寸止め空手
頬を叩かれた町田恭二は、コーナーの柱に手を置いて脹脛や背中を伸ばしたりと柔軟をする。腰を回し、屈伸、手首足首と回して首を回し……振り返り正反対に見える薬師寺を視界に収めた。
当てるか、当てないか……河上は当ててやれと言う。
町田はふと、右手を少し上げて見つめた。脳裏に今でも焼きついている光景が浮かび上がる……。この手が胸骨を、顎を、肋骨を砕き、目を抉った……その中には今戦う彼女の友人も居たという。彼女の兄も、自分が完膚なきまで壊した……楽しかった事この上ない。
今更である、この世界に流れ着いてこの手が幾人屠ったか……好きなだけ自らの力を振るえるのだ。だが……彼女は自分を現世で、唯一膝を付かせた男の妹なのだ。
「はじめぇ!!」
開始の鐘が鳴った。そんな風に呆けていたか気を取られていた町田が構えた瞬間。
「はうっ!?」
町田恭二の肉体を凄まじい風圧が襲った。
「空手でやり合うと思ったか!素手で殴りあうと思ったか町田恭二!!」
開始早々の事、薬師寺彩芽が先手を取った!宙に、何も無い場所へと……正確には離れた町田恭二に向けて薬師寺は拳を次々繰り出していた。その度に町田が佇むコーナーの魔法障壁に何かがぶつかって音を立てて土煙が舞う!
「この世界で格闘家の加護を得た人間は遠距離にも対応できる様に魔法を習得するのが当たり前なんだ!あんたが如何に間合いを詰めるのが上手かろうと、こうしてしまえば近づけやしない!!」
改めて、その身に刻み込めと、この世界の『格闘家』のスタンダードを怒りと共に薬師寺は叩き込む!最早それはアニメの世界や漫画の、気弾の乱射を再現するかの様に!
『アヤメ選手の風魔法のラッシュだぁ!!あえて無詠唱可能な初級魔法、風撃弾を連続で叩き込み、キョウジ選手をコーナーに閉じ込めたぁ!!』
『一気に仕掛けて来ましたね!コレは厳しいですよ!!ですが、キョウジ選手はマギウス戦でも魔法薬を使ってましたからね!!臨機応変に行けばまだ勝機はあるでしょう!!』
実況解説による状況を理解しながら、神山と河上は二人並んで町田の戦いを選手入り口より見ていた。二人して感想は同じである。
「うん、まぁ……そうだよな、魔法使うなら」
「それはまぁ、そうするだろうよ」
妥当な手段である。TEAM PRIDE全員もれなく魔法なぞ使えない遠距離攻撃手段が無い、劣性召喚者。そもそも優性召喚者はまずこの闘い方をしてくるだろうと、それは全員しっかり頭に叩き込んでいる。そしてそれを、卑怯だなどと口にはしなかった。何せ、自分も同じ立場ならそうするから。
TEAM PRIDEの戦いは、まず間合いの詰めから始まる。自らの技の間合いまで近づく事から始まる、神山も、中井も、河上も例外では無い。
「くたばれぇ!!ソニックスラッシュ!!」
お前に一撃も攻撃などさせるものか、強烈なメッセージをそのまま乗せたかの様な、回し蹴りとともに放たれた巨大な三日月の可視化された斬撃が、土煙に包まれた町田の居たコーナーを通過した。
さしもの観客も流石にこれは、いくらなんでも町田恭二は倒れただろうと思わされる波状攻撃。巻き上がった砂利がパラパラ音を立てるほどにまで土煙が巻き上がる中ーー。
その土煙を矢が放たれたが如くに現れた町田恭二が、即座に間合いを詰め。
「っええい!!」
気合いと共に右の正拳を薬師寺の顔面に放った!
パァン!となんとも軽快な音が会場に鳴り響く!当たった、間違い無く当たった!あんな正拳、受けてしまえばもう一溜りも無い。薬師寺の顔面が崩壊した様を観客は想像するに容易かった。
しかしーー。
『キョウジ選手強烈なーー!?え!?あ、いや……』
『あ、当ててない?ですね……』
町田の拳は、薬師寺の顔面到達まで一寸の距離で、止まっていた!距離を間違えたのか?薬師寺が危うくバックステップで回避したのか?観客や実況、解説は的外れな思惑を浮かべる中。
「す、寸止め!?」
「阿呆め……」
神山は町田が、わざと止めた事を理解し。河上に至っては、やはりそうしたかと呆れを口した。
「お、お前……!!」
そして戦っている薬師寺からすれば、これ程までの侮辱行為は無かった。さらに、町田が自分を見据える瞳の澄み具合が、自分の全てを見透かされているようでやるせなさまで覚えてしまう。
素早く、そのまま下がった町田は構えを見せた。それこそ、予選から本戦まで見せた安定性ある歩幅の広い構えから、その場にただ立つ様な自然な立ち方で、拳を握らず手を開き自らの手前に添える様な構えであった。
「バカにしてるのかっ!町田恭二ぃい!!」
間合いを詰められたばかりか、攻撃を止められたという屈辱は一気に薬師寺のボルテージを引き上げる!さっきまでこの世界の格闘家は魔法で遠間も制するのだと宣いながら、それを即座に忘れて殴りかかった。
右の上段正拳突き、しかしそれは町田の顔面に到達する前に、町田の左手に叩かれた様に逸らされ空を切る。
「いやぁああ!!」
しかし、それでも薬師寺の連繫は止まらない!左上段前蹴り、右後ろ回し蹴り、左中段突きに右逆手突き、観客もその綺麗ながら力強い連続攻撃に唖然としただろう。全て、町田恭二にかわされ、捌かれ、流されていなかったら。
『あ、当たらない!アヤメ選手の攻撃が一切当たっていません!全ていなされ防がれています!!』
そしてーー町田恭二は薬師寺の左下段回し蹴りに対して回避しながら、見えた膝裏を引っ掛ける様にして足を絡めて、着地を阻止した。
「うあ!?」
無論そんな事をすれば、バランスなど崩れてしまう。薬師寺は前に引っ張られる様に引っ掛けられた足に捉えられ、そのまま尻餅を付いた。そしてーー。
「えぃぃいーー!」
倒れた薬師寺の顔面に、また町田が寸止めの拳を気合いと共に放って離れるーー観客達もようやく気付いた。町田恭二は、いかな相手が闘士であろうと『女性は殴らない』と決めたという事に。
『け、けどいいのかこれ?確か戦意喪失とかルールになかったか?』
『いや、しっかり戦う気は見せてるみたいだし……』
どよめきが広がる、少なくとも、女性ながら闘士としてこの場所に上がる以上覚悟はできているし、男の闘士もそれは承知で戦っている。故に、町田恭二の所業はジェンダーの問題こそあろうが、侮辱行為とも取られておかしくない。
「くそぉおおお!!」
どこまでも馬鹿にしているんだお前は!薬師寺彩芽は怒りと、届かぬもどかしさを抱えて立ち上がりひたすら、ひたすら自らの培ってきた技を振るった。
だがーーその尽くを町田は受け流し、さらには寸止めの攻撃を繰り出して薬師寺の動きを止めた。
「ぐぅう!」
上段突きには手刀を喉に突きつけられ。
「がぁあ!」
回し蹴りには後ろに周り脊柱に拳を添えられ。
「うぁあああ!!」
飛び蹴りには着地後に側頭部ギリギリに回し蹴りを置く様にして止められた。これでもかと、食傷気味に繰り返される寸止め。それを前に観客達はーー。
『すげっ……』
一人だった、たった一人がそんな事を口走った。その男はそれこそ、現世でテレビ放映されていた格闘技を少しだけ見たりした程度の召喚者。しかし、こうして生で目の当たりにする『武道』の一つの形に、触れるものがあった。
薬師寺の攻撃を町田が捌き、華麗な返しと寸止めの攻撃を放つ様は、さながら達人の演舞そのもの……ここまで綺麗に、見事に戦えるのかと観客が息を呑むほどに引き込まれた。
やがてーー町田は構えを解いて、息を切らし睨む薬師寺に言った。
「薬師寺彩芽さん……まだ、やりますか?」