それでも貴方に来て欲しい
「拳を当てられない、蹴りも当てられない格闘家なんて必要ないだろう……だから、僕ではない他をあたって欲しい」
人を殺したトラウマが、この手を止めてしまうのだ。人を倒せない、打撃を当てられない空手家なぞ無用だろうと、町田は俺たちに引き取るように言うのだった。これを聞いた中井は、ふんと鼻で笑った。
「行こう神山、トラウマ持ちは確かに必要無いさ、帰ろうぜ?また次の奴を探そう」
ここまで言われたならば、引き下がるのが道理だ。何よりしつこくしても、変わらないだろう。それは分かっているのだが、うん……そんな話を聞いたら試してみたくなるわけで。
「分かりましたよ」
中居に諭され、俺は町田に背を向けた、出口まで向かう間際……俺は一瞬で振り返るや、棒立ちの町田へ振り返りながら、左足を軸に右足を振るった。
奇襲、町田の左側頭部向けての右ハイキック、完璧にタイミングも外し、当たるはずの右足、しかし俺の右足は空を切り、視界の端で町田は既に踏み込み、俺のガラ空きになった右横原に、右の拳を突き立てていた。
「ぇえいっ!」
「あがぉおお!?」
あ、やばい、これまずい……痛いんじゃない、内蔵揺れてる、て言うか左足が地面から離れ……えぇー?
俺は、町田の正拳突きを喰らい、微かに浮いていた。と言うか浮いた、比喩じゃない、片足だったけど突きの勢いで身体が浮いたのが分かった。
あー、やっぱり凄いな、流石空手貴族様だ、素人なら死んでるよ……。
「神山っ!大丈夫?」
そうして俺は、青空道場の綺麗な石床を、二転、三転と転がり、這いつくばるのであった。中井もこの衝撃なシーンに、慌てて俺へ駆け寄って来た。揺れた内蔵が、胃が驚いて胃酸を作り出している、食道にせり上がりつつ、口内に唾液と酸味が広がっていく。
「うぇえ、な、何だよ……当てれるじゃん、普通に……」
「あ、いや!す、すまん!」
条件反射の反撃、無意識のカウンターだったらしい。慌てて拳を引いた町田に、俺は横腹を押さえながら立ち上がった。
「謝らんでください、奇襲した俺が悪いんですから、へへ……いや凄い、これが空手家の拳か……」
俺は町田の謝るなと遮る、奇襲した俺が悪い、反撃されて当然だと。しかし……本当にあの町田恭二の拳を体感できるとは思わなかった。
そして何より、反射速度だ。気付いたらもう掻い潜られ、反撃されてこの様だ。あぁ、もしこの人がキックとかMMAに参戦して来たら、時代が変わるかもしれなかったろうに……そんな事を思わせる一撃に、俺は、やはり三人目の闘士はこの人以外居ないと思わされるのだった。
「町田さん、また来ますので、よろしくお願いします」
「え……」
「あと2回は、町田さんに頼みに来ますから、三顧の礼ですよ、気が変わったら頷いてください」
俺は町田にそう言い残して、今度こそ背を向けた。中井は、馬鹿じゃないのかと呆れ顔を向け、そして一度町田の方を向いて頭を下げて、俺と同じく青空教室の出入り口たる路地を歩き出した。
町田恭二は、2人が去るや否や、神山の横腹を突いた右拳を見つめていた。
反射だった、殺気を感じて咄嗟の攻撃、流れるように、身体が反応してしまった。大会なら技ありだろう、そして……。
「立ち上がるか、彼は……」
町田は感嘆の言葉を紡いだ、過去、フルコンタクトの試合で同じ背丈の相手は、この突きを喰らい、立って来る相手を町田は見る事は出来なかった。
無差別級で、やっと階級上の対戦相手が立ち上がるくらい、自分の突きに自信があった。拳に伝わった神山の、腹筋の感触で理解する。鍛えられた肉体なのだと。
ふと、頭の中を過ぎる。
手刀ならば……貫けるだろうか?
爪先なら……蹴り破れるだろうか?
そんな事に思いを馳せた自分に気が付いて、はっと町田はもう片方の手までが握り締められ、両手に拳を作っていた事に気付く。思わず頭をブルブルと振って、町田は深呼吸をした。
「なんと、業の深い事か」
また、こんな事を考えてしまっている自分に、町田は溜息を吐き、四角い壁に阻まれた青空教室から見える、澄み切った青空を見上げるのだった。
「それで、そのマチダさんに返り討ちにあって、こんなアザを作って帰ってきたのね」
「あいたたたた、うぅー、骨はやってないけど、やっぱり痛いわ」
その後、俺と中井はマリス邸宅に帰還し、俺は治療を受ける事となった。ソファに腰掛けて、上着をまくり右の脇腹を晒し、マリスは何やら軟膏を取り出して、それを塗ってくれた。
「うっわ、ニルギリ見なさい?これ、アザが拳の形にくっきりよ」
軟膏を塗るマリスが、ニルギリを呼んで俺の横腹を見る様に言う。確かに、拳の形にアザが刻まれており、俺自身も冷や汗を流してしまうくらい、その事態に驚きを隠せなかった。ニルギリは遠巻きに見て、ギョッとした瞳の動きを見せたが、相変わらず声を出さない。
「それで、どうするの神山くん……町田さんは乗り気じゃ無いみたいだよ、闘士になるのは?」
別のソファで楽に体を預けていた中井は、これからどうするのかと聞いて来た。町田本人が乗り気で無いなら、もう誘うのを止めるべきではと雰囲気から物語っている。
「そうだな、けど、闘いたくて燻ってるのは事実さ」
しかし、闘争を求めているのが心底から分かると、俺は返した。
「あと2回、尋ねてみるよ、それで少しも気が変わらなかったら諦めよう」
「おいおい、僕みたいに喧嘩売って殴り倒して、引き連れればいいだろう?」
面倒な、僕の様に勝負して殴り倒して、引き連れて来ればよかろうにと、中井は少々嫌味を込めた物言いをした。確かにそれができればいいのだが、俺は首を横に振った。
「中井、町田さんは多分、俺が殴り倒しても首を縦には振らないさ……その時になったらあの人は、舌噛んで死んででも断るよ」
町田恭二という男は、例え脅され傷付けられても、芯根は変えないだろう、それよりも死を選ぶ男なのだと俺は言い切った。それを聞いた中井は、ムッと眉間にシワを寄せた。
「何さ、それだと僕が負けた奴に尻尾降るみたいだね」
「お前だって、最後は自分の意思で闘志になっただろう、調子に乗った輩を泣かせたいってさ」
「まぁ、そうだけどさぁ……」
中井からすれば、俺に負けた事はやはり心残りがあるし、そこから闘士になった流れは負け犬の追従の様に感じている、しかし最後は自分の意思で闘士契約を結んだだろうと、フォローしておく。
「ともかく、明日また尋ねてみるよ、マリスさん……明日含め二日ください、それでダメなら他を当たりましょう」
そうして俺は、マリスさんに二日間の猶予を貰った。それまでに町田恭二と話がつかなければ諦める、そう言ったマリスが軟膏を塗り終えるや立ち上がり、心配そうに僕を見下ろした。
「構わないけど、怪我だけはしないで、展覧試合前に大怪我して出れませんなんて、通用しないからね?」
「了解、その辺はわきまえてるよ」
なに、二日もあれば充分だろう、何としてでも町田さんをうちに引き入れようと、痛む横腹を撫でながら俺は明日からの事に頭を動かすのだった。
『駄目だ、辞めてはならん、そして縁を切れると思うな』
実家であり生家の道場……私はそこに正座して、父親と対面していた。
『何故ですか、空手を使えば縁を切り、帯も取り上げる、そう言ったのは貴方でしょう』
あれは、私が裁判を終えて実家に帰って来た時の事だった。無論、覚悟していた、空手の道から消え去る事、一家の汚点たる自分が家から立ち去る事、それらを覚悟しての身勝手な行いだ、それで全てが終わると思っていた。
『お前は禁を破った、しかし……現にお前が助けた被害者が、被害者の会がお前を擁護する事実もある、あの場でお前が戦わねば、被害者の女の子が一生の傷を負っていたのも事実だ』
『しかし私はーー』
『そして!ーーお前がその力を振るう場を欲した、邪念があったのも事実だ……それを帯の一本と絶縁で終わらせるなど、片腹痛い』
父の一喝に心底が冷えた、甘い、甘過ぎる。人を殺しておいて帯の一本と絶縁で済むなと、そうして父はまだ新しい私の黒帯を、返した自分の帯を持ち、立ち上がって俺の前に置いた。
『恭二、お前はこれからただ普通に、今までの生活をするのだ……学校に行き、空手の稽古に勤しみ、その中でお前は様々な目に晒されよう……悲劇の英雄、されど人を殺した危険な男とな……』
父は、厳しい男だった。弱音を吐くを決して許さない、時代錯誤の古びた男、そんな父の稽古に耐えたから、今の自分があるのだろうが、父の全てに頭を縦に振るほど、私は父を受け入れてはいなかった。
『お前が背負った咎、人殺しの咎は、最後まで生きるからこそ報われるだろう、普通に生き、普通に死ぬ、決して自殺や他殺で死ぬ事も、ましてや空手の道を降りる事も許されない……恭二、一生を賭け、その罪を、咎を償いなさい』
だが、この時ばかりは父の話に、頭を上げれなかった。人殺しの罪は決して消えない、ましてや自分の命や立場を差し出して終わると思うなと諭された。
『一生を賭けて償え』
何と重い言葉か、そうして最後の死の間際まで、殺してしまった遺族や親族の怨嗟に苛まれ、英雄と称える被害者達にはその薄汚れた看板を背負い続けねばならない。
そして、それは道場だろうが、学校だろうが変わらない。背中に指をさされ、一生を生きねばならない罪を、私はこの時初めて自覚したのだった。
「ーーセイ!センセイ!どうしたんですか!?」
「はっ!?」
こうして町田恭二は呼び掛けにより、意識を取り戻した。
いや意識はあった、しかし遥か昔のあの時を思い返していて、呼び掛けにも応じれない程、過去の思い返しに没頭していたのだった。
目の前には、まだ小学生中学年程の子供が、正座する町田を覗いていたのだった。
「ああ、カラム……すまない、少しボーッとしていた」
「そうなんだ、センセイがボーッとなんて珍しいね、あ!もうみんな来たからね!今日もカラテ教えてよね!」
カラムはそう言って、この空間たる扉から出て行った。町田はそうしてやっと、自分が置かれている状況に気づいた。汗ばんだシャツと、誰も居ないカウンター……昨晩遅くまで働いていたのだった。
時計は無いが、日差しは明るい、ああ、仕込みを終えてしばらく呆けていたのだなと、右手前に空のグラスがあり、氷が溶け切ってオレンジジュースを薄い黄色の水に変えていた。
「行くか……」
時が経つのは早いな、この世界の一日は気にした事無いが、二十四時間ではないのかもしれない。
町田はそう一言呟くや立ち上がり、取り敢えず仕事着のシャツのボタンを外しつつ、カウンター席のユニフォームを取り上げ、店の二階へ向かう階段を上がるのだった。
夜遅くまで働き、早朝まで仕込み、休憩してから正午過ぎて、青空道場へ行き、指導を終えたら休み、夜に働く。それが町田恭二の、異世界におけるルーティーンだった。
このスラム地区で唯一かも知れないバー、そこが町田恭二の働き先であり、住処であった。さけはのめないが、ウェイターとして料理や酒の注文を取り、掃除をして、品揃えを確保する。
学生時代、アルバイトをするなら道場で鍛錬を積んでいた町田の、初の職場体験かつ、責任ある仕事。それと並行して、スラム地区の子どもに空手を無料で教えるという生活で、町田恭二の異世界は成り立っていた。
今日も、あの四方を壁に囲まれた道場という名の青空で、子ども達に空手を教える。こんなゴミ溜めの中でも、無邪気に子どもは笑うし生活しているのだなと、最初はその純粋さに綻びすら感じたなと、町田は青空道場へ向かった。
「こんにちは、皆さん、今日も準備運動か、ら……」
そして路地を抜けたところで、町田は言葉を失った。そこにはスラムの子ども達と混ざり、なんとも逞しい男が立っていたのだから。
しかも、つい昨日会ったばかりの男であった。
「押忍!町田師範!今日から町田道場で、空手を習いに来ました、神山真奈都です!よろしくお願いします!押忍!」
神山真奈都が、何とも清々しい笑顔で、十字を切って指導を請いに来ていたのだった。




