町田恭二という『空手家』
『空手』
この二文字を見て、日本人は何を思う。
『柔道』でもよいか?
『剣道』でもいいかもしれない。
空手……空の手。
その始まりは諸説あるが、一つを挙げるならば沖縄、琉球の古武術『手』より始まり、中国武術の流入を得て、本土へ渡ったのが始まりとされている。
そして空手家、船越義珍により本土への指導が開始され、空手は産声をあげた。船越は流派を名乗らなかったが、その弟子達は道場の名前『松濤館』から名前を取り『松濤館流』を名乗った。
以後、空手は様々な流派が乱立し分離していく。
四大流派からなる『伝統派空手』
大山倍達が提唱した、極真空手から始まった直接打撃制『フルコンタクト空手』
Kー1発足より始まり、ボクシンググローブを用いたより競技制が高まった『グローブ空手』
発祥地沖縄にて、伝統と歴史のままに鍛錬する『沖縄空手』
柔道、剣道と違い様々な流派や団体が立っては消えていく。空手とは即ち、現実幻想が入り混じった、混沌とした格闘技なのである。
そしてこの異なる世界において、空手をその身に習得し、身を立てるまで至った漂流者が居る事に、俺の興奮は高まり止まる事を知らなかった。
シダト国、王都ルテプは北西……三木原の話に聞いたスラムのエリア……。俺と中井は今、その境界線らしい場所に佇んでいた。
「いやはや、こうも違う?もう別世界だよね?」
「そうだねー……ほんっと、ガチのスラムじゃん」
そう、まさしく境界線だ。まるでアメリカとメキシコの国境の如く分かれている。俺たちの背中には、まぁ普通の住宅地に対し、目の前の家屋や建物は古びている。それ程までにくっきりと、俺達が立つ場所は分かれているのだ。
こんなところに、人がいるのだろうか?居るのだろうさ、居なければ家屋は廃墟と化し、古びているだけに留まらない。
俺と中井は、二人してこの危険区域に踏み入り、そこに居るという空手バカに会いにいくのだ。かと言ってビビってる訳がない、なんの気もなしに、俺達は普通に休日で街を歩く様に、スラム向けて歩き出した。
三木原から話を聞けば、このルテプのスラムは、まず貧民の区域である事、そして使い物にならなくなった、戦えなくなった『闘士』を追いやる場所とも聞いた。大怪我により戦えなくなり、働く事もできなくなると、ここに貴族が運び込んで蹴り転がしていくのだとか。
鼻につく異臭、なによりハエも飛び回って衛生も少々良くないが……スラムだと言う割には人は普通に歩いているし、喧騒も無い。店も普通に営業しているし、人々は笑顔を見せて話をしている。
スラムではなく、これは普通の平民街では?確かに貴族や、富裕街からすれば荒れているのかもしれないが、普通の様子が伺えた。
「中井くんや」
「なんだい、神山くん」
「スラムに来たんだよね」
「そうだね……」
二人して並びながら、静かな街路を歩く俺と中井だったが、遂に俺は折れた。
「想像と違うんだけど……」
「そうだね」
「こうさ、抜身のナイフを投げて弄んでる、ギラついたやつらがさ、樽に座ってたりうんこ座りしててさ、避けて行けばまた別の奴が居て……」
「分かるよ、最後に逃げついた先は行き止まり、後ろを見たら十数人は居てさ、追い詰められてナイフをぎらつかせるんだろう?」
俺達は、脳内スラム街あるあるを想像しながら来たのだが、全くそれらしさは無い。ギラついたギャングがナイフを光らせる事も、酔っ払いが酒を抱えて寝ている事も無い、名前だけのスラム街に俺達は、はぁと溜息を吐いた。
実際、期待していた。そんなギラついた目のギャングが現れて、脅されて……喧嘩になるのだ。そうしたらこう、応じる訳だしね、現代日本じゃ犯罪になるけどさ、異世界だし……代理決闘の相手もまぁつまらない奴だったし。
「そんな奴ら、居ないね?」
「居ないですな」
脳内ギャングスタ達はこの世界には居ない、それらから喧嘩を売られるのも多少楽しみにしていた俺達は、気分を変えて本件をこなす事にした。この世界で、空手をし続ける男を探す事、一体このスラムの何処にいるのかと、俺と中井はスラムをふらついた。
「おい待てよ……」
と、ここで俺と中井に、後ろからそう声が聞こえた。俺達はこの時、それぞれが嬉々とした顔をしただろう。遂に来た!絡まれた!そんな顔で俺と中井は後ろを見た。
そこには、現世にはまず居ない、赤髪の鋭い目をした、筋肉質な肉体の男が居た。
「いい身なりだなあんたら、こんな所に来て道を迷ったかい?」
道に迷ったか?だと……なんとまぁ、優しい常套句だろうか。如何にもな感じがしてならないじゃないか、しかも見れば、周囲の路地からどんどん、同じ様なギラついた輩が集まって来た。中井が、背中を守るように俺と背中合わせに自然と移動していく。
中井はやる気満々だった、そう言えば中井はこんなイキり散らした輩を狩るのが現世での趣味だとか言っていたが、いわゆる大好物が出てきた事に、待ちきれないのだろう。
「いいやぁ、迷ってない……むしろ待ってたんだ、こーんな感じの展開」
「何だと……テメェ、まさか召喚者か?」
「劣性だけどね、そう言うお前はこっちのーーうん?」
喧嘩前の口上、罵り合いが始まろうとしたが、俺はふと赤髪の男の手を見て気が付いた。そう、この赤髪の男、両手に刻印が刻まれていたのだ。つまりは『優性召喚者』の証だ。
三木原から聞いた、戦えなくなった用済みの中央の闘士は、このスラムに捨てられると。しかし、目の前の赤髪の男はそんな雰囲気は無い、肉体面も充実しているし、活力も漲ってる。中央の闘士になる筈の資格を持つ男が、何故この様な場所に?
「優性召喚者……あんた、見かけは元気そうなのに、ギャング紛いな事してんのか?」
俺は赤髪の男にそう聞くと、彼は右手を挙げて、仲間らしき者達を下がらせた。
「そんな事しちゃいない、こいつらと俺は自警団だ……俺自身ももう戦えない召喚者で、ここに捨てられたんだよ、今は先生に拾われてんだ」
「先生?」
「あぁ、町田先生……このスラムを治めちまった、町田恭二先生さ、あんた達と同じ劣性召喚者なんだよ」
こうして、俺達は……その赤髪の召喚者より、その空手家の名前を聞かされた。その人物が空手家だと、何故知る事ができたかと言うと、それは俺自身の頭の中に、その名前があったからだ。
「町田恭二……町田恭二がこの世界に来てるのか!?」
「おい?ど、どうしたよ?あんた?」
その名前を聞いた瞬間、そいつが三木原の話にあった、松濤館流の空手家であった事を断定出来たのだった。赤髪の男は、俺の大声に慌てて両手を突き出し、落ち着けとなだめてきた。
「何?町田恭二?知ってる人かい、神山くん?」
中井からも、まさか知り合いかと問われた俺だったが、すぐにこう返した。
「いや、俺は知ってるが、町田は俺を知らないだろうな、何せ町田恭二は……現世の空手雑誌に取り上げられるくらいの……名選手だから」
俺は知ってるが、相手は俺を知らないだろう。それが正しい解答だった、それ程までに『町田恭二』と言う名前は、空手界隈……いや、格闘技界隈では名の知れた男なのだった。
「いや、中井は町田恭二知らんのか?」
と言うか、同じ格闘家なら中井も知ってていいくらいのビッグネームである、知らんのかと中井に聞けば、中井は首を傾げた。
「知らない」
「格闘技雑誌の格闘技ゴングとか、空手系の雑誌に取材されてるぐらいだぞ?」
「そーなの?僕、寝技とかの選手のページしか見ないから」
「もー、この生粋のグラップリングバカ、グラバカだなぁ、中井くんっ」
「そーおー?ありがとう褒めてくれて」
お茶目に真面目に寝技やグラップリング系しか読んでないなんて言う中井の頬を、このっこのっと突いてやる。本当にこいつ格闘家らしからない、甘い顔しよってからに、さっきまで自警団相手に見せた怖い顔はもう消え去っていた。
「あー……何だ、すまないけど……つまり、会いにきたのか?先生に?」
赤髪の男は置いてけぼりにされ、バツの悪そうに目的を聞いてきた。俺はいかんいかんと、中井を突く指を止めた。
「おっと、そうだ、会いに来たんだ……空手界の最新兵器、空手貴族様の町田恭二に、御目通り願いたくね……あー、えーと」
「佐竹だ、佐竹健児……ついて来な、先生に会わせてやる」
赤髪の男、佐竹健二は、そう言って俺と中井について来いと言うや、背を向けて歩き出したのだった。
『僕は一生、空手を突き詰めたいと思ってます、伝統派も、フルコンも、沖縄古流も含め、自分の空手道を突き詰めたいと思います!』
雑誌、格闘技ゴングの表紙を飾った。町田恭二の言葉だった。
町田恭二は、年齢は俺の一つ上の17歳。身長178cm、体重70kg。
父方の祖父に沖縄空手の達人が居て、父親は日本空手協会の役員にして指導員、母親はフルコンタクト空手の名選手という、空手家の家に生まれた、空手界のサラブレッド。
その期待の通り、彼は家族から厳しくも温かな指導と愛を受けて育った。皆がゲームのコントローラーを握る時には、トンファーを握り締めて型を練習し、友達がボールを蹴って遊んでいる時には、道場でサンドバッグを蹴る。
そんな、空手漬けの生活が当たり前の、彼が弱いわけがなく。彼は伝統派のスポーツ空手、フルコンタクトと構わず様々な大会に出場し、表彰台に登った。更には古武術の演舞会にて、十代にしてトンファー術やヌンチャク術、サイ術を披露する程の武器術も体得していた。
これをプロ格闘技は黙ってない、様々な団体やジムからオファーが来た。格闘技ファンも、町田恭二がキックボクシングか、総合格闘技に参戦する事を待ち望んでいた。
そこに、この言葉だった。プロにはならず、一空手家として、空手を突き詰めたい。これに不満を漏らす輩は居たが、格闘家達は痺れさせられた。
伝統派、フルコンタクト、沖縄空手、全ての空手をもって、武道家として突き詰めていきたいという、求道者の宣言だった。『格闘家』ではない『空手家』になりたいと町田は宣言したのだ。
雑誌で町田は、夢を語った。いずれは自分の流派を立てたい事、道場を持ちたい事。伝統派、フルコンタクト構わず指導できる環境を作りたいと。
ネット界隈では、伝統派だフルコンタクトだの優劣論争が行われている事にも。
『流派に優劣は無いですよ、結局その人が強いかどうかですから』
とクールに返していた。
つまり、町田恭二を総評すると、生粋の空手バカである事は、事実であると同時に褒め言葉であるのだ。
その町田恭二が……この世界に流れ着いている!同姓同名の別人などとは考え無い、何せ町田恭二は流派を名乗る時必ず『松濤館流』を使っているからだ、これは初めて習った空手が父親の、伝統派松濤館流だからである。
佐竹の背中に追従し、中井と俺は歩き続けた。スラムの中でも、奥の奥まできたかも知れない。しばらく歩くと、佐竹はある路地を指し示した。
「あそこが町田先生の道場さ、まぁ、道場とは言え青空道場だけどな?」
俺と中井は、その路地を見る。そして俺は思わず声を上げて、路地の壁を指差した。
「見なよ中井、看板掛けてる!」
立派な木の看板が打ち付けられていて、そこには日本語で刻まれていた。
『空手道松濤館流、町田道場』
「うわー、何か怖くなって来たんだけど神山くん、もうこれ、宗教じゃない?」
「武道は宗教だろうよ、道場訓とかあるし」
そんな話をしていれば、佐竹は路地に入っていく。俺達も付いて行き、路地を抜けた先には広い空間があった。建物と建物の隙間にできた空間で、通気性は悪い、真上では太陽が照りつけているが、地面は石畳で磨かれている。
そんな広い空間の奥に、一人の男が、正座をして待っていた。正座をした男は、ふと気が付いて立ち上がり、こちらを見た。
「おや、佐竹くん……今日は休みだけどどうかしたかい?」
「町田先生、お客様っす」
俺は、その顔を見て……なんとも言えない言葉がこみ上げてきた。中井とは違うが、整った顔つきには、正しく火が宿った様な面魂が見え、和かにこちらを見ている。
見て分かる、本物の町田恭二だ、そして……戦いたいという感情よりも俺は、こみ上げて来た言葉を何とか飲み込んで、ゆっくり歩み寄り……両手を差し出した。
「町田恭二さん……雑誌とか、動画で試合、見てたっす、まさかこんな場所で会えるなんて、握手して貰ってもいいっすか?」
「あははは、それでわざわざこんな場所へ会いに来たの?いいよ、握手しよう」
「いやファンかよ!何してんだ神山テメェ!!」
中井のツッコミを無視して、俺は尊敬全開で町田恭二と握手をするのだった。