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アイデンティティ

「あああ、ああ……あぁあああ……」


 三条原オリヴィエは痛みと恥辱のない混ぜの中で混濁する意識を彷徨っていた、逆さまの世界、開かれた足、悲鳴を上げる両股関節と内転筋群達……痛みすらもやがて分からなくなっていく中で、オリヴィエは走馬灯を見た。




 聞きたかった、私は何故生まれたのか。どうして、こんな目に遭わねばならないのかと。


 どうしてなのと私は聞いた、皆は言った……お前は『要らない子』だからと。


 お前は遊びの関係で産まれた売女の娘、その癖お前の親は厄介にもお前を主人に押し付けたのだと。お前が居るだけで会社の信用に関わる、会長の経歴に傷が付く、だからこうして実子の遊具として生かしてやっているのだ。


 生かしてやるだけありがたく思え、お前は遊具として壊れるまで使われて、その時には捨てられるのだと。


 どうして……私は、私はただ、普通に生きていたかった。お金も要らない、綺麗な服も要らない、普通に産まれて、普通にパパとママと生活して、勉強して……素敵な人と出会えたらと。


 ああそれは叶わない、お前は売女の子、妾の子、要らない子。こうして誰にも知られず、ただただ好きに遊ばれて、そして最後はゴミ箱に……お前はそういう星に生まれたのだ。


 いやだ……いやだ……!嫌だ!!


 私だって普通に生きたい!普通に暮らしたい!人として生きたい!!私は私なんだ!!いらないなんて言わせない!!だったら、だったら私は奪ってやる!!私が生きる為に!!私が私である為に!!


 殺してやる……殺してやる、殺してやる!殺してやる!!


 私が生きる為に、私が私である為に!お前達を殺してやる!!




 いよいよ、呻きすら上げなくなったオリヴィエと、こうまで嬲られてなお審判も、ましてや仲間からの静止すらかからない事に中井真也は少しだけ疑問を感じた。え?マジで?止めないの?いやいやレフェリー判断遅いなと、それ程の余裕があったともいうべきか……。


 それならそれで、公開股関節破壊で幕を下ろしてやるかと、中井は趣味悪く笑って腕と足に力を込める。


「さぁしっかり見ておけ!不触不敗の女王の公開股裂きだ!!股関節の脱臼音と腱が引きちぎれる音を焼き付けーー」


 その最後の一瞬、勝利目前の安堵の中ーー中井真也は眼前に迫る何かを阻めなかった。


 

 う あ あ ああ あああ ああああああ!!


 

 会場に絶叫が響き渡る、一体何が起こったのか、絶叫の正体は何だと、オリヴィエの痴態と責苦に目を逸らしていた観客が石畳のリングを皆一斉に見た。


 そこには技を解いた中井真也が右往左往に悶えて血を流して顔を押さえ、息を切らして四つん這いになりながらもゆっくり立ち上がる三条原オリヴィエの姿があった。


「な、中井!?どうした!!何をされた!!」


 突然技を解き叫ぶ中井に何があったのかと叫ぶ神山に、町田が淡々と言い放つ。


「目だ……オリヴィエが中井の左目に親指を捩じ込んで潰した!!」


 その言葉通りだった!中井真也は左手で左の顔面から流れている血を……目を必死に押さえてその痛みにより叫び悶えていた。


 展覧試合本戦においては……あらゆる攻撃が許されている。目潰しも、金的もルール上問題はない!しかし……闘士の間においては『暗黙の掟』として、故意に狙う事は忌避されるべきとラインが張られている。


 だから、会場の観客達も……唖然としていた。『不触不敗の令嬢』と呼ばれ、見事な技と試合運びで今まで戦ってきた三条原オリヴィエが、まさかまさか目潰しを仕掛けるなどという事態に!


「あああ!ぐぅうああ!?くそ、くそっ……こいつ!!」


 中井真也はまさかの事態と凄まじい激痛、そして左側に降りた帳にひたすらもがいた。迂闊だった、油断していた!まさかまさか、あんな令嬢が目を潰しに来るなどと、そんな手段に踏み切るなどと想いもよらなかったのである。


 つまり、まだオリヴィエには戦う意志が残っていると中井は潰された左目を押さえながら立ち上がった。


 そこに佇む、三条原オリヴィエの表情に中井真也は凍りついた。そして……身体を纏わりつく、忘れ去っていた感覚が、ゆっくり自分を包み込もうとしているのを感じた。


 まずい、まずい……まずい!中井はすぐさまその感覚を振り払う為に構えた。痛々しい血の止まらない左瞼が晒されて、佇むオリヴィエの攻撃に備える!


「あぁぁああぁあああああああ!!」


 絶叫と共に走り出すオリヴィエ、さながら肉食獣の狩りが如く中井に襲いかかる!そして放たれたのは……蹴り!右の薙ぎ払う様な蹴りが中井の左頭部へ叩きつけられる!


「くぅう!?」


 潰れた視界側に蹴りを放たれた中井は、庇う様に左腕を左側頭部に巻き付ける形で左ハイキックを、なんとか防御した。間一髪、しかしあまりにも鈍くなった反応であと少し遅れたら意識が刈り取られていた。


 しかしーー防御に回した左腕、その前腕から確かに聞いたのだ。ミシリと、骨が軋む音が。そして鈍い痛みに中井は気付いた。


「こ、こいつ……靴の爪先に……鉛を!?」


 隠し凶器!オリヴィエの履いている靴が中井の左腕に阻まれた瞬間確かに感じた重さと硬さが、金属を打ち込んで補強した靴を履いている事を理解した。


「ああぅあぁああああ!!」


「くぁああ!?」


 そして放たれる!蹴りの連続!!右ハイ、左ロー!右ミドル!関節蹴りから軌道を切り替える不可解な回し蹴りまで、多種多様な蹴りの連携が中井の肉体に次々と突き刺さった!!


「な、なんて蹴りの回転量だ……こんな連続であんな不規則な蹴り!合気道だけじゃあなかったのか!!」


 その蹴りの連携は町田恭二ですらそう言い放つ程、異常な回転率と不規則性だった。ボクシングのコンビネーション並みのスピードで放たれる蹴りの数々は、先程の合気道のスタイルはなんだったのかとまで思わせる練度だった。


「くそっ!あの女、サバットもやってたのか!!」


「サバット……それはなんだ神山くん?」


 そんな中神山は、その連携と不規則性ある蹴り方から、即座にオリヴィエのバックボーンを特定してみせたのである。


「フランス式キックボクシング、と言うより護身術っす……古くはブルボン朝から始まった格闘技で……紳士の格闘技なんざ言われてますが、不良のストリートファイトから始まった格闘技ですよ」


 町田恭二も打撃畑の出身ではあるが、格闘技の種類ともなれば神山には劣った。故にフランス式キックボクシング、サバットなど今教えられて知ったとばかりに、そんな格闘技があるのかと驚いた。


「しかし……あんな連続の蹴りで何故あんなに威力がある!?片足になったまま蹴っても中井くんが痛々しい程顔を歪めるなんて……」


 たがそれでも不可解なのは、蹴りの威力だと町田は自らの知る技術では、あんな蹴り方と回転効率は威力は出せない筈だと口にした。強い蹴りとは地面を蹴る力、軸足、腰の回転があってこそな筈。だのにオリヴィエの蹴りはそれこそ膝から下だけを使ったスナップだけで、何故中井があそこまで痛がっているのだと疑念を吐いた。


 それにも神山が早押しクイズの如くその理由を答えた。


「あの女、蹴り方こそ変則的で威力が出ない様に見えますけど、多分靴に鉛入れてますよ……でなけりゃあそこまで中井の顔は歪まねえし跡もつかない!サバットにとって靴は武器なんだ!それこそ、靴に鉄廟打ち込んだりナイフを仕込んだりなんて話も聞いた事がある!!」


「なんと……紳士の格闘技らしからぬ話だな」


 蹴りの威力が靴にあろうとは、現世ではそんな事は許されはしないがこれは展覧試合!殺し合いの舞台である!中井真也はオリヴィエの蹴りの前にいよいよ鮮血を散らすほどにまで痛めつけられ、防御も回避の為の足も動かないまで追い詰められてしまうのだった。



 声援はとうに消えた、観客の誰もが、三条原オリヴィエが華麗に中井真也を打ち倒す様を予想していた。しかし蓋を開ければ、中井に追い詰められたオリヴィエが、怒りのままに目を潰して蹴りに蹴り続けて相手を痛めつける凄惨たる光景を見せつけられている。


 自分達はこんなものを見に来たのではない、もっと華麗で綺麗な戦いを望んでいた筈だと、飛び散る血飛沫と叫びを上げる『不触の令嬢』だった、恐ろしい女の凶相に何も言う事はできなかった。


『あぁ……まずい……死ぬ』


 その最中、中井真也もまた死が近づいてきている感覚に目の光が失いかけていた。もう、防御に手が回らない。鉛仕込みの靴に身体中を穿たれた中井の肉体は、既にボロボロであった。


 肋もヒビと骨折がいくつも起こり、大腿骨にもヒビが入っている。手の感覚はもう無い、蹴りおられたかも分からない……景色が揺らぐ、血の幕が降りようとしている。


『死ぬのか……僕は……こんな場所で……』


 中井は確認する、こんな場所で自分が死ぬのかと。足元の血の飛沫から、何かが伸びてきた。


 それは……自分が殺して来た者達だった。さっさとこっちに来い、ここでお前は死ぬのだ、ようやっと死ぬかクソガキめと……。


『死んで……たまるか……』


 中井真也は呟いた、口に出したのか、心の中でか分からない混沌の中で。


『殺されてたまるか……」


 何の為に戦う?何が為に鍛える?そんな物は最初から決まっている!


『死んでたまるか、死んでたまるか!死んでたまるものかぁ!!』


 中井真也が戦う理由はただ一つ!


 『生きる為に』


 生存し、明日を得る為に自分は肉体を鍛え、技を研ぎ澄まして来たのだ!!自分の『生命』を!『自由』を!『尊厳』を!奪いに来る輩を破壊し、殺戮し、明日を生きる為に自分は格闘技を始めたのだ!


「死んでぇぇ!!……」


 意識が覚醒する!眼前に迫る爪先を回避した中井は、その足を掴みながら引き込み、思い切り背中にぶつけて力の限り叫んだ!!


「死んで、たまるかぁあああああああああ!!」


「うぁあああ!!」


 中井真也、渾身の『足』一本背負い投げが、オリヴィエ怒涛の蹴りを止めて彼女を石畳へ叩きつけた!!


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― 新着の感想 ―
[一言] オリヴィエも中井くんと似た境遇の存在だったんですね。 靴に鉛を仕込むなんて武器じゃないから申告しなくても展覧試合のルール内なのかね?
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