河上静太郎剣法帖
神山も、中井も、長谷部も……帰って来る町田に声を掛けられなかった。左脇腹を押さえて、口から血を流して、重々しい足取りながら、その目はまるで彼方を見る様に澄み切っている。しかして、まるで反応した全てを圧する様な雰囲気が、声を上げる事を許さない。
神山と中井の横を通る町田、そして河上の横を通り過ぎようとしたが、待ったを掛けられる。
「待て、お前……誰だ?」
誰だ?とは、まるでそこに立つ町田恭二が、町田恭二本人では無いかの様な口振りの河上。それに対する町田の返答は……。
「何を、町田恭二だが……僕は」
馬鹿を吐かせ、誰に見えるのだと息を浅く吸って答える町田に、河上はしばらくその顔を見て鼻息を立てた。
「肋骨折れたか?緑川くん、すぐ医務室の手配を!」
「はい!町田さん、大丈夫ですか?」
「大丈夫、自分で歩ける」
そうして、霧散するかの様に町田の恐ろしい雰囲気は立ち所に消えた。呼ばれた緑川に連れられ、町田は肋骨の検査を兼ねて医務室へと向かう。何だったのだろうかと、先程の町田の様子に神山は冷や汗を流し、中井も息を飲む。
が、この男はそうか、それがどうした、まぁ何とでもなるかと背中を伸ばして喉から絞る様に声を出して、ふうっと一息吐いた。
「さ、参るか!」
意気揚々と笑みを浮かべ、河上静太郎がいざ出陣……と、その前に。
「あのー……河上さん」
「む、なんだ神山くん?」
「その服装は?ていうか、いつものやつは?」
先程から、神山達が声に出さなかった事がある。それは河上の纏う服だ。いつもの剣道袴ではないし、剣道着でもない。TEAM PRIDEのオーダーメイドガウンではなく、脚絆に袴を黒、濃い青の上着に白に近いかすかに水色がかった陣羽織という出立ちで、髪の毛は後ろに纏めていた。
「入場時に着替える、何、少しばかり余興をな?では!!」
そんな異装を翻し河上静太郎が勇壮に歩を進め、入場口へ向かった。
一方こちら、マギウス側ーー。
「っかー……使えないなぁ、安生地も水原もさぁ……」
先の二戦で敗北した同胞に、鹿目駿は苛立ちをより一層積もらせていた。控え室にて二人の負けを知った鹿目は、左手で前髪をぐしゃぐしゃに掻き回した。部屋は最早彼方此方に備品が飛んでいき、唯一自分の座る椅子しか残っていない。それを入り口の扉の前で立って見ていた、副将の風魔麟太郎は何も言わずに扉を出ようとした。
「風魔ぁ!負けたら殺す!死んでも生き返らせないからな!」
が、その気配に気付いた鹿目に釘を刺された。風魔は頷きも、返事も無しに部屋から出て扉を閉めた。そのすぐ後に扉が喧しく音を立てて揺れた、何か投げつけたに違いない。風魔麟太郎は、はぁと溜息を吐いて入場口へと歩き出しながら考える。
自分の相手、河上静太郎。TEAM PRIDEの副将。他の剣士を一切合切『偽物』と断じ、予選では名も上がった『双剣士』桐谷和人を、見るも無惨な肉片に変えた、劣性召喚者の剣士。
風魔もまた、その会場で観戦していた一人であった。故に理解していた。
『僕は今日、殺される』と。
あれは達人とか、そんな領域ではない。河上静太郎は正しく、唯一無二真の剣士であった。ブルーラウンズの『剣術無双』も、四聖の一人『剣聖』も、河上には決して勝てないとその試合で風魔は悟った。あんな奴がなぜこの地に舞い降りたのか、それは……こんな馬鹿げた夢を見る自分達に現実を突きつけ、目を覚まさせる為なのだろうなと悟る。
この世界に流れ着き、優性召喚者として戦った。魔法を操り、剣を使い、憧れた楽しい楽しい夢景色から現実へ引き戻す目覚まし時計……そして突きつけられる。
『夢見てんなよバーカ、テメェは机に突っ伏して、死ぬまで童貞で、うだつも上がらずくたばるんだよ』と。
風魔は考えた。このまま逃げてしまえば、夢から目覚めない、夢を見ていられる。このまま処刑台に上がれば、死んで……夢から覚めて現実に戻るか、本当に死ぬか。
「行こう、どうせ死んだ様なものだ」
風魔は笑いながら、入り口へと向かった。
『快進撃……止まらず!TEAM PRIDEはいよいよ二勝を挙げながら、キョウジ選手も連戦拒否!一人一殺とばかりに副将戦に繋ぎました!』
『対するマギウスは……リンタロウ・フウマ!マギウスの中では魔法剣士として風魔法を主体にしながら、剣術も中々の手堅い闘士です……しかし、その……あ、相手は』
『えーー……あのすいません観客の皆様、万が一のエチケット袋をご用意ください』
マママンのアナウンスに怪訝な雰囲気を醸し出す場内、そして風魔が入場を終えて、アナウンスが終わるや再び会場に音楽が響き渡る!
https://youtu.be/wrkC0FQiwiY
重厚な音の中に響き渡る和楽器の旋律、和洋融合の音楽をバックに入り口からスモークが漏れ出し、一人、また一人と黒装束が飛び交う、一試合前のノワールドエールが何故!?と観客は驚くが違う、よく見れば上から下まで黒ではあるが目元しか出していないそれは『忍装束』と呼ばれる服装であった。
そのスモークの奥より現れる美丈夫、女とも勘違いしてしまいそうな男は、その異装のまま……マイク片手に歌い出したのである!
『このシダトの……いいやこの世界の、剣のクラスとスキルを有する者達に告ぐ。お前達全ては所詮偽物!本物は、唯一無二とはこの俺の事!剣聖だの、剣術無双だのと大層な二つ名よ、お前らすらも偽物紛い物と、傲慢不遜に言い切るのがこの男!TEAM PRIDEの副将、河上静太郎!!これだけは言わせてくれ、ここは音楽祭じゃあないぞぉぉおお!?』
歌いながら入場してきた河上静太郎に実況のマママンも、流石にツッコミを入れた。そしてサビに入る瞬間、忍装束達が河上に襲いかかるが、得物を自らの腹や首に刺すフリをしてまたスモークが焚かれ……スモークが消え去るやいつもの剣術着に、オーダメイドのガウンを羽織、河上静太郎は悠々と闘技場へ向かうのだった。
「侍じゃなくて、忍者で出て行っちゃったよ河上さん」
「ていうか今さ、あの人現キーで歌ってなかった?カラオケ音源用意してきたわけ?」
その入場を見ていた神山と中井は……入場式ジャックを計画した河上の派手好き、そしてやり切る度胸、CD音源並みの歌のうまさに最早これ以上語るまいと閉口した。
風魔麟太郎は、改めて目の前に立つ河上静太郎と向き合い、その目をしかと見て外しはしなかった。左腰に携えた日本刀と、いかにもな侍を意識した服装。しかしその顔に髪がアンバランスが故に、舞台役者が演じているとしか思えない全体の纏まり。
だが、本物である。この男は涼やかに、幾人もその刀にて斬り伏せて、この場所に立っているのだ。
恐怖心、諦め、それらが風魔の内臓を締め付けるようにキリキリと痛みを沸かせた。それでも毅然として顔に出すまいと河上から視線は外さない。
「よしなよ、そんな熱く見つめて、そっちの気は無いよ僕」
河上が軽口を叩く、風魔はそれに応じる事無く、背を向け端まで歩いた。河上はその風魔の様子に、何かを感じる事も無く背を向け自らも端まで歩いて振り向いた。
開幕の鐘が鳴る、そして風魔も、河上も、互いに腰元の得物を抜き放った。
風魔が両手持ちに剣を中段へ構える一方、河上は下段に構えて、ゆっくりと互いに間合いを詰める。この河上の構えを見るや、会場にて見ていた四聖が一人『剣聖』御剣玉鋼は、怪訝な顔を浮かべた。
「TEAM PRIDEの方、舐めてますね……相手を」
「そうなの、構えだけでわかるの?」
河上の意図を読み取る御剣に、『魔将』篠宮倉人が尋ねる、下段に構えただけで分かるのかと。
「構えに意味があるんです、剣道では下段構えは上級者の構え、頭も胴もガラ空きになるでしょう?」
その質問に解を説明する御剣に篠宮はへぇと納得する。上中はガラ空きになるが、移動のしやすさからこの下段構えは、余程実力がなければ構えないと。即ち河上静太郎は、対する風魔を明らかに下へ見ているという現れだと。
相手が剣道、剣術に触れた者なれば、これ程までの煽りは存在しないだろうと御剣は河上を見ながら思う、そしてそれが許される男であるとも、この世界で姫より『剣聖』を賜った御剣は、河上の佇まいからひしひしと感じていた。
間合いが狭まる、先手を取ったのは風魔、振り上げた剣を唐竹に振り下ろす。
さて……この後の河上の返しは誰も彼も二種類の展開を予想した。風魔の剣を避けて反撃、刀で防御して反撃、そうして互いに剣戟が始まるのだろうと。
が、それは裏切られた。
「熱っーーー!!」
声を上げる風魔が、右に素早く移動しながら間合いを離れた、そしてそのすぐ後、何かが地面に乾いた音を立てて落下した。
籠手であった、籠手の破片が綺麗な断面と、何か赤い帯状の物を巻き込んで落ちてきた。それが……風魔の右腕前腕の皮膚と肉だと、観客が気付くのは、風魔の腕より多量の血が流れてからだった。
「おお!見事!手を離して指を落とさなかったのは、お前で四人目だ!!」
河上静太郎の得意技、下段構えからの切り上げ指落とし、それを回避した風魔に河上は朗らかに笑い讃えるのだった。