Fist or Twist
左足首が痛み、まるで重りをつけられた様に重たい。踏ん張りが効かない事が良くわかってしまう。たった1分足らずの交戦で、理解してしまう。こいつは本物だと、本物の格闘家なんだと。
畑の違いはあれど、喧嘩を売った当人であっても、芽生えてしまう。
尊敬の念……この実力を身につけるまで、中井真也はどれ程の時間を費やしたか。始まりは何か、この戦いに至るまで、どんな奴らを倒してきたのか……。
こんな馬鹿げた、非現実の異世界で出会ってしまった、打撃系と寝技系の格闘家。今や一括りの技術で綺麗になってしまった、現代総合格闘技の技術が広まる中で、異なる世界で勃発した小さき代理戦争。
『打撃技』か『関節技』か
Fist or Twist
最早混濁、混沌とした現代格闘技より少し前、提唱された、どちらが強いか?今その一例が、ここで証明されようとしている!
息を吸う、吐く……低く構えた中井に、俺はどうするかと、頭の中でシュミレートした。
中井はまず、前提条件として、俺を掴まなければならない。自分自身で関節を極めるか、締め落とすかでケリをつけたいと言っていた、それをねじ曲げる程狡猾でもなければ、追い込まれてすらいないのだから。
そう、追い込まれているのは俺の方だ。
ヒールホールドを必死に抜けた代償が、左足首の痛み。中井は鼻血を流し、口を切っているが、決定打は入っていない。中井からすれば、楽な形の展開になっているのだ。
あと一撃避けられたら、打撃は使えない。左足は、地面を支える力を失うだろう。だから一撃に掛けなければならない。となると……俺の中でのシュミレーションが完了した。
俺は、ジリジリと、にじり寄る様に中井との間合いを詰めた。
中井真也は考える、先程のヒールホールド、必殺とまではいかないが左足首は捻挫したに違いない、男女問わず、格闘技経験有無に関係無く、骨を折り、靭帯を捻じ切り、締め落とした経験が、ダメージを理解させてくれる。
良くて、あと一撃、それを回避しさえすれば、後はどうとでもなる。現に前足たる左足に力が入っていない、それが見て取れるのだ。なら、このムエタイ上がりたる神山真奈都、最後にどの攻撃を選択するかが問題だが……。
格闘家は、負けが見えた際の行動のパターンがある。最後まで悪あがきで、必死に食らいついていくタイプ、そして……己の一番の技と共に心中するタイプだ。
神山真奈都は、後者だろう。中井は断じた……掛け試合の跳び膝蹴り、さらには今の飛び膝蹴りに組んでからの膝、神山は膝を得意とするムエタイ戦士だ。となれば、飛び膝での一撃を狙うのが見えてくる。
中井は待つ、心中のその時を待つ、痺れを切らして向かって来たが最後、避けて後は腕と足を折らせて貰う。
どんな風に泣き叫ぶか見ものだ、骨の折れる痛み、靭帯断裂の感覚は興奮を覚えて仕方がない。それを想像していた中井に、神山が少しずつにじり寄って来た。待っている、間合いを測っている、駆ける距離を、飛翔するタイミングを。
「捨ァアアアア!」
そして遂に神山真奈都が駆けた、来る!飛び膝が来る!顔面を覆う様に腕を上げて、視界を遮りながらも待つ、この腕に衝撃が来たら最後だ!
中井に訪れたのは数秒の静寂だった、来ない、膝の硬さが腕にめり込む感触が、いつまで経っても来ない。ただ一つ、ヒュンと風切音を聞いて、右のこめかみに衝撃が来て、視界に幕が降りたのが、中井が見た景色であった。
「忘れたか、中井……は、はっ……ムエタイには、膝だけじゃない、肘もあるってよ」
世界が揺れる、左半身に叩きつけられ、頬や体が擦れる。神山の言葉を聞いた中井は、真っ新な景色を前に意識を失うのだった。
目の前で倒れた中井を見下ろし、俺は荒げた息のまま、その場に座り込んだ。横向きに倒れた中井は、口から血を流していた。
中井は、恐らく俺の飛び膝を待っていた。だから最後に防御し、そこからどうとでもする気なったのだろう。確かに、飛び膝や組んでの膝を、俺は得意としている。蹴りもだ、最初の攻めぎあいでローやミドルも放ったし、中井も賭け試合で飛び膝で秒殺をしたのを鮮烈に目に焼き付けていただろう。
これで中井は、俺が蹴りを得意とする選手だと、先入観が出来ていると俺は予想した。
だからこそ、俺は肘を選択した。中井が膝を選択するだろう、心中する俺を予見して、距離を積め、最後に気合を入れながら駆け抜け、前を防御した中井の目の前で、右足を軸に右回転に腰から体を回して、右肘をこめか向けて放ったのだった。
回転肘打ち、ムエタイの肘打ちの技の一つ。それで俺は巻き込む様に肘を放ち、中井の右のこめかみを打ち抜いたのだった。そして中井は失神した……勝負ありだ。
「ま、マナト、大丈夫?シンヤは死んでないの?」
マリスが心配そうになって近寄り、倒れるシンヤを見下ろした。
「脳震盪からの失神だ、しばらくすれば目を覚ますさ……多分」
うん、そうあって欲しい。首も太いし大丈夫な筈だ、本当に死んでないよな?俺は少しも反応しない中井に、こればかりは肝を冷やした。が、中井はすぐに目を瞬きさせ、腕で体を起こし、座る俺や顔を覗き込んだマリスを見た。
「……そうか、負けたんだ」
納得してか、中井も俺を前にして座った。路上で、二人対面して、中井は鼻から出ている血を拭い、こっちに目を向けた。
「打撃系には負けないと思ったんだけどなぁ、強いね」
「こっちもギリギリだったんだ、足首捻挫してっし……ところで、気付かない?」
「何が?」
「野次馬、1人も居ないだろう」
中井と、互いに実力を認め合う中で、俺はこの喧嘩の中で起こっていた事態に中井を気付かせた。そう、野次馬しかり、煽る奴が、全く居なかったのだ。街中で喧嘩したら、止めに来る奴も、煽る奴も居るだろうに、現に東南でのストリートファイトも人だかりがあるにも関わらず、この北東の貴族や住民は、我関せずとばかりに無視をしていた。
「この世界じゃ、ただの喧嘩止まりなんだろうさ、優性召喚者共の決闘やしあとかで、血を見飽きてるんだ、だから、反応しない、喧嘩してるで終わってんのさ、多分な」
「そうかもねぇ……」
「お前、言ってたよな、イキり散らした輩の骨を折るのが趣味だってよ」
こんな惨状の中で、俺は中井に聞いた。さっきの喧嘩の買い文句は真実なのかと、中井はまだ口内から血が出てるらしく、石畳に唾を吐いてから話だした。
「現世でそうだった……まぁ、いじめられてた復讐も兼ねててね……地元でデカい面してる暴走族やらカラーギャング、ヤカラとかを一人一人襲撃してたらさ、最後には誰彼構わず結託して追い込まれて、喧嘩の途中光に包まれてこっちに来た」
本当にそうらしい、そしていじめられてたという告白を聞いて、なんと無しに彼の格闘技の始まりや、芯根を知る事ができた。
「嫌いなんだよね、威張り散らしたヤツ……そいつが泣き喚きながら命乞いをして、それでも折った時なんか最高だった……」
ねじ曲がってしまった思いを抱く、寝技師……成る程なと、俺は中井を焚きつけようと言葉を返した。
「じゃあ、格好の相手が居るだろう、優性召喚者……アイツらのイキリ散らした面をさ、泣かせたくないか?」
俺は言った、お前の言う、イキリ散らした輩を泣かせに行かないかと。
「試合でも見たろうよ、クラスやスキル持ってた奴も、結局俺達に負かされた……そんな奴らが胡座かいて、イキリ散らした生活を、あの内地でしてんだろうぜ?」
俺が親指で内地の壁を指し示すと、中井は片膝を立てその膝頭に肘を乗せて、その遥か先の壁を見つめた。
「ま、もしかしたらガチに強い奴と当たるかもしれねぇけどさ、このまま燻って腐るのも嫌だろうよ、中井……そのグラップリング、関節技……奴らにぶつけて鼻を明かしてやりたかないか?」
俺は言った、その関節技の数々を、展覧試合で見せつけて、驚かせてやろう。俺達をここに投げ捨てた奴ら、見下す奴らを泣かしてやろうと。そう言って俺は右手を差し出した。
「グラップリングじゃない、サンボだ、僕はサンビスト……そっか、いいねぇ……ふふ、まぁ頭の端で考えてはみたけどさ……そうか、実にいいな」
中井は、くつくつと震えながら笑いを押し殺し、それでもやはり我慢できずに笑ってしまって、差し出した手を握り締めた。俺もニヤリと笑い、そのまま中井を引っ張り立ち上がらせる。握力が強い、数多の胴着を引っ張り、腕を、足を固めて来たのだろ、顔に似合わない力強い手と引く力に、俺はさらに笑みを強めた。
「負けた身だし、乗るよ神山くん……マリスさん……僕も君の闘士になってやるよ、ただし……首輪はつけてくれるなよ、僕は自由でありたいからさ?」
中井の言葉に、マリスはパァアと笑顔を浮かべれば、またもニルギリが待っていましたとばかりに、羊皮紙、羽ペン、インクセットを素早く取り出してマリスに持たせた。
「勿論よ!首輪なんて付けないから、あ、た、ただ闘士なんだから、私が組んだ試合には出てくださいね?」
「勿論約束する……けど僕の戦い方や理念、行動を叱責してくれるなよ、それが条件だ」
「うん、うん!やったわニルギリ!二日連続で闘士を見つけたわ!」
きゃあきゃあと喜ぶ銀髪の令嬢に、中井はぽかんとした顔になった。うん、仕方ないがこれ、演技とかじゃないんだよ中井くん、これがうちの雇主たる没落貴族令嬢様、マリス・メッツァーさんなんだよ。
「えーと……神山くん、この人が君の雇主であってる?」
「そうだが?」
「何というかその……非常に、あの」
その態度といい、振る舞い方に中井は口元を痙攣させる苦笑いを浮かべるので、恐らく思っただろう事を彼に聞いてみる。
「恥ずかしいか?」
「見るに耐えない、園児か小学生低学年か……」
「違うわよ!私17よ、だって嬉しければ喜ぶのは当たり前じゃない?」
「俺より年上だったわ、中井くん、俺16歳」
「あ、神山くん僕と同い年か……年上がこれって、どうよ?」
「天真爛漫で、さぞよろしいかと……」
そんなこんながあり、サンボ使い、正確には『サンビスト』の中井真也が、正式にマリスと契約を結び、闘士となるのだった。