河上静太郎座頭市
風魔が強く感じたのは熱だ、痛みよりも熱が強かった、剥き出しの筋繊維、組織が外気に触れてダクダクと血を流し、そこに熱と痺れが滞留している!斬り落とされた籠手の一部と、右前腕の肉、対して河上静太郎は悠々とこちらに振り返り、落とし下段で余裕を見せて待ってすらいる。
「そら、立たないか?一太刀でも一撃でも俺に当てて見せろ」
さっさと立って構えろと煽る河上に、風魔は引き攣った顔で立ち上がりながら下がった。猫に見つかった窮鼠の如く、剣はまず届かない間合いで、風魔は右腕の傷に左手を添える。緑の優しい光が風魔の腕を包むとは裏腹に、筋繊維が流れ出す血液がボコボコと泡立ち、新たな肉と皮膚を形成した。
回復呪文だ、この世界の魔法使いなら大概は、戦闘用の攻撃魔法に傾倒しなければ覚えている基礎的な治癒の魔法。自己再生のスキルを体感した河上だったが、魔法で治す時はこうもグロテスクなのだなと治癒の様子を興味深く見ていた。
ーーその一方で。
「い、今見えたか?」
「いや、全然、見切りスキル持ってるのに全く……」
観客席は河上の醸し出す妖気、そして静かながら最初の一太刀の様子に声を忘れた様に黙りこんでしまった。
この会場には、剣士だ、戦士だと剣を好んで使う優性召喚者の闘士が幾人も、男女問わず居た。その全員が言った。
『見えなかった』と。
そもそも、この世界の闘士における剣士は、スキル『剣術』のレベルの高さが物を言う。この剣術スキルを基盤とし、例えば他の武器種も扱いそれらも満遍なく扱う『戦士』の系統になるか?はたまた魔法を覚えて『魔法剣士』として伸びていくか?そして剣を極め『剣士』として高みを目指すか?という成長の進路が決まっている。
そこへ『見切り』と呼ばれる、敵の攻撃への反応を良くするスキルを組み込むのが、剣士、戦士系統の闘士のテンプレートだった。剣戟の斬り合いと剣士としての実力は『剣術』と『見切り』のレベルで決まり、そこに魔法や多種のスキルにより補強した総合力によって剣士の強さが決まる、それがこの世界の常識であった。
が……河上静太郎の振るう剣を見切れた者は、この会場に誰一人として居なかった。
「あの剣に……先輩達は……っ!」
剣術無双、水戸景勝も。
「速いとかそんな次元では無い……あれが剣なのか!?」
剣聖、御剣玉鋼でさえも、河上の振るう一刀に驚愕した。見切りのスキルが意味を成さない、見ることすら叶わない斬撃、そんな理不尽の一振りで会場を静まらせたのである!
「ほらどうした、来やれ、さっさと」
一歩、また一歩、間合いを詰めてくる河上に風魔は退がる。河上が歩むたびに退がってしまう!この時点でもう、風魔麟太郎の心は折れてしまっていたのである!剣で敵う相手では無いと、決して勝てないと!だから……。
「え、エアブラストぉ!」
切り替えた、魔法で戦う事にした、本来なら近接に魔法を織り交ぜる変幻自在の戦いを売りとする風魔麟太郎だったが、剣を捨て魔法だけでの戦いへ舵を切った。風の弾丸を放ち、すぐ様真横に走り出す風魔。
「そりゃあ無いだろう!」
風の弾丸の範囲から即座に逃げたどころか、また観客と風魔が驚愕する。地を這う様な超傾斜姿勢で、石畳に弧を描くかの様なカーブで走ったのだ。
「っはぁあ!」
「うっあぁあ!?」
そのまま左逆手に持ち替えた刀を、風魔の頸部目掛けて振り抜く河上に、風魔が振り向きざまに剣を振り、何とか弾いて火花が散った。
「そうら!どんどんいくぞ!」
それで終わるわけもなく、器用に刀を回すや順手に持ち替えた河上が、更に追い込みをかけ左手一本で斬りかかった。まるでフェンシングでもするかの様に、手首だけで柄尻を掴み上段、袈裟、斬り上げ、突きと、弄ぶ様に風魔へ斬りかかる。
対する風魔、それを必死に弾く。後退しながら必死に、全力のバック走をしながら必死に間合いを離そうと、河上の剣を弾くがーー。
「あうっっ!」
間に合わない、手数が尋常じゃない。自分が一撃を弾けば、3〜4振りの斬撃が、手の甲を、前腕を、顔を襲った。一思いに斬ってくれたらどれだけ楽か、引っ掻き傷の様な細傷ばかりが、風魔の彼方此方を切り刻むのだ。
「えげつなっ……て言うかあれ、手首だけで振ってるよね」
「だからあんなに次々振れてるんだ、やっぱり……あの時手ぇ抜いてたんだ河上さん」
尋常ならざる手数を作り出しているその根幹となるのが、手首なのだろうと見ていた中井と神山が互いに言い合う。そして、あの夕暮れ、河上との死合はやはり、手を抜かれていたのだろうと神山は改めて実感させられていた。でなければ、自分は今ここに居ない、あの場所で死体として伏していただろうと想像した。
本来、剣を振るうにしても、拳で殴るにしても、十分な足場、腰の回転が必要となる。が、ジャブに類した手数と素早さを必要とする攻撃には、手首のスナップが必要になってくる。
これが、何も持たない素手で行う分にはまだいい、手を握る瞬間、力を入れる瞬間は練習で身につく。最悪手は握らず、鞭のように手を払う形でもジャブはできてしまう。
しかし……今、河上静太郎が見せている芸当は常軌を逸している。日本刀の重さは大凡、1kg前後として、それを片手、しかも手首のスナップだけで河上は縦横無尽に斬撃を繰り出している。絶妙な握力の力加減に、手首から肘、前腕の筋肉を鍛え込んだからこそ出来る芸当であった。
「かっは!」
それでも何とか間合いを脱した風魔が、右手を河上に手をかざした。
「エアシールド!」
唱えた呪文に構うかと、河上の唐竹割りが振り下ろされた。
「おうっ!?」
が、その刀身が振り下ろされる事は無く、上段構えに押し戻され、両足が浮き上がり、後方にふわりと微かに浮いた。着地するもたたらを踏み、後ろへと倒れそうになるが、河上はわざと倒れて後方に受け身を取りながら、そのまま後転して勢い良く立ち上がった。
「このまま攻められっぱなしになってたまるか!」
両手持ちに剣を構えた風魔、その刀身が緑色に輝き、そのまま脇構えになるや、切り上げて叫ぶ。
「くらえ!タイフーンスラッシュ!」
そうして起こったのは、旋風だった。突風などでは無い、旋風が河上の前で巻き起こり、ジリジリと近づいてきたのだった。
「おっとこれはーー」
近づきつつある魔法のつむじ風を前に、河上はゆっくり後退る。近づくのは遅いが、風の勢いは中々あるなと下がりながら見ていると。
「おや?」
旋風の先に、今度は霞構えを取った風魔を見た。何やら力を溜めている様に見えた河上は、その刹那ぞくりと悪寒を確かに感じたのである。
「ソニックーー」
「こりゃまずーー」
「ブラストォォオオオオ!!」
河上が言い切る前に、剣先から放たれたそれは、風なんて柔な物では無かった。石畳を削り、河上に向かうそれは最早空気の『壁』であり、衝撃波と呼ばれる物であった。闘技場の床すら壊して巻き上げる音速の衝撃、それを河上は右へ、まるで猫の如く飛翔して身体を捻り見事に回避した。
したのだがーー。
「ーーぉーーあーー」
河上の世界が、揺れた。
耳の奥から痛みを感じ、立ち上がろうとするがまるで、大嵐の甲板の上に立つが如く足元が揺れる。何より……自らの呻きすらも聞こえず、耳鳴りが酷い。
そして、だらりと、確かに両耳から何やら液体が垂れ出てきている感触に、河上は、ああと気付いた。
『やれしまったな、耳をやられたか……しかもこれは、鼓膜どころか内耳までも』
耳を壊された、あの魔法の剣技の衝撃波が、河上静太郎の耳を破壊したのだ。それにより起こった平衡感覚の喪失、耳鳴りに、河上は思わず片膝を付いた。それを好機とばかりに、風魔が走り寄ってきている。
平衡感覚の欠如は、目が見えないよりもまずい。世界が揺れて足元が地をついているかすらも感触が分からなくなってしまう。河上は揺れる世界で、ニヤリと口端を釣り上げた。
『まぁこれで、互角にはなったか?』
そうして河上静太郎は、自ら目を瞑り、愛刀を右の逆手に握り直した。
「っつぁああ!なんつー魔法だ!めちゃくちゃ音が響いたぁ!」
「大砲を間近で発射したみたいだ……ああ、まだ耳が鳴ってる」
TEAM PRIDE入場口、神山、中井の両名が耳を押さえて何とか持ち直し、闘技場へ目をやっと向け直す。そして副将河上静太郎が、あの魔法剣で、追い詰められている様に……唖然とする事は無かった。
「耳、やられたみたいだね河上さん」
「みたいだ……けど……」
河上静太郎が両耳から血を流し、片膝付いて、ふらついて、見るからにもう危ないと、誰もが風魔の勝ちが見えて疑う余地もないのだが。
「何、神山くん」
「いや、中井こそ」
「多分、同じ事思ってる」
「うん、絶対同じだわ」
神山も、中井も、同じ意見が頭に浮かんでいた。互いに絶対同じだろう、そうだろなと言い合い、ならば言ってみようかと、口を揃えて言った。
「「河上さんの負ける姿が見えない」」
あぁ、そうだ、やはり、そうなるよなと。
神山も、中井も、今は医務室に行った町田ですらも、同じ事を宣う。
目が潰れた、耳が潰れた、片腕切られた、足を切られた……それでも、河上静太郎に負けは無い。あの人は、剣となれば負けはしない。それが分かるのだ。
自らを『現代最強の剣客』と豪語するエゴの塊で、その自我を証明する実力を持つ男が、耳が潰れたくらいで負けはしない。
そして響き渡る、金属の音。
「ほら見た事か……」
神山は心配すらない声色で、闘技場を見やる。
そこには、耳を潰されながら、目も閉じて、風魔の剣を逆手持ちの刀で防いだ河上静太郎の姿があった。