歓声は力
鼻血を垂らし、星が飛ぶほど、世界が明滅する強さのドロップキックを受けた神山は……意識が飛んでいない事に安堵した。格闘技のダウンで、顎やこめかみで脳震盪を受けてダウンして、意識を失うのはそこではない。
それから後ろへ倒れて、後頭部を強打する二次災害が意識を手放す原因になり得る事もある。審判も、この倒れ方は即座に後頭部を庇おうと必死になる。
神山は、中井からスパルタに叩き込まれた受け身で、何とかそうならずに済んだ。それはそれとして……鼻は潰されてしまったが。立ちあがる神山に、朝倉は自信を満ち溢れさせ胸を張り、ボロボロの神山に余裕の笑みを見せた。
「ごめんなさいねぇ、せっかくの顔立ちがペシャンコの酷い様だわ?」
「いや……いい……」
それがどうしたと、神山は縄バンテージから露出している両手の小指を立て……。
「え、あ、ちょっと?」
「ぎぃい!!」
「えぇっ!?」
そのまま、潰れた鼻の両穴にそれぞれ突き刺した!
「あがが!!いいいぐぁああ、ぎぃい!!」
鼻骨を破壊された際の治療法は、酷だ。鼻腔に麻酔を染み込ませたガーゼを詰めて、それが効いた後に鉗子と呼ばれる医療器具を鼻の穴に挿入して元に戻す。
神山も、アマチュア試合や練習中にで鼻を何度か潰された為、治療法は知っていた。この場合は最早応急処置の荒療治、麻酔無しでの整形という沙汰に朝倉は目を見開いて思わず待ったと手を伸ばしかける程の光景だった。
痛みに悶えながら鼻を弄る事しばらく、滴る血液が血溜まりに成る程流れて、鼻を戻した神山が涙ぐんだ目と鼻から舌を血に染めた顔で、ふんと鼻から強く息をして血は更に吹き出して、しっかり元に戻った事を見せつけた。もしも潰れたまま鼻から強く息をしようとしたら、行き場のない空気が眼球を押して飛び出て来る、だからまず鼻からの息を確保するため神山は荒療治に踏み入ったのである。
「治った」
「よくまぁやるわね、回復魔法とかないと難儀な事……」
ゴアな光景に朝倉は引きつつも、戦いは終わっていないとまたステップを刻む。そして尋ねた。
「あなた、さっきから攻撃しないけど……まさか前に言った一撃宣言を守ってるのかしら?」
まさかあの宣言をここまで従順に守っているのかと、軽やかなステップで再び左右へ動く朝倉に対して神山は、まだ構えずステップで移動する朝倉を視界から外さない為、ゆっくり歩いて正面に来る様に位置と間合いを保った。
「それとも、町田くんと同じ女に振るう拳は無いとでも言う
?』
まさか町田と同じ理由かしらと笑って尋ねる朝倉に神山は言い放つ。
「両方、一撃で倒す気でいるし……女の子殴るのは嫌だから、中井と違って……しっかり道徳は義務教育で習ってるからね」
両方だと言う神山に、朝倉のマスクの下の素顔が歪んだ、特に前者……これだけされてまだ勝てる気でいるのかと朝倉はステップが止まるほどに苛立ちを覚えた。
「へぇ……まだそんな元気あるのね」
「ああ、コンビネーションもブラフも必要無い、一発……一発であんたを痛みも無く倒してやる」
そんな強がりに、いよいよ朝倉はキレた。そこまでの減らず口を叩くならば、それ相応の力で持って叩き潰してやろうではないかと。
「そう、なら……もうルチャ・リブレはお終いね?」
朝倉はそう呟いて、右手を挙げながら人差し指と親指を立てて、さながら拳銃を模した様なフィンガーサインを見せた。このサインをした朝倉に、神山は目を見開いた。
『あーーッと!?カイリ選手どうした?マナト選手に向けて何やら空を示すジェスチャーだ!!』
『初めて見せますね、何のサインでしょうか?』
実況のマティウス、解説のフルタチもこのジェスチャーは初見であった。観客もこのサインの意味を知る者は誰一人として居なかった、河上や中井ですらも何をしているのかと疑問符を浮かべた。ただ……目の前で対峙する神山だけは、そのサインの意味を理解していた!格闘技マニアであったが為か、あまりにも古いその所作を彼女がした意味合いを理解したが為に目を見開くほど驚いたのである。
「この指が意味する事、貴方には分かるわね?」
「シュートサイン……!」
シュートサイン……それは、真剣勝負を意味するハンドサインである。
プロレスにおける、勝者とは……試合の勝敗では決まらない。最も歓声をあげて一身に受ける者こそが真の勝者である。だが、そのプロレスにおける真剣勝負の意味を持つ言葉、隠語として『シュート』と言う言葉がある。
その手が指し示す通り拳銃を模した手を掲げて、これより先はプロレスではない真剣勝負をしろという意味合いを持つ。1980年から〜1990年代日本プロレス界でも見られたサインであった。
わざわざ神山にそれを見せた朝倉、つまりここからは遊びも無しの本気で戦うと言う意思表示でもあった!手を下ろした朝倉が、再び軽やかなステップを始めて神山に言い放つ。
「ルチャドーラはショー精神だけではないわ、私の母も喧嘩は強かったのよ……見せてあげる、ガチの私を、それでもまだ一撃で勝つなんて言えるかしら!」
容赦はしないと一家に踏み込む朝倉に、神山は構えた。そして飛翔する朝倉に、神山は顔面を庇う様にガードの体勢を取る!恐らくは捨て身のレッグラリアートで薙ぎ払いの蹴りを放つだろうと思っての反応!だが!
「はっ!」
神山の目の前で、朝倉の足が空間を蹴り、さらに上へ跳ね上がったのだ。
「二段ジャンプーー!?」
階段を駆けるとはまた違う、プロレスのロープを踏んでそのバネで跳ねた様な現象!そして神山を飛び越えた朝倉は、身体を捻り後頭部目掛けサッカーボールを蹴るかの様に神山へ蹴りを放った。
「っっあああ!?」
間一髪身体を捻り腕を回して蹴りから頭部を庇い何とか被弾防御した神山、だが着地した朝倉は先程以上のスピードで、体勢を崩した神山に猛攻を仕掛ける!
「オオラァッ!」
飛び込みながら、体重を乗せたエルボーブローをガードする神山の腕に叩き込む!その威力に神山は、昔ミットを受けさせてもらった、ムエタイのトッププロ達の肘打ちを思い出させた。骨が軋みを上げるほどの威力に、神山は後ずさる。
「そらぁ!ッシャイ!!」
そこへ畳み掛ける様に、不格好ながらも力を込めた左ミドルキック、さらにケンカキックを放ち神山を蹴り倒した!
「あうっ!?」
無様に蹴り転がされた神山、されどすぐに立ち上がり朝倉の真剣な強さを体感して驚いた。それと同時に、疑問を解消しようと頭をフル回転させた。
空間を踏み跳躍をさらに可能にした理由……は、魔法なり何なりいくらでも出来よう。自分を弾ませたそれも多分魔法だ、しかし……。
「さっきより……威力が強いな、歯に薬でも仕込んで飲んだかよ?」
「ステロイドなんてものに頼ってないわぁ、まぁ……もう私が勝つから種明かししてあげる」
瞬間的な筋力増強剤なんて馬鹿げたものじゃあないと、朝倉は勝利の確信と余裕から、種明かしと語り出した。
「では神山くんに問題……ルチャ、ないしプロレスにおいて、最も力が湧く現象はなんでしょう?ううん……違うわね、あらゆるスポーツで、選手の限界を引き上げる素晴らしい行動はなーんだ?」
朝倉により出題された問題に、神山は悩む。限界を引き上げる行動……薬物投与?酸素注射?瞑想?ルーティーン?神山は考えた、そんなものがあるのかと……悲しい事に、神山はその答えがすぐに出なかった。
それは、彼がアマチュアの舞台において『有象無象の一人』の時代が長かったからーー。だから、気付くまで時間がかかってしまったのである。
神山は気づいた時、納得と同時に歯噛みした。成る程と、それは強くなる……自分が全く現世で受けてこなかったものが、今この会場を満たして、彼女に力を与えている事に!
「声援か……成る程、あんたにピッタリの能力だな……」
「正解……ご褒美に私が勝った時には熱いキスをしてあげるわ」
朝倉海莉の異常なる剛力は、その声援により増大する異能によるものであった。