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力と、正義と、罪と。

 今俺は、中井と横に並んで正座して、町田恭二と対面していた。案内役だった佐竹は、この青空道場から姿を消したが、自警団とか言ってたし、その仕事に戻ったのかもしれない。


「それで、君たち二人は何故僕に会いに来たのかな?」


 あれこれと世間話や、この世界に来てからの話に花を咲かせたいが、要件だけは先に伝えておこうかと、俺は口を開いた。


「では、早速……町田さん、良かったら俺達と、展覧試合に一緒のチームとして出ませんか?今日は、そのお誘いで来たのです」


 要件を聞いた町田は、ピクリと身体を微かに動かした。そしてしばらくして、申し訳なさそうな顔を浮かべて、返答したのだ。


「申し訳ない……僕ではその展覧試合とやらで勝てる気がしない、足手纏いにもなるだろうし、他をあたってくれないかい?」


 弱気な回答だった、空手の天才、空手貴族の町田恭二の返事に、中井は正座を解き、片膝を立てる形に座り方を変えた。


「町田恭二、だっけ?俺はあんたの強さ知らないからさ、こんなふうに言うけど、随分と弱気じゃないか、天才空手家らしからないな」


 中井は挑発を込めた言葉をぶつけた、本当に俺が憧れる天才空手家なのか、弱気な態度に侮蔑すらも込められている様に聞いてとれる。しかし町田は、柔らかな笑みのままに言葉を返した。


「真実さ、僕たちがいかに鍛えようと、優性召喚者には勝てない、有象無象ならまだしも、いずれ超えられない壁に当たるのが私には分かる」


 中井は言い返されて、俺を見た。こいつが本当に、俺の言う町田恭二なのか?こんな弱気な態度の男が?そう言いたげな雰囲気が伝わってくる。しかしだ……俺は笑った。


「あっはは、そうですか町田さん、中々に諦めがいいんですね」


「まぁ、僕もこちらに来て長いからね、実力差くらいーー」


「嘘はよくないよ町田さん、あんた……俺達以上に燻ってるだろ?」


 そう、真っ赤な嘘で取り繕う町田恭二に、俺は間隙を放った。役に立たないだの、優性召喚者に勝てないなど、真っ赤な嘘だ。実力じゃない、彼の心の奥底にある燻りを、俺は見抜いていた。


「僕が、燻っている?」


「えぇ、そんなに諦めがいいなら、空手道場なんて開きますか?態々看板を掲げますかね?まるで、俺はここにいるからかかって来いと、挑発のほかありませんよ」


 町田恭二は、俺達以上に戦いに飢えている。もしも現実を知り、この異世界で力の差を、優性召喚者と劣性召喚者の差を知るなら。こんな異世界で、空手道場を開くことは無い、何せ簡単に『辞めれる』からだ。


 空手の鍛錬なぞ辞めて、静かに暮らせる選択肢を選べるからだ。だのに町田は、このスラムの空き地で看板を掲げて、道場まで開いて空手を教え、自らも現世と同じ鍛錬に勤しんでいる。周りを見れば、地面に突き立てた木板に藁縄を巻いた鍛錬具『巻き藁』があり、そこにはすでに、何度も何度も拳を打ち込み、凹んだ跡がある。


 俺は正座から立ち上がり、その巻き藁の前に立った。


「燻ってなかったら、こんな跡つかないでしょ、巻き藁に」


 巻き藁に対し、俺は拳を作り軽く小突いてみる。しなる木材の板に藁縄を巻いた、拳を鍛える巻き藁は、古くからある空手の鍛錬道具だ。俺は、確かこうかと巻き藁を前に、左足を前に出し膝を曲げて腰を落とした体勢になり、右拳を握った。


「シッ!」


 そして、巻き藁を突いた。ガカン!と板がしなり音を鳴らす。それを見た町田は、すくと立ち上がると、俺は巻き藁から離れた。


「堂になってるけど、全然違う、前屈立ちはこう……逆突きはこうする」


 お手本はこうだと、町田は巻き藁の前に立った。初めて見る、町田恭二の巻き藁打ち……膝を曲げ腰を落とし、構えただけで理解する。中井も立ち上がって、見る程に、町田恭二の『構え』は熟練者のそれを思わせた。


「ぇえいっ!」


 透き通る気合と共に放たれる、右手の正拳逆突き。俺よりも板がしなり、音を鳴らすが、何より突きの速さだ。腰から拳への連動が素早く、揃っていて綺麗で、何より早い。


 こんな拳で殴られたら……顔面陥没しかねない、それを思わせる一撃の説得力が、そこにはあった。


「町田さん、やっぱりあんたに来て欲しいよ、あんたが居れば俺達……展覧試合なんざ軽々制覇できるって」


 というわけで、もう一度勧めてみる。うちに来ないかと、展覧試合に出ないか、優性召喚者と戦ってみないかと。


「遠慮しておくよ、確かに君の言う通り、燻ってるのは認める……しかし、血気の勇は戒めないとさ」


「わー、出たよ……日本空手協会の道場訓だ」


「おや、知ってるんだ?」


 それでも、空手家として道場訓まで引き出して、町田は頑なに闘士となるのを拒んだ。しかし、燻りは認めていると、そこは正直に話す町田に……ふと、ある事を確かめる事にした。


「えぇ、知ってますよ……空手家、武道家は守る事が多いですね……あの時もそうだったんでしょう?」


「あぁ、守ることがーー」


 あの時……俺は、その一言に身体を硬らせた町田さんを見逃しはしなかった。中井は首を傾げて、俺に尋ねてきた。


「あの時……あの時って、何の時だ?」


「中井は知らないか?新聞にも、ネットニュースにもなるくらいだったのに?」


 話を続ける俺に、町田さんはこちらを見ない、口を慌てて遮ろうとしない。本当に、この人はどこまで精神が強いのだろうか、俺なら耳を塞ぎたくなる、ある事実……それを中井に俺は語った。


「中井……ハッキリ言うよ?町田恭二さんはね、俺達より強い、キャリアの問題じゃあない、習っている格闘技や武道の優位性じゃあない……ある一面をして、僕達より高みに居るんだ」


「それは一体……」


「……止めないのか、町田さん?俺の口を」


 とは言えだ、俺にも町田恭二への尊敬がある。この先を言うのを止めない町田に、躊躇って確認をとってしまった。


「好きに言いなさい、事実だから」


 町田恭二は、決してこちらを見なかった、返答だけが聞こえた。そうして、俺は中井に真実を伝えるのだった。


「中井、空手家町田恭二はね……その素手を持って、人を殺しているんだ、しかも……1人2人じゃあない、総勢にして5名近くの人間を素手だけで殺した、人間兵器と言うにふさわしい空手家なんだよ」


 俺の口から聞いた話に、中井はまず驚いたが……いやいやと笑って首を横に振った。


「いや、いやいや、無いから……それマンガじゃんよ、あり得ないって……嘘でしょ?ネットの都市伝説でしょ?」


 あり得るか馬鹿馬鹿しい、中井はそう言って俺や、背中を向けたまま、こちらを見ない町田を交互に見て、笑顔を曇らせた。


「冗談でーすとか、ドッキリの看板とか、あるなら……出してよ、てってれぇえー、って……」


「事実だ、その時の新聞にも、ネットニュースにも載ったさ……」


 それを事実と認めたのは、町田恭二本人だった。町田はゆっくり振り返ると、座った目を俺と中井に見せた。


「力無き正義は無力、正義無き力は暴力……誰が言ったかな、あの時の僕には正義もあった、力もあった……結果、僕には殺人という罪とだけが残ったのさ」




『義を見てせざるは勇無きなり』


 いつかだった、父が祖父からこの言葉を聞いたのは。空手を続ける中で培った武道の精神、そして正義の心。悪しきを許さない、正の人間であれと教わった。


 その時の僕は正しくそれだった、悪は許さない、決して許してはならないのだと、頑なに信じていた。


 同時に、自分がどれだけ危うい武術を習っているのかも。それを素人の喧嘩に使ったその日には、段位も帯も取り上げ、縁を切るとまで厳しくも言われたくらいだ。例え殴られても、蹴られても、絶えなければならない。武道とは強さを求めると同時に、己の血気との戦いでもあった。


 怒りでハラワタが煮えくり帰ろうと、笑ってやるくらいの度量と余裕を培うのだと。


 もしも、その手が拳を握る事があるならば、試合の時か。


『これ以降の人生、全てを捨ててでも、守らねばならない事がある時』だと、父に教えられた。


 そしてその時は来てしまった、母校の校舎裏、1人のクラスメイトの女の子が下着で口を塞がれ、男達が押さえ込み、裸にされ……それをほかの女生徒が笑って、携帯のカメラで録画していたのだ。


 別に、押さえられている女の子が好きな子でも、彼女なわけでもない。彼女には優しい彼氏が居たのは知っていた、単純ないじめだ……義憤というやつだ。


 しかし……それだけでは無かった。口実が必要だったのだ、試合じゃあない、実戦の中で僕の空手は……どれほどの物なのかという、興味が湧いていたのだ。


 巻き藁を突いた、自然木も突いた、鉄の柱を蹴り、サンドバッグを殴って蹴り続け、焼き石の入った壺に、何度も手刀を放った。


 瓦を割った、氷柱を割った、自然岩を割った、束ねたバットを蹴り折った、砂入り麻袋を突き破った、コーラ瓶を切り落とし、コンクリートを砕いた……。


 そんな凶器を、本気で振るったら……人間はどうなるのか?試合では使えない技の数々、それらを対人に使ったら、通用するのか!?


 結果……通用した。


 人というのは、案外に脆かったのだった。


 両眼を潰してやった、喉仏をちぎってやった、睾丸を蹴り潰してやった、膝頭を蹴り抜いて膝を逆に曲げてやった、胸骨を打ち砕き心臓を止めてやった、頭蓋を砕いてやった。


 息を切らし、両手とカッターシャツ、ツータックズボンを血に染めた僕を、脱がされ泣いていた彼女は見上げていた。


 その目を見て、僕は言った。


 警察を呼ぶんだ、早く、早く。




 結果から言おう、僕の『殺人』は『正当防衛』になった。


 僕は人を殺してしまったどころか『ヒーロー』に祭り上げられた。


 第一に、襲われていた女の子が被害届を出した事、それが大きかった。これが僕の助ける口実であり、逃げる事も出来なかったので、戦うしかなかった、警察が来る前に被害に遭っていたかもしれないと立証された。


 第二に、人数と武器。不良達は皆、ナイフやスタンガンを所持してそれを使用した事。無論、抜くのを見てから僕は彼らに攻撃を始めた。人数はたしか5名、そして武器を持っていた事が正当性を更に強めた。


 最後に。彼女を襲った不良全員は、同校、他の学校の女子生徒にも多人数で同じ事をして、動画を撮り、それで脅迫して金品や、現金を巻き上げていた余罪が見つかった事。つまり、あの不良達は本当に、救いようのないクズであったのだ、彼らによる自殺未遂者も居たらしく、その被害者の会が立ち上げられ、僕を擁護した事だ。


 そしてこの事件は、地元新聞どころか全国区の新聞に記事が載り、殺人を犯しながら僕は『女の子を救うため、その手を汚した悲劇のヒーロー』というレッテルを貼られた。


 ネットニュースは賑わい、テレビの討論番組にも話題が上がり、コメンテーターは僕を擁護した。


 こうして……世論を味方につけた僕は、5人も人を殺しておいて、法治国家たる日本で、異例の無罪放免を勝ち取ったのだった。一人の女の子を助ける為に、殺人という罪を被ったヒーローとして。


 裁判所前で、被害者の会の親御さん達が、まるで縋り付くように、泣きながら僕に感謝を次々に述べた。ありがとうございます、娘を助けてくれて、ありがとうございます。貴方はヒーローだ、君を悪くいう奴は居ない、君はまちがってないんだ。ありがとう、ありがとう!ありがとう!!


 僕は言いたかった、違うんです、僕はただの人殺しなんです。ただ、実験の道具にちょうど良くて、口実が欲しかったんですと。


 弁護士にそれを話した、結局は自己満足なんだと、しかし弁護士は涙を流し、わざわざ君が罪を背負う必要は無い、悪いのは彼らだと、俺を純粋な正義漢と信じて無罪を勝ち取ると言った。


 今でも、護送用の車に乗るときに、俺が殺した不良達の親御さん達が、うらめしそうにこちらを見ていたのは、網膜に焼き付いて消えやしなかった。




「自己満足の正義を為した、悪は消え去った、そして……罪だけがこの手に残った」


 俺に両手を見せる町田の手は、ボロボロだった。指先から手首まで、指の形は歪で、皮も厚い……鍛える場所は鍛えた手、空手家の手だった。


「指先から手の甲、ひら、拳まで、しっかり残ってるよ……人の命を奪った感触がね、馬鹿な事をした……あんなに和かに空手を突き詰めると言ったのに、結局はその力を試したかったんだ」


 町田恭二は、罪に苛まれていた、自己満足の口実で正義を騙り、そして人を殺しながら断罪されなかった事を、この異世界に来てもずっと、町田を苦しめていたのだった。



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