ラストスパート
中井真也の苛立ちは未だに収まらず、充てがわれた部屋のベッドで寝転び、寝返りを打って何もしないを繰り返していた。瞼を閉じてなお浮かび上がってくる三条原の顔、それだけならまだしも……。
『お前なんて産むんじゃなかった』
『おい、その落ちたもの食えよ』
『生きてるだけありがたく思え』
『この、薄汚れた血が!』
『あーくせぇくせぇ』
思い出したくない物までも蘇るように思い出してしまう。勢いよく上半身を起き上がらせて、跳ねる心臓と浅く早い呼吸にシャツを掴み歯軋りをして、必死に耐えた。
「殺したのに、くたばったのに、僕が手ずから殺してまだ出てきやがって、くそ、くそ!クソ!!」
中井は立ち上がり頭を掻きむしり床に転がったりして必死に忘れようと呻く。しかし離れない、どうやってもこの光景が、網膜に、脳に刻まれて剥がれ落ちやしないのだ。指の爪が頭皮に傷をつけ血が流れるほど掻きむしって、中井の体はようやく震えが止まった。
トラウマからの自傷行為、この世界に来て久々であった。もう無い程には思い出す事は無かった、しかし会見からまたぶり返してしまったと中井は指先に付着した血液と、じくじく痛む頭に、やるせなさを感じた。
「はぁ、シャワー浴びよう」
もう夜更けになんと酷い有様か、シャワー浴びて血ぐらいは落とすかと部屋から出ようとして、扉がノックされた。
「中井、起きてっか?明かりついてたからよ、大丈夫か?」
神山の声だった、いつもなら健康だなんだと寝るのも早く夜更かしなぞしない神山が、こんな夜更けに訪ねてきた事に中井は驚いた。このまま寝ている事を装うかとも考えたが、シャワーも浴びたいので応じる事にした。
「なぁに、珍しいね?遂に夜遊びでもしたの?」
「いや、違う……今から時間あるか?」
テメーに割く時間なんざねぇよと言いたかったが、どうやら様子がおかしかった。余程の事があったのかと中井は、会見の時にずけずけ踏み入ってきた事もあるが、気になるので話を聞く事にした。
「何さ、こんな夜更けに」
「関節技と、受け身を教えてほしい」
こいつは本当に人をおちょくるのが上手いなと、中井は神山から目線を外した。いきなり夜更けに関節技と受け身を教えろなどとは舐め腐っていやがると、苛立ちも余計強くなった。
「いきなりだね、なにかあった?ヴァルキュリアの大将が怖くなった?」
「ああそうだ、くっそ怖い……たしかルチャには、飛び込み技以外に関節技もあったよな?」
そして馬鹿正直で、意外にも目敏い。中井も、神山のルチャ・リブレの関節技に関しての質問に、その知識から答える事ができた。
「そうだね、ジャベって言う……あれはあくまで流れを作る為の物だよ」
「それでもだ、俺にとってはその流れを作る小技ですら、対処法を知らないんだ……そして何より……格闘技でプロレスラー程、爆発力と意外性が恐ろしい存在は無いと思っている」
何があったのやら、色々と熱が戻ってきている神山を、鬱陶しいほど暑苦しいなと、気候と苛立ちも相まって余計暑苦しさと煩わしさを感じた中井は……暇つぶしのストレス発散にはいいかと受ける事にした。
「今から?表に出なよ、早速教えてあげる」
「おお、マジか!ありがとう!!」
「ふん……」
まぁ、これで壊れたら壊れたでそれは面白いなと、八つ当たりする気満々な中井は、表で待つように指示して振り返った。着替える為に、部屋へ戻ろうとした中井に、ちょうど月明かりが差し込み……。
「おお!?な、中井お前、頭打ったのか!?血が頭から滴ってんぞ!!」
「あ……」
スプラッタな様を神山に見せる事となり、中井は流血していた事をすっかり忘れていた。
月夜が照らす、メッツァー邸宅裏庭青空ジム。
互いに向かい合う形となった中井と神山は、互いに屈伸や手首を回したりとして柔軟をしていた。真夜中の、月光をナイター代わりに使っての練習だ。中井は手首や指先まで伸ばすように柔軟する中で、ふと神山の足元にある革袋に目が向いた。
「それは?」
「あぁ、期間も短い突貫工事だから傷薬……怪我無しで覚えようなんて、虫の良い話と思ってはいない」
革袋を神山が足で軽く蹴り転がせば、ゴロゴロとこの世界の魔法薬、傷薬、所謂ポーションが出てきた。それを見た中井は、こいつ本気なんだなと心構えを感じて……八つ当たりはやめる事にした。
「……口で一々説明しながらも時間が惜しい、僕が技をかけるからキミは兎も角動いてみな、そして逃げ続けろ、間違えばその都度教えてやる」
「うっし……」
「あと、骨を折られた経験は?」
「おう安心しろ、やられた事あっからよ」
「泣いて逃げたりするなよ神山ぁ!」
そのかわり、壊すつもりで、本気で指導する事にした。喧嘩じみた、踏み込みとは言えない走って距離を詰めた中井が、早速神山とぶつかり、組み合った。
「あがっ!?」
そして容赦無い指導が始まる。上山の左手首を掴んだ中井が、そのまま腹に神山の腕を巻き込む形で捻り上げ、神山は肘に来た痛みに呻く。
「立ち止まるな折れるぞ!相手についていくんだ!!」
「くぅうう!?」
立ち関節技の一つ脇固め、腕を極められた神山は言われるがままに中井の動きについて行く。そうして痛みが和らぐものの、それ自体が正しく支配でありコントロール!必死に移動する神山の左脇を右から潜って手首を捻り上げた。
「ぐ、ああ!!」
「プロレスだったら、こうして相手の手首を捻る動きがある、格闘技やグラップリングではあまり見られないが、捻り切ってしまえばこうも簡単に相手を押さえ込んでしまう!」
こうも簡単だと、中井は神山の左手の指を自らの指と絡めて力も入れてないと見せつけながら歩いた。見えてはいない神山だが、指の触覚と動くたびに締め上げ捻られる腕から、コントロールされて付いて歩くしかできない。
「捻られた方向に回転して腕の捻りを戻せ!そうしないと更に技を決められるぞ!!」
捻られたなら自らその方向に動いて戻せと教えられ、神山は言われるがまま前転した。地面に転がった神山の手は、恋人繋ぎのように指を絡めているのをやっと目で見る事ができた。
「そら!立て!!」
「あああ!?」
容赦無く、また手首を捻り『てこ』の様に力を加えられ、肘が張る感触が、立たねばまるで脱臼すると即座にイメージさせられた神山は立ち上がらされた。
「回らないと腕壊れるぞ!!」
「くぅう!?」
また脇の下を潜られた瞬間、しっかり理解させられる。このまま抵抗してはダメだと、捻られた方向に跳ばねば壊れると、必死について行き捻り上げられた方向に跳べば、手もつかずに側転する形になり、背中から神山は自らを叩きつけた。
「っっぁあぁあ……」
横隔膜が迫り上がり、呼吸が止まる神山。反射的にのけぞって喉から搾り出す呻きを上げて、大の字になり夜空を見た。そして、思い知らされた。
「強いなぁ……やっぱり、流石サンビストだわ」
「ちっ、折れなかったか……イラつく」
やはり中井真也は強い、グラップリング、関節技がこうも先に主導権を握ったら恐ろしい。今は左腕だけだったが、軋みと悲鳴を度々こうも実感させられるとその凄まじさに神山は感服するしか無かった。中井は左腕を折るつもりだったのか、折れずに何とか生還した神山に舌打ちはすれど、本気で言った様子はなかったのが神山にはわかった。
「て言うか……何だよ中井、お前も合気道じみた事できるんだな」
ふと、今の一連の動きは関節技でも、合気道に近いと言う神山。まさかそんな事まで出来るとは驚きだと、身体を起こしながら尋ねた。
「コマンドサンボの中には合気道のエッセンスも含まれている……というか、寝技や関節技というのは形や成り立ちは違っても行き着く場所は同じだ……」
中井は言った、コマンドサンボという格闘技の構成する中身を紐解けば合気道のエッセンスも含まれている。更に深く探究していくと、いかなるバックボーンだろうが、関節技な投げ技というのは、同じ場所に辿り着くと。
「ほー……じゃあ何か、三条原対策はバッチリってか?」
即ち、三条原オリヴィエとの戦いは勝ちが見えているのかと続け様に聞いたが、中井は顔をしかめた。
「はんっ、寝技で僕がこの世界の輩に負けるものか、問題は……あいつの能力だよ」
「能力?」
「あのアマ……僕のフェイントも、どんな風に掴み掛かるかもまるで見通しているみたいだった……懇親会で投げられた時は多段のフェイントを交えたのに、先に掴まれたんだ、会見の時もそこに手が向かうと分かったような……」
「掴む前に投げられちまうわけか……」
「ああ、付け入る隙は確かにある……懇親会で背後を取れたのは確かだ……」
この世界で寝技において負けるわけあるかと中井は自身はあるが、それでも三条原の未来視じみたカウンターの合気道の数々が自分を阻んでいると恨めしげに呟いた。中井も中井で、対策に焦りを抱えていたらしい。
いよいよもって、自分達の格闘技で互角にやりあえるか怪しい相手が出てきたかと神山は笑みをこぼした。
「そうさなぁ……立ち技にも偶に居るのよ、すげープロ、それこそ未来を見てるかの様に攻撃を避ける圧倒的なディフェンス力の選手」
畑は違うが、それこそ未来を見て回避している様なバカみたいに強い選手が立ち技にも居ると神山は言う。
「無敗?」
「105勝3敗」
「化け物だな……」
「1敗は判定負け、2敗目と3敗目はKO負けした、3敗目は明らかに年齢からの衰えではあったけど……2敗目との共通点はあった」
「何さ?」
「プレッシャー、徹底的に詰め寄って攻めたんだ、それこそラフファイト気味にね……そうするとどうだ、自分の闘い方ができないストレスから隙を晒して……ダウンだ」
そんな化け物じみた格闘家の負けは、いずれもプレッシャーをかけられて攻めに攻められ崩れたのが始まりだったと神山は自らもネットで見た試合からそう分析した。
「完璧な奴ほど、崩されたら脆いってのはあるらしい……まぁその格闘家はそれをやらせないくらい化け物だったんだけどな」
それができたら苦労しないとケタケタ笑う神山に、中井は真面目に考えた。そして……あぁと納得した。
「全く……そうだよな、何を僕は投げられてそのままだったわけだよ」
中井はくすりと笑った、そして爪を立てずに髪の毛を掻いて、気抜けた様に呟いた。全くもって、自分は何を綺麗に戦っていたのやらと自らの試合を思い返して苦笑した。
「何だ、攻略法見つけたかよ?」
「そんな高尚なものじゃないよ、けどそうしてみる事にする、じゃあ始めよっか神山」
「よっしゃ……頼むぜ中井せんせ?」
「嫌という程叩き込んでやるよ」
まだまだ始まったばかりだと、互いに立ち上がり構えるや、影二つが激突する。
準決勝まで、残りあと僅かーー。