ピーター・パン 上
1日1日と、決戦の日が近づいて来る……神山の姿はシダト内壁側にあった。会見以来、神山のモチベーションは一気に冷めてしまったのであった。中井との衝突、そして女性に拳を振るうという事実の再確認……メニューがこなせても身体は一向に熱くならない。
十六年生きた内、ムエタイを続けている年数は十一年。こんな事は何度かあった。アマ試合で負けた時、異様な疲れを感じた時、見たい番組が時間変更で練習時間に直撃して見れなくなった時……。どれだけ体を無理やり動かしても、身が入らないスランプに陥っていた。
そんな時は、練習から離れる。ムエタイから離れて休むなり気分転換だと、神山はジムの先達やスタッフから教えられたが、神山真奈都はその辺りも実は下手であり、長引くことがあった。だから、いつも時間が解決するという形になっていた。長い時間をかけて記憶の片隅に摩耗して無くなるまで、ひたすら待つ。それしか神山にはできなかったのである。
「はぁ……まっずいなこりゃ」
髪の毛を掻いて、当ても無く歩いていたらいつの間にか内地に来ていたのである。相当こたえているなと自らの心中にかかる靄にため息を吐いて、それで全て吐き散らして無くなればいいのだがそうもならず、ひたすらに引っ掛かりを身体に感じて顔を濁らせる。
そう言えば……内地はそこまで歩いてはいないなと、外壁に比べて知らない場所であったなと今更に気付く。精々闘技場と図書館、魔法試験場くらいしか神山は内地のことを知らなかった。これも何かの巡り合わせだろう、しばらく歩いて新しい物を見れば気は楽になるかもしれぬと、神山は内地を散策する事にした。
内地と外壁の文明差は、景色から違う。ルテプ外壁は中世の辺りで文明が停止しているが、内地は逆に白の建物かつ無機質で未来的だ、目から色を感じる機能を失うくらいに、どこぞの無菌を徹底した工場のように生活感を感じられない。
その白地の街中を、鎧だったり普通の服だったりに身を包んだ、自分と変わらない日本人が歩いたりしているのを見て、なんとも不気味だなとアンバランスな様を神山は訝しむのだった。
本当に馬鹿げている、何故この世界はこうも……馬鹿げた世界なのだと神山は頭の中で疑問をかき混ぜるよう考える。
この世界で、所謂召喚されているのは大概が『日本人』それも高校生程度の『ティーン』に絞られている。神山が出会ったエルンストは日本人とオランダ人のハーフだったが、それでも日本人の枠内に入ろう。
河上から時代が違う人間も来ているとは聞いたが、今のところ神山が遭遇している召喚者に、大人はそれこそ河上しか居ない。いや、河上静太郎も一応、ティーンなのか?とティーンは幾つから幾つまでを指すのだったかそもそも知らないなと、当てはめる言葉自体間違っているかと考え続ける。
「ここが童話のネバーランドにしては……殺伐としているな……」
この世界はさながら、童話のピーター・パンのネバーランドの様だと呟く。大人は排他され、子どもが歳を取らずに子供のまま生きる世界。思春期の人格形成において、自らを構築できずに大人になる事を拒む精神疾患が、同じ名前だったなとも思い出した。
この世界はつまりは、そんな奴らを引き寄せているのだろうか?さながら精神疾患の隔離病棟的な世界なのかと、考える。そうして歩いていると。
「痛っ!」
「あ、すんません」
対面から歩いてきた少年と、肩がぶつかってしまった。この瞬間に神山は、やってしまったと思った。もうこれ、喧嘩の流れだなと一応戦闘体制を整えておく。
「テメェ、肩ぶつかっといて謝るだけーー」
相手は二人だった、ぶつかった少年が因縁をふっかけてきた瞬間、もう一人が神山の顔を見るや驚いてすぐに止めに入った。
「お、おいよせ! TEAM PRIDEの神山だぜこいつ!?」
「あ……」
気付いたら、それでもう少年も、しまったと顔が青ざめた。面倒にならなくて良かった反面、いやそこで怖気付くのかダサいなと神山はやるせなくなった。来たら来たでその根性やよしと、八つ当たり気味に叩き伏せてやろうと思った神山だったが、それはできない様だった。
「ちっ、でかい顔して歩きやがって劣性が……」
「おい馬鹿!す、すんません、すぐ消えるんで」
捨て台詞まで吐くのは余計に哀れだ、本当に呼び止めて殴り倒してやろうかと苛立ちが出てきたものの、今の靄に阻まれてそれもすぐ鎮火した。
が、これも何かの機会だと、ふと先程までに考えていた事を、この内地住まいの召喚者に尋ねてみようかと思った。
「待った」
「え……」
「あ、あの……何ですか」
呼び止められた以上、何をされるのかと錆びついた機会人形のようにゆっくり振り返る優性召喚者二人。その二人へ神山は、質問する。
「あんた達は……現世に帰りたいとか思ったりしないのか?」
その言葉を吐いた瞬間だった、明らかに二人の表情が切り替わった。拒絶、憤怒、それ程までに揺らいで顔を歪ませた。神山がその先に吐こうとする言葉を遮る様に……。
「それ内地で言わない方がいいよ」
「聞かなかった事にします、じゃあこれで」
禁句だと注意された、そしてそそくさと二人は離れて路地に消えて行った。何だったのか、さっきまでダサく怯え散らしていた輩が、それに触れたら殺し合いだとばかりに雰囲気が変わった事に神山は顎に手を当て首を傾げた。
そこまでこの馬鹿げた世界が好きなのだろうか……理解しがたいなと思いつつも神山は、気分転換の内地散策を続けていると……ふと、無機質な壁に、嵌め込まれたような色彩豊かなショーケースを見つけた。
その店に近づいた神山が覗き込めば、カラフルなその色は彼も知る食べ物であった。
「アイスクリームか」
「ジェラートです、お間違えなく」
早速間違えた、神山が見つけたのはジェラート屋だった。アイスもジェラートも同じでは?似て非なる事を神山は知らない。そんな物までこの世界にもあるとは思わなかった、幸いあまり小遣いを使わないからそれなりにあるし、食べてみるかと財布を出す。
「カップになさいますか?コーンなら3種盛りまでできますよ」
「そうだな、じゃあ……コーンでその、三種類を」
とりあえず値段も分からんので、金貨を出しておいてそれでカップかコーンかを尋ねられたので、ならばせっかくだしと三種盛りを選択した。
「どれになさいますか?」
「えっと……」
さて、困った事に文字が読めないので、指差しする必要が出てきた神山、しかしどれがどれだか分からないし、不味いのを当てたくは無いなと、美味そうな、知っている味に近そうな物がないかと吟味していると……。
「おすすめはピスタチオとサワーチェリー、私はジャンドゥーヤが好みよ」
「そうか、じゃあそれお願いしますーー」
どうやら悩んでいる間に待たせてしまったらしい、次の客がおすすめを言ってくれたのでそれを頼んだ神山は、待たせてしまった事を詫びようと後ろの知らぬ客へ振り向こうとした。
「私も同じのをお願いね店員さん、彼の奢りで」
「あん?」
が、厚かましくも奢らせようとしてきたので、真横に来たその客を見て待ったを掛けようとして、神山は驚いた。そこに居たのは……。
「あ……あんた」
「ハァイ、セニョール神山?会見の時はどうも」
そこに居たのは、神山が数日後に闘うだろう闘士。
ヴァルキュリア・クランの大将、朝倉海莉であった。