異門同型
中井真也が襲撃を受けた同刻、神山真奈都は一度諦めた浜辺で腹ごなしの運動……主人とそのメイドの散歩の護衛に従事していた。海も綺麗だが、バルダヤの砂浜も綺麗だ、何しろゴミがない。
現世の日本の海にはあちこちに心無い奴が捨てたゴミやら、ひどい時にはバーベキュー用品が置き去りにされていたが、ここにはそれらがない。ジムの諸先輩方にも活発で海に行かれる人が居た、その先輩方もこの海を見たら喜ぶだろうなと現世に思いを馳せる中で。
「あのー……」
「なに?マナト?」
「何ですか、マナトさん」
そこから引き戻すように、神山の両腕それぞれ片方ずつ、マリスとニーナが腕を絡めて組んで、共に歩いていた。両手に花を、今神山は体現しているのだ。
「何故に腕を?」
「マナトは護衛でしょう、守って貰わないと」
「お嬢様の言う通りです」
女性に挟まれるなどという体験は、神山は初めてであった。だから二人して腕を組まれて、それはもう現世では雑誌とかテレビに出るようなレベルの美女の、豊かな双丘を押し付けられでもしたら……神山とて健全な男なので顔を朱に染める。内心、河上に代わってもらいたかった神山は、心臓を跳ねさせながら歩き続けた。
「マナト……もう一度聞くけど、やっぱり帰りたいの?」
「む……」
歩き続け、砂を踏む音と波の音しか耳に入らなくなる程静かになると……マリスが訪ねて来た。現世に帰りたいという気持ちは、変わらないのかと。
「マナト以外の闘士は……それこそ他のチームの闘士はこの世界を楽しんでるわ、勝てさえすれば何もかも手に入る、お金、名誉……美女も、なのにマナトはここから帰りたいの?」
「シンヤ様、キョウジ様……セイタロー様もこの世界に居ると言われた……しかしマナト様だけは帰りたいと……今も変わらないのですか?」
予選の後だったか、聞かれた話である……やはり帰りたいのかと。今もそれは変わらないのかと、マリスとニーナは絡める腕に力を込めて尋ねてきた。その力の意味を、いかな女っ気のない神山とて気付かぬわけがない。
中井真也は、現世へ執着自体が無い男だ。別に現世だろうがこの馬鹿げた世界だろうが、生きているならそこで生きる気である。むしろこの世界のが性に合うと宣う。
町田恭二は、現世で殺人を犯した。いかに世間が彼を悲劇のヒーローと賛美しようと、人殺しの罪は拭えはしない。町田にとってこの世界は、新たに空手人生を1から始めるにはおあつらえ向きであった。
河上静太郎にとって、この世界は望んでいたものだ。現世で剣術最強となれどその実力を知らしめる場は少なく、ましてや人を斬れる、斬り合いの果たし合いが認められた世界で己が実力を試せるなら最高の世界だ。
長谷部や緑川も……この世界で職業や加護を持つ以上は、この世界への執着があるのかもしれない。
神山にとっては……この世界は悪くない物であった。現世にあるネット環境等は無く不便ではあるが、強い奴らとも戦えている。ましてや現世には居ない、異能の力を振るう者たち、スリルに事欠かないだろう。己の力を存分に振るえる場所なのだ。
富も、名声も、手に入れる事が出来よう。帰らないで欲しい、ここに居て欲しいと二人の腕の力は強い。
「変わりませんよ、2人とも……俺は現世に帰りたい、帰らなければならないんです」
それを諌めるように、キッパリと神山は断った。
「約束してるんでね、まぁ……一方的な押し付けっすけど……現世でそいつと戦う為に帰りたいですから」
他の者達は兎も角、神山には現世に戻らねばならぬ理由があった。
『神童』との決着……神山真奈都が現世のアマチュア時代に対峙し、一度として勝てなかった神山の世代……いや、恐らく向こう十年の立ち技格闘技を背負うだろうと期待された正しく天才との決着。その男に勝つ為日々錬磨し、プロになったのだ。だから……こんな世界で足踏みしてはいられない。
「やっぱり……じゃあ、展覧試合で優勝したら……」
「現世に帰して貰います、帰れないなら……帰る方法を探して貰います」
優勝すれば全てが手に入ると謳われる展覧試合。ならばそこで神山が『姫』に願うは、現世への帰還ただ一つと言い切った。それを聞いたマリスとニーナは、腕の力を緩めた。
「頑固ねマナト……まぁいいわ、気が変わったらいつでも言いなさいな」
「さーせん……変わる事はないっす」
神山は腕を引き抜き、振り返るや深々頭を下げた。これでいい、決して踏み込む事はない。自分とマリスの関係は、あくまで雇用主と期間限定従業員、時が来たなら未練無くスッパリと離れる。互いに、最初からそうであろうと再認識した。ここまで悩む事無く断られたら、もうどうしようも無かろうと、マリスとニーナは互いに笑みを浮かべた。
「それじゃあ、ちゃんと勝って優勝しなさいね、マナト?」
「当たり前っすよ、豪華客船のVIPルームに搭乗したつもりでいてください」
口だけは許さない、揶揄いを込めた言葉に神山はしっかり胸板を張って任せろと返す。
「へー、随分まぁ自信たっぷりだねぇ、TEAM PRIDEの総大将は」
その話に割って入るかの如く、神山の背後から声が掛かった。振り返るや……そこには一人フードの男が佇んでいた。神山はすぐさま気構えを引き締めた、いかにもな怪しさを醸し出し輩を前に、マリスとニーナに危害が及ばぬ様にと意識を表れた輩に尖らせる。
「誰かは知らないけど……口ぶりからして喧嘩か?」
「そうだね、まぁそうなる、その通りだ!」
フードのまま、声色からして男がいきなり襲い掛かる!いきなりかと神山は構えを取り迎え撃つ最中ーー。
「しゃあ!!」
気合いを込めた男の左足が、神山の右腕にめり込んだ。高めのミドルキック、しなやかで早いその蹴りに神山は一気にヒートアップした。
「上等だぁ!!」
すぐさま踏み込むや、喧嘩だとルール無用にフードを掴み、神山は右膝をフード越しに思い切り突き刺す様に放ち、そのまま首相撲の体勢になった。しかし。
「ぬぅうん!」
「うお!?」
なんと、男はしっかり身体を押し付け神山の両脇に両腕を通して引き込み、体勢を崩しに掛かったのだ。これは、まさか!?神山の思考に一つの答えが浮かび上がる。
砂を巻き上げ互いに身体を組み合いながら、互いに膝を横腹に、突き刺し続ける。
「マナトと同じスタイル!?この人もマナトと同じ格闘技を!?」
マリスの声が聞こえて、全くその通りだなと笑みを漏らした神山だったが……。離れようと男の胸板を左手で押しのけようとしてできた隙間ーーそこから予想だにしなかった一撃が神山を襲った。
鈍い音、その音と共に神山の顎が勝ち上げられ真上を向いた。何をされたか神山も数瞬、明滅の最中に理解できなかったがすぐに思いつく。ああこいつ……。
『頭突き』しやがったなと。バッティングと呼ばれる、おおよその格闘技では禁止される技、しかして審判の見えない場所で小技として行使する上手い選手も居る。
だが、この男のそれは違った。手慣れていた、自然に、このタイミングで出せるから頭突きを放ったと神山には分かった。たたらを踏む神山に、男は追撃の頭突きを放とうと頭を引き、そして叩き込む!しかし!
「っだらぁあ!!」
「がぼ!」
仕返しとばかりに、神山の右肘がフード越しの左側頭部に叩き込まれ、互いに砂に倒れるやすぐに立ち上がり距離をとった。鼻の両穴から血を滴らせた神山、折れてはいないなと右手で血を拭い、構えずフードがずれた襲撃者を見据えた。
「へっ……なる程……なんとまぁマイナーな格闘技やってんだよあんた」
「君やTEAM PRIDEばかりが格闘技経験者と思わない事だな、故に私は君にあてがわれた、対神山真奈都討伐の為にだ」
フードがずれ落ちる、白髪か、はたまた脱色した夜にも目立つ銀髪を整えた髪に中々整った顔が、余計にその男がバックボーンとしてその格闘技を修めているのかと、余計に神山を驚かせた。
「いいツラしてる割に過激なやつだなぁテメェ……ホストでもやっとけよ、モテるぞ?ミャンマーラウェイやるツラじゃあねぇだろ」
そんな美形が、ラウェイなんて体得してんなよ。その言葉に銀髪の襲撃者は唾を吐き、神山の肘に折られただろう歯と血の唾を砂に吐いて、笑った。
この馬鹿げた異世界で、神山真奈都は……『ムエタイ』という格闘技の歴史においての『敵対者』たる格闘技と遭遇した。
その名は『ラウェイ』
別名、ビルマ拳法。
ムエタイが『立ち技最強格闘技』と呼ばれるならば……。
ラウェイは『世界一過激な格闘技』と呼ばれ。
歴史において、タイ王国と幾度と戦争をしたミャンマーの国技たる格闘技である。