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空手幻想、異世界の端にて生まれる

「上段は顎の高さだ、この位置……引き手を意識して、突く手は寸前までそのまま、当たる瞬間に捻る」


「押忍、こうですか?」


「そう、あと伝統派に押忍は無い、うちも教えちゃいない、あれはフルコンの流儀だから言わなくていい」


「そうですか、分かりました」


 俺は今、町田恭二の青空道場で空手を習っている。横腹を殴られて、闘士も断られた翌日、俺一人だけでここに来たのだった。中井も誘ったが、勝手にしてくれと断られた、薄情な奴め。中井もグラップリングやら寝技だけでなく、打撃もやれば良かろうにと思うが、そんな気も無いらしい。


 さて、道場の様子だがそこまで長時間の練習ではなかった。まだこの地に空手を根付かせる為か、町田はこのスラムの子ども達に基本を教えているが、型や組み手はまだ指導していないらしい。


 故に、まだ練習も基本だけだそうだ。柔軟から始まり、その場突きを中段、上段共に道場に来た人数掛ける10回ずつ、つまり十人来たら百回は突く事になる。その場蹴りも中段上段同じ様にしてから、下段払いからの構え、移動稽古に移行する


 前屈立ちによる追い突き、逆突き、前蹴り、回し蹴りの攻撃をそれぞれ十回一往復、計二十回。そして上段揚げ受け、中段外受け、内受け、下段払いを同じく。


 次は後屈立ちになり、手刀受け一往復して、最後は騎馬立ちから、上段を蹴る蹴上げ、中段を蹴る蹴込みを同じく一往復。


 これで基本を終える事になる。


 さて、空手にも幾つか立ち方があり、それをここで簡単に説明したい。


 まず、前屈立ち、前足膝を曲げた構え。足の幅は肩幅程開き、足を前に出して立つ構え、空手において基本の立ち方の一つ。腰の高さは流派により違いがあり、深く落とす流派もあれば、あまり落とさない流派もある。


 後屈立ち、こちらは前屈立ちの逆。前足は伸ばし後ろ足の膝を曲げた構え。肩幅程開く前屈立ちと違い、足の踵同士の線が直線になる形で立つ。手刀受けはこの立ち方になる。


 騎馬立ち、文字通り馬上に跨る様からこの名前で呼ばれている、横身になり足を開き爪先と踵が同じ線上に来る様にして、膝を曲げ腰を落とす。空手には常時この立ち方による型が存在する。


 以上、俺こと神山真奈都が、町田恭二の青空道場で行った、基本稽古時の立ち方となる。


 さて、それだけ指導した後は、本来なら形稽古に組手をさせたいのが町田の本心らしいが、まだ基本が出来ていない子が居る為、教えて無いらしい。


 それはそうと、俺自身も基本稽古という他流の練習を体験して、普段はしない立ち方をしてみればやはり疲れが来る、と言っても息が上がる程度だが。


「ふぅ……基本稽古って、案外体に来るんだな?」


「僕からすれば、君らのスパーリングや基礎練、体力トレーニングも中々なものと思うが?」


「隣の芝は……というやつですか」


 町田は、先日の事がありながら、空手の指導を受けたい俺を、驚きはしたが迎え入れてくれた。基本稽古を終えて、スラムの子達は談笑したり、追いかけっこして遊んだりと自由気ままだ。


 その様子を見た町田は、毒気の抜けた涼やかなる笑みを見せて子ども達を見守っていた。


「彼方も此方も、子どもは元気がいいが、こちらは純粋なものだ……向こうの道場生は何かと生意気な子も居て指導に困る」


「ほー、やっぱり指導もしてたんだ町田さん」


「黒帯だしな、ただ……最近は指導に親御が口を出して敵わん、最初から門を叩くなと言いたい程にな」


「うっ、わ、モンペか?」


「あぁ、注意をすれば親を呼んで文句を言うのがざらでな、子も子なら親も親、呆れる輩が増えたものだ」


 町田から聞いた、現世の指導における、道場生と親御の問題を聞いて、現代の闇を垣間見た。学校ならともかく、遂に格闘技や武道の道場にまで、モンスターペアレント、モンスタースチューデント問題が出てくるとは……それと比べたら、この異世界のスラムの子達は純粋で話を聞いてくれるのだろう。


「とは言えだ、祖父や父母の指導は今や時代遅れとも分かる、僕はその指導を受けた人間だが、今は様々な鍛錬器具やトレーニング、効率の良い練習もあるからな、一概に全て正しいとは言えないものだ」


 そして、指導者の新しい風を受け入れない事実もあるのだと断じた。


 俺はそれを聞いて、やはりこの人はこちらに来たのが間違いな程に、空手家として、指導者として形が出来上がっている事を思い知らされる。本当、惜しい人だ、なんでこっちに来てしまったのかと、町田をこの世界に召喚した『姫』に少し苛立ちを覚えたのだった。


 だからこそ尊敬している、たとえ人を殺したとしても、この人の根は変わらない。町田恭二は真っ直ぐな空手家なのだと俺は信じている。


 故に、殴り倒してではなく、話し合いで来てもらいたい。その気持ちが大きかった……が、まだ痛む脇腹とあの突きの速さ、少しばかりは戦いたい気持ちもあるわけで。


「町田さん、折角ですし俺と組手しません?」


「なに?」


 うん、組手だ、試合ではない、喧嘩ではない。組手なら良いではないか、折角だからどうかと俺が誘うと、町田は怪訝な顔を浮かべて当たり前だった。


「いや待った、真剣じゃなくて、かるーく、ね?顔面は寸止め、蹴りもライトに……町田さんも試合練習でするでしょう、軽く当てるやつ」


「あー……そう、それならまぁ、構わないかな?」


「決まりだ!」


 俺は右腿を叩いた、町田恭二と組手となれば高揚せざるを得まい。青空道場の中心に、俺はさっと向かうのだった。


「せんせー、どうしたんですかー?」


 ふと、先程まで談笑していた道場生の一人が、町田が俺と対面しようとしたのを察して、町田に尋ねた。町田は笑みを見せ、その子に口を開く。


「ああ、先生は今から彼と組手をするから、皆もよく見ておくように!いずれは君たちも、こんな風に戦う事が出来るようになるからな!」




 さて……組手とは言えだ、幾らライトスパー寄りとは言えだ、こうして対面すれば分かる事がある。俺とて様々なアマチュアキック、それに類するグローブ空手の試合に出てきた、経験も積んできた、そうしたらある日分かる時があるのだ。


 こいつは片手間にあしらえるとか、こいつは気を引き締めねば負けるとか、この相手は明らかに強いとか。力量差を感じる事が出来る。


 町田恭二に対しても、それは出会った時から感じていた。あれだけ柔和な雰囲気を醸し出しておいて、いざ対面すればその柔らかさは重く、纏わりついてならない、全てを見透かされていそうな感覚……。


 されど、俺の目の前には確かに町田恭二という空手家が、構え無しに自然体で対峙しているのだ。


「では、始めますか?」


「ああ、いつでも」


 いつでも、とは……全く痺れさせてくれる。いつ来ても俺には当たらないと言いたげな言葉に、俺の両手が上がった。


 拳はこめかみの位置、左足を前に……リズムを取り体を揺らし脱力しつつ、相手を見る。そう、あくまで軽くの組手だが……果たしてどうなるか。


 町田の門下生達も立ち見する中、俺はまず軽いステップインから、左前蹴りを放ってみる事にした。


 さて、そうして前に動こうとした刹那だ、改めて俺は町田恭二の空手を垣間見る事になった。


 ステップインして、左足で前蹴りを放つ為に地面から足を上げた瞬間、町田恭二は音も無く、距離を簡単に詰めて来た。そして迫りくるは左の縦拳の拳、全てが殺気も無しに流れる様に迫って来たのだ。


「おわっ!?」


 無論、反射的に背中を逸らしそれを避けようとすれば、体勢を崩し後ろにもたついた。それにより後退した俺に、町田はさらに距離を積める。


 そして正確に、優しく、ソフトタッチに左拳を顎に振り下ろして触り、右の拳で左こめかみを触り、左の軽い蹴りを軽く放って腹部に触れさせた。


 そして素早く後退し、下段払いにて残心を取る。


「うん、試合ならば倒れて技あり取れたかな?」


 フルコンタクトなら、技ありだろうかと想定して町田は言った。正しくその通りだろう、俺はこの一連の攻撃に震えた、恐怖ではなく歓喜だ。


 前蹴りの出会い頭に、伝統派の飛び込み刻み突きのカウンター、後ろに崩れた所へ更に左で顎を撃ち抜き、右手で更にこめかみへ追撃、ダメ押しに左回し蹴りで制する、カウンターから一気に畳み掛ける流れは、自分が無様に大の字に倒れる姿を容易に想像させた。


 フルコンタクトには顔面無しルールがあるとか、スーパーセーフのヘッドギアがあるとか、そんな物は関係無しに、今俺は『町田恭二の空手』を垣間見たのだ。何と鮮やかで、何と綺麗で、何と……殺意に満ち溢れているのだろう。


 これを本気で振るえば人死にが出るのは当たり前だ、ひしひしとそれが伝わってくるのだ。


「次、行きますよ町田さん」


「ああ、来なさい」


 嗚呼、これは楽しくなるな、俺は再び距離を詰めて、町田向かって拳を放った。




 その時間は、俺にとって一生忘れられない時間になった。そして異世界のスラムで生活している、町田恭二と出会い、空手を習っている門下生達にもその時間は忘れる事が出来ないだろう。


 軽く出したワンツーすら、しっかり距離を取られて当たらない。そして終わり側に前進するや、合気道の如く身体を押され足を払われ倒された。


 右のミドルを放てば、背中で打点をずらしてダメージを抑えつつ、同時に前足が軸足を払い転かされた。


 首相撲だと組んだら、肘関節を下から押されて軽く肘を決められながら、足を掬われた。


 ならばカウンターはと下がれば、先手先手と軽い攻撃を連続で放たれた所を、三日月蹴りで突き刺された。


 明らかに鳩尾狙いの蹴りが変化して、ブラジリアンキックで軽く頭を蹴られた。


 全て軽くの組手、しかし……本気に打たれたら俺の身体はボロボロだろう。だが、それは町田恭二も同じだ、そんな中でも俺は町田恭二に、クリーンヒットした攻撃、倒せた攻撃の手答えは確かにあった。


 でも、嗚呼……説得力が凄まじい。寸止めの攻撃、軽い攻撃の中でも、自分が叩きのめされた映像がしっかり浮かび上がってくる。


 これだけ汗を流して、ゼイゼイ言う程動いたのは、久々かもしれない。町田も、膝に手をつく程息を上げていた。


「あ、ありあたっした」


「はい、ありがとうございました」


 互いに、何も示し合わせも無く頭を下げる。礼に始まり、礼に終わる、日本武道の常識を持って組手を終えると。見ていた門下生達は、わっと町田に向かって行った。


「凄かったです!マチダセンセイ!」


「こんど組手してみたいです!」


「さっきの蹴り、どうやるんですか!」


 俺には全く寄らずに、町田目掛けて向かう様に、余程の信頼を彼らから得ているらしい。いい当て馬にされたかもな、自分が組手を誘っておいてだが。


 そんな門下生に町田は、また今度なと柔らかに笑うのだ。


「どうですか、町田さん?久々の組手」


「ん、あ、ああ……やはり、いいな組手は……久々にこう、熱くなれた」


「そりゃ良かった……所でーー」


「展覧試合には出んぞ?」


 うん、そして見抜かれていた。燻りを煽れば試合に出るかと思ったが、制されてしまった。まぁ、分かっていたのだが、もしも万が一と考えたのだが……これでは無理かもしれない。


「えー、出ましょうよ町田さん?せっかく熱くなったんでしょう?」


「案外しつこいな君も?」


「それはまぁ、ねえ?こんな風に闘ったら勧誘したくなりますって」


 なぁなぁに頼んでみるが、彼もまた頑固だった。しかし、ここで俺は、門下生から出て来た言葉を聞き逃さなかった。


「ねぇ、センセイと中央の闘士、どっちが強いの?」


 そう、純粋な子どもによる、純粋な質問、これを聞いた俺と町田が互いに目が合った瞬間だった。


「それは中央のーー」


「町田先生のが強いさ!」


 此度の先手は、俺が取った。俺の言葉に門下生が、目を輝かせた。それを見た町田が、驚愕の眼差しでこちらを見た。


「いや待て、彼が言うのはーー」


「町田先生はそりゃもう強い!中央の闘士なんざ屁でもないくらいにな!そう!町田流空手は最強だ!君たちはそんな町田先生の映えある門下生、いずれは君たちみ町田先生みたく強くなれるんだぜ?中央の闘士なんざ触れないで倒せるくらい強くなれるのさ!」


 男の子は誰だって強さに憧れる、そして今の組手で町田恭二の強さを垣間見た、純粋な門下生達は、町田流空手幻想に取り憑かれるのもおかしくはない。


「センセイ!それ本当ですか!?」


「中央の闘士より強くなれるの!」.


「センセイの戦う姿みたい!展覧試合出てよ先生!」


 純真無垢な憧れの目線達が町田を射抜く、それに罪悪感を感じて狼狽る町田恭二が、俺を一瞥して口を開いた。


「神山よ……」


「んー?」


「しばらくは恨むぞ?」


「しばらくでいいのかい、町田センセイ?」


 門下生の後押しを煽り、展覧試合へ出る決意を後押しする。改めて俺は町田恭二を先生と呼び、ニヤニヤと笑みを浮かべてその様子を眺めるのだった。

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