ!なぁに笑いよーー」
笑いながら、俺は右足を座ったまま、そのゴルトの胸部の上辺りを思い切り右足の底で蹴り抜いたのだった。このチンピラのゴルト、余りにも無防備に立ったままだったのだ。
するとどうだ、胸元を蹴られたが為に足元が覚束ず後ろによろめいたのだ。俺はそのままカウンターの椅子から飛び降りて、床を力強く踏み、腰ごと思い切りぶつかる勢いで、再び右足をゴルト目掛け放ったのだった。
「ぃいいうおいしょぉおぉおぉーーい!」
「ごぽっ」
二発目の蹴りは、よろけたが故に。その180cm近くある巨体を簡単に吹き飛ばし、喧しく開けて開いたままだった出入り口から、ゴルトが外に蹴り出された。
「町田さん、邪魔しないでくれよ?こんな香ばしい輩、あっちじゃ全っ然居なかったからさぁ!」
町田にそうだけ言って、俺は外へ転がったゴルトへ向かえば、背後から町田より呆れた声が届く。
「こっちの壁やらガラスは割ってくれるなよ」
止めないのか、放っておけとも言わないか、案外分かってるんだな町田は。俺は右手親指を立てて了解と意思を伝え、開きっぱなしの出入り口より出て、地面に這うチンピラのゴルトを見下ろしながら、店のドアを後ろ手に閉めたのだった。
スラムであれ、騒ぎがあれば居住者は反応する。外に蹴り出された巨漢、それを見下ろす青年。
一悶着あるぞ、巻き込まれたら敵わないと、近場に居た者は路地やら家屋に退避を始めた。
「お、ご、わ、ワレぇ!このワシに向かって何してんじゃあゴラァ!」
虚勢を込めた怒声を吐く、チンピラのゴルト。対して神山真奈都は、笑みを崩さずに飄々と、ゴルトを見下ろした。
「喧嘩売って来たから買ってやったんだよ、おら立てよチンピラ!相手してやるぜ!」
「んだおらぁあああ!」
開始は早かった、奇襲にも似たゴルトの立ち上がりながらの突進に、神山も応えた。接触しぶつかり合うや、すぐに均衡が崩れる。
「っと、おぉお!?」
体格差というのは簡単に出る、神山の両足が地面を音を鳴らして後退した。電車道の如く跡が付く、それ程の突進力を前に神山も声を上げた。が、これは路上の喧嘩、そう易々と後退してやる程、神山も馬鹿ではない。
ちょうど腹あたりに当てられたゴルトの頭部、そこに両手を開いて押す形になりつつ、神山の両手親指が、ある二点を押した。
「っ!がっ!」
その二点を押しただけ、それでゴルトの突進は静止し、体を跳ね上げるや、すぐに後ろへ下がり出した。
「っがあああ!?や、やめぇ!やめぇやボケェ!!」
大の大男でも、唸りながら後退する。神山の両手親指はゴルトの両目に置かれていたのだった。
サミング、所謂目潰し。あらゆる格闘技において禁止とされている、危険な反則技である。ここまであからさまにはしないが、レフェリーが居たら見えない場所で、首相撲から顎や肩を器用に使って行われる事もある。
ただ、これは路上の喧嘩だ、相手は凶器を持っているし手段は選ばない。
「っらぁああ!」
親指から顔を離そうと必死にもがくゴルト、そしてさらけ出された無防備な股座目掛け、神山の右膝は放たれ、見事に突き刺さった。
「っ!?ご、か、ぁあがぁあ」
睾丸に来る痛みや苦しみは、雄という性別の共通である。本気で放たれた神山の膝頭が離れ、ゴルトは内股になり顔を悲哀と静止を込めた表情に変えた。
それで止まるほど、神山も優しくは無い。喧嘩を売って来た輩をそのまま返すなど、毛頭無い。前のめりに倒れつつあるゴルトの目から手を離し、神山の両手は次に耳へと向かい、両手が耳を握りしめ。
「ぇえいしゃああ!!」
「がばっ!!」
思い切り自らの膝へ、耳を引っ張りながらの右膝で、鼻柱を見事に砕けば、その勢いでゴルトの頭部は後ろへ思い切り振り倒れたのだった。
「ぎ!いぎゃぁあああぇおああああ!ひぃいいいあぎいいい!」
それだけではない、前に引く力に対し、膝蹴りにより頭部が後ろへ押された為、ゴルトはある痛みに股座の痛みすら忘れて両手で側頭部を押さえて叫んだ。
正確には……耳の位置である、両手の指の間から血が溢れ出し、指や頬を真っ赤に染め上げていたのだ。
「おらよ、返すぜ、くっつけて貰いな」
そして、神山よりそれは投げつけられたのだった。地面に転がるそれは、ゴルトの両耳であった。膝蹴りを放つと同時に、神山はゴルトの耳を引きちぎったのである。
「ぎぃい!ひいぃい!わ、ワレ覚えとれよ!ツラぁ覚えたけんのぉ!!ただじゃすまんぞこら!ひぃ、ぃいいい!ぁあああ!」
ゴルトは両耳のあった場所から血を吹き出し、必死に引きちぎられた耳を拾い、必死に立ち上がり、よろめきながら捨て台詞を吐くや、神山の前から逃げ出して、細い路地へ消えていくのだった。
「おー!よく覚えとけ!次は鼻削いでやっからよぉ!」
売り言葉に買い言葉、遠吠えに律儀な返答をして、チンピラを神山は追い払ったのだった。




