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騙し打ちのアーティスト

 弛緩


 リラックスとも言う。


 様々な競技において、このリラックスは重要な事である。肩の力を抜け、リラックスしろと、極度の緊張を和らげようとしてくれた経験が、君達にもあるだろう。


 緊張から来る体の硬直は、時として怪我につながる。


 その極地点とも言うべきか、一つの『考え方』として、こんな言葉を聞いた事はないだろうか?


『水をイメージしなさい』と。


 水、即ち液体。液体はどんな形にもなり、逆らわず、砕けない。水の様に柔らかく、リラックスをと。


 実際、中井真也も師であるロシア人から言われた事があった。


『ですが先生……カジエフ先生……本物の液体と戦う場合、どうすればいいですか?』

 

 マウントポジション取られたのは、年単位ぶりか。中井真也は見下ろし水原を見てそう思い返す。


『脱出ぅぅう!ヨウイチ選手!自らのスキル液状化によりシンヤの技から抜け出し、跨ったぁあああ!これが優性召喚者だと言わんばかりに見下ろしているぅぅう!』


 これだ、この図だ、これを待っていた!劣性召喚者を蹂躙する優性召喚者!この世界の絶対図式!マウントを取った水原は、中井を涼やかに見下ろして宣った。


「降参するといい、君の関節技は僕に通じない、これ以上は無意味だーー」


 降参しろと、もはや勝てないと分かっただろうと促す水原、対して見上げ中井は……。


「いい気分か、逃げ出せて、マウント取れてよ?」


 無論、降参などはしない。するはずも無い、むしろこの言い草が余計に、中井真也の闘争心を掻き立てた!


「マウント取ったらしっかり体重かけるんだな!素人がぁぁあ!」


 叫びを上げた中井、その次の瞬間には、中井の足がマウントを取る水原の胴体まで持ち上げられ、中井の身体がマウントから抜け出していた。


「なーー」


「関節極めたり、首を締め上げたりだけが寝技じゃあない、脱出や防御ありきの寝技なんだよ!」


 そして、その両足が水原の左足に絡まり、再び水原の背中が石畳に付き。


「そらぁあ!」


「んぐぁぉああ!?」


 左足の爪先を脇に挟み、肘内に踵を乗せながら締め上げ、たった数瞬という間にまた、中井は水原のアキレス腱を極めたのだった。


『あぁあ!?何と!!今度は足だ!足にシンヤ選手が!即座に脱出するや足に絡まった!正しく蛇かこの男!ヨウイチ選手が悲鳴を上げたぁあああ!』


 この世界の人間からしたら、馬乗り、マウントポジションはもはや勝負有りの形だろう。しかし、中井真也からすればそれは、余程の熟練した寝技師でなければ意味を成さない。現代MMAにおいて、マウントポジションは絶対的優位にあらず!既にマウントポジションからの脱出法など、いくらでもあるのだ!


 今、中井が披露した技は『TKシザース』と呼ばれる脱出法だった。その昔、総合格闘技黎明期の時代に活躍した、高阪剛が開発し、そのイニシャルを冠したテクニックだった。マウント状態からブリッジなどで隙を作り、両足で胴を挟み込みながら、相手の足関節を取りに行く。


「おらぁああ!アキレス腱ぶち切ったらぁああ!」


「ぐぅうう!?」


 間髪入れずにアキレス腱を絞り上げる中井に、唸りをあげる水原、しかし!


「無駄だと、分からないかぁ!」


 ずるりと、液体化した水原の足が中井の腕から抜け出て、足からも脱出し、這いながら距離を離す!


「だったら逃げんな腰抜けぇ!」


 しかしてこの距離は譲らんと、這う水原の背にのしかかり、次は首に腕を回し、裸締めと共に両足を腹に巻き付かせ、頚動脈を締め上げながら動きを封じた。


「うぅんぬぅう!」


 しかし、また体を液状化させて水原が抜け出し。


「しゃああ!」


 中井が寝技で拘束する!その繰り返しだった!


『何ということだ、こんな攻防見たことない!捕まえにかかるシンヤ!逃げるヨウイチ!逃げては捕まえての繰り返し!さながら水の精霊を喰らいにかかる大蛇のモンスターの攻防だぁああ!」


 実況も、見た事が無い展開、この世界ではまず見れない寝技師の攻防に熱が帯びた声を上げる。会場はというと、水原コール一色で、中井のアウェーを拭い去る事は出来ない。


「ちょっとこれ……まずくないっすか、町田さん」


 試合を入場口から覗いていた神山は、水原の扱うチート能力を前に、攻めているとは言え中井の関節技が通じない様に、不安を顔に浮かべていた。


「だな、このままだとジリ貧だ」


 町田も神山の漏らした話には頷かざるを得ない、中井が相手どる魔法使い、それは弛緩の究極、液体になれる闘士だ。水原は宣った、液体には、関節も、気道も、靭帯も、頚動脈も無しと。


 付け加えるならば、実体が無い。水面に拳を打ち込んだとて、激しく波打つが形は戻る。


 液体に……格闘は通用しない。


「しかし……だ、中井くんは近接戦を挑まなければならない、挑まざるを得ない」


 そこへ、距離の問題だ。今現在の、中井が掴んだこの至近距離は、一番優位な間合いだ。今でもこうして、中井真也の様々な寝技から抜け出そうと、相手は液体化しては実体に戻り、また捕まえられては液体化する。こうするしか無い、この間合いから離れた瞬間、水原の魔法がそれは、雨の様に降り注ぎ、二度と近づかせてはくれないだろう。


 だから、この無意味な鬼ごっこの状態を続けなければならない。極まらないという精神的なストレスに、動き続けなければならない戦い方は、明らかに中井真也のスタミナを奪っていく。


 TEAM PRIDEの中ではおそらく、素人の緑川の次にはスタミナが無いと露呈している中井には、酷な状況だった。


 ーーそんな矢先に、予知の如く、その状況が目の前に現れてしまった。


「かはぁ!?」


『あぁっと!遂に逃げれた!ヨウイチ選手遂に、しつこい蛇の如きシンヤ選手の拘束から逃げ切ったぁあ!」


 中井真也、遂に水原の逃げから間合いを離されてしまう。水原は素早く中井から離れるや、振り向き様に杖を向けた。


「ウォーターバレット!」


「ぬぅうう!」


 牽制の魔法も放たれ、いよいよタックルすらも届かない距離に離れ、杖を突きつける水原。


「終わりだ中井真也、こんどこそもう、勝ち目は無い!」


 拳銃を突きつけるかの様に、勝利宣言をする水原。対して、石畳に座した中井はゆっくりと立ち上がる。コールが鳴り響く、中井へのブーイングも混じる、無駄だと分かっただろう、諦めろと諭す水原だったが。


「ふぅーー……」


 中井真也は、どこ吹く風、とばかりに……息をゆっくりと吐いて。


「ふんふーん、るるーー」


「なっ……」


 ステップを刻み始めた……しかし、それは明らかに戦う為のステップでは無い。明らかに……踊っているかの様な、ステップだった。さらにーー。


「ゔゔ、ヴィーガシャ、ヴィーヴィーがシャン、ビビビ」


 目の前で、ロボットダンスまで踊り出してしまったのである。余裕の現れか、苦し紛れのパフォーマンスか……水原は理解できず、構えは解かないが固まった。


『オラー!馬鹿にしてんのか中井ぃい!勝てねぇなら降参しちまえ!』


『見苦しいんだよ、何しに来たんだ!帰れ帰れ!』


『かーえーれ!かーえーれ!』



 かーえーれ!かーえーれ!


 かーえーれ!!かーえーれ!!


 かーえーれ!!!かーえーれ!!!


 響き渡る帰れコール、されど中井真也どこ吹く風、リズムを刻んでステップを踏み、一曲踊り切りそうな勢いだ。


「もういいやめろ!無様を晒すな!降参するんだ!!」


 水原の苛立ちから、声が出た。そこでやっと中井が止まり、顔だけを横に向ける。その表情は、なんとも小馬鹿にした様な、呆れ顔であった。


「なぁ、攻撃しないの?」


「は?」


「命懸けの戦いだろ、攻撃しなよ、ほら、ねぇ?」


 何故攻撃しない、チャンスだろ?促す中井に水原が戸惑う。


「馬鹿な、無防備を相手にーー」


「馬鹿はお前じゃない?」


 無防備な相手に攻撃など、そんな事を吐かすお前が馬鹿だろうと切り返す中井。


「お前さぁ、こうしてる間に……僕はスタミナ回復してるんだぜ?息も、整って、来たわけだ……」


 中井真也は、ニヤニヤ笑って腰を回し艶かしく踊り、意味があるからやっていたのだと言い放つ。お前があっけに取られている間に、スタミナは回復したぞと、何を呑気にしているのだと。


「観客はお前に期待してるぞ?生意気な劣性がボロボロになってくたばる様を、ほら早く、撃てよ、撃てよ!撃てないのかよぇぇ!?」


 帰れコールで観客は、何を言っているのかは聞こえない。だから、今この瞬間、中井真也の挑発が行われている事も知らない、もしも聞こえていたら、それは何とも異様だろう。魔法を放つ様に挑発する男と、その無防備をポリシー故に放てない男。


「来ないなら、こっちから行くぞおらぁあ!」


「あーー」


 そして気付かなかった、水原は中井が無防備故に、近づいて間合いを潰していた事に!せっかく逃げ切った間合いを、また潰されていた事に。向かってくるは左の拳、それが水原の鼻柱を捉えて跳ね上げた。


 水原陽一は、また中井真也の策にハマったのである。



「アリシャッフルに、ロボットダンス……何とまぁ、こんな戦い方までできるか彼は」


「あ、長谷部さん、どこ行ってたんですか?」


「河上くんが手伝って欲しいとね、しかし……彼は場を支配するのが上手いね」


 中井真也の戦いぶりと、今のからかう様な行動を、TEAM PRIDEの一人長谷部は、練習や他の試合で見て来た物から様変わりした姿を、興味深そうに見つめる。


 中井真也が、挑発の様に行っていたステップワークは、アリシャッフルとも呼ばれる挑発に使われるステップだ。そしてロボットダンス……これらにはそもそも意味が無い。が、相手からしたらなにを馬鹿にしているのかと苛立つか、今の水原の様に呆気に取られるか、はたまた構わず攻撃するかしか無かろう。


 挑発かつ、時間稼ぎとして、さらにはステップで実は間合いを詰めていて、打撃の間合いに入ってしまったというのだ。こんなトリッキーな戦法で戦う為の、空気すらも中井は作り上げていた。


 帰れコールから卑怯者だ、やめちまえだと、中井を応援する声は無い。皆、水原を応援する。その空気が、先程の一撃を当てさせたのだ。


「けど、まだ決定打は無い……相手の液体化を攻略しない限りは……」


 が、まだ課題はある、結局液体化を攻略せねば、中井に勝ち目は無い。そもそもが、時間切れまで粘れば、両者引き分けに持ち込めるが、中井はそれを許さないだろう、水原もそうだ。


 攻略法は無いのかと、歯噛みする神山に、ふと町田が呟いた。


「む?中井くん、組み付きに行かないな?」

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― 新着の感想 ―
[気になる点]  そういえば中井君、この前爆発物っぽいモノ作ってませんでした?(・_・ )  
[一言] 結構多才な中井くん。マジに欠点はスタミナだけですね。ストライカーでもないのにボクシングのアリシャッフル出してきたり、もしかしてステップワークは神山くんと同レベル? なにか相手のチートスキルの…
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