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殴り愛、極め愛、果たし愛

 店名も知らない小洒落たカフェ、その敷地から道路に出る、俺と中井……。地面は整地された石畳だ、恐ろしく硬い地面をスニーカーで踏みしめ、俺は中井と距離を離して向かい合った。


 なんだ、どうしたとカフェの客も、歩いていた通行人さえも俺たちに目を向けて、立ち止まる者も居た。


「さぁて、さてさて、やりますかねぇ、中井くん」


 笑いながら、手首足首を回して俺は中井を呼んだ。中井はこちらを見たまま、まだ濡れている顔を袖で拭い、石畳に唾を吐いた。


「誰に喧嘩売ったか、後悔させてやるよキックボクサー」


 待った無しと、口振りもやる気満々な中井が、両手の指を、確認する様に握り開きしたり、小指から順に動かしている。


 寝技は触覚で戦うと言われているのを、聞いた事がある。組みついた相手の重心や呼吸、体勢を、その掴む指先、皮膚、それらをフル活用するのが寝技だと。


「しないさ、逆に楽しみだ」


 後悔なんざ無い、やっと、この世界に来てやっとまともな相手と対面できたのだ。後悔などするものかと、左足を前にして、両腕を上げ構えた。


 対して、中井は……ゆっくりと近づいて来た、歩いてくる様に、一歩一歩、確実に。そうだ、もう始まっていたのだ。どう来る、セオリーならば打撃を織り交ぜて組んでくるか……それともいきなりタックルで倒しに来るか……。


 また一歩、間合いが近づいた瞬間だった。


「疾ッッ!」


 中井の体が沈んだ、地面を這うほどの低空タックル!自分の蹴りが当たらない、間合いの外からの、タックル、俺はすぐ様バックステップで距離を離した。


 だが、その体が俺の手前で潜水艦の上陸の如く急浮上した。


「何っ!」


「っぇえや!」


 そのまま、中井は跳躍した。振りかぶる右足が、俺の左腕を蹴る、なんとも不出来な、まるで不良がカッコつけた様な飛び蹴りが、俺の左腕に当たる。痛みは無い、しかし俺は気付いた、この先にある中井の狙いに!


「うぉおっお!?」


「チッ!?」


 中井はそのまま着地と同時にまた体を沈め、俺の左足へ絡みついたのだ。前屈姿勢で体重を乗せて、決して足を地面から踏み外さないと力を込め、脚に絡み付いた中井を見下ろした。舌打ち一つして、中井は絡み付けた手足を外し、後転して離れ、立ち上がらずに俺を見上げる。


「何だよ、知ってんのかよこれ」


「あぁ、知ってる……今成ロールだろ、かっこいいよな」


 今、中井が掛けようとした一連の動きと技は、あまりにも有名だった。奇襲でこれを極めて来ようとするあたり、余程肝が座っているなと、俺は冷や汗が滲み出る感覚を覚えた。


『今成ロール』


 足関十段、妖怪足極めの異名を持つ総合格闘家『今成正和』が得意とする動き。スライディングから相手の足に絡みつき、そのまま巻き込む様にグラウンドに倒しながら、足関節を極めるという一連の動きだ。しかも、これが世界共通の正式名称だというのだから、この技術の広まり様は恐ろしい。


「膝が得意そうだし、足から壊したら泣くかと思ったが、知ってんなら話は別だな」


 座っていた中井が立ち上がり、改めて構えた。今の総合格闘家に多い、リラックスしてガードを上げず、ステップを踏む構え、左足前のオーソドックスな構えに、俺も身体をリズムに乗せる。


 自信気に、中井はまた近づいて来た。


「シッ!」


 そんな簡単に近寄らせるかよ、俺はそのまま右足のローを放てば、中井の左足の膝横へ命中した。バヅッという、ズボン越しに皮膚を叩く音を鳴らして、中井の前足が地から簡単に離れた。


「ッアづっ!?」


 思わず後ろに後ずさる中井、舐めるなという俺からのメッセージだった。簡単には組まさない、掴ませない、近寄らせないという意思表示に、中井の顔が歪んだ。


「何だよ、蹴りも強いのか」


「ナックモエだからなぁ、おら、次行くぞ!」


 膝蹴りだけかと思っていた中井に、俺は一気に距離を詰めた。左手のジャブをフェイントに、右のストレート、ジャブに後退り、ストレートも中井は右へと避けたところで、俺はその右手を開いた。


「むっ!?」


「喧嘩だぜこれは!誰が服を掴まないと言ったぁ!」


 ストレートを放った右手で、俺は中井な奥襟を掴んだ。このまま組んで左膝を腹に入れてやると、近づいた瞬間だった、中井は回避の為か、逆に近づいて来たのだ。


「そうだな、ど素人が、誰相手に袖を持ってんだ?」


 その言葉を聞いて、決して回避の為に、クリンチで近づいた為でない事を理解する。中井も俺の上着の奥襟を掴んでいた、それだけでは無い、手を股下に潜り込ませて、腰を沈めていた。


「Ураааааааа!!」


 中井の雄叫びを聞いた、その瞬間、俺の足は地面から引き抜かれ、世界が反転した。一瞬だった、凄まじい力で持ち上げられ、そして見えた石畳が近づいて、俺の背中へ叩きつけられたのだった。


「っがぁはぁ!」


 鈍い音が響いた、石畳の地面に背中から、力強く叩きつけられた。肺から息が全て吐き出され、横隔膜が押し潰され息が吸えない。


「舐めた罰だ、腕もらうぜぇ!」


 そこからも中井は早い、容赦が無い。俺の右手首を掴みながら、そのまま股に挟んで倒れ込みに掛かっていた。腕十字固めだ、最も知られている腕関節!ひしゃげて肘関節が外れる自らの未来が見えた。


「っがああ!」


「ぐぶっ!?」


 必死な抵抗だった、腕十字固めの回避を知らない、息も吸えず固まっていた俺は必死に左足を、右に身体を捻りながら振って、中井の顔面目掛けて放ったのだった。爪先があたり、手を離し転がる中井、俺も中井から距離を離す様に転がり、やっと横隔膜の痙攣が収まり息を吸うことができた。


「っかあ、はぁ、ぁああ……はぁ……」


「どうよ、石畳に叩きつけられた気分は?」


 今度は中井が俺を見下ろす形になった、正しく一瞬の馬鹿力だった。簡単に抱え上げられ、投げられ、叩きつけられて……もう少しで腕をオシャカにされていた。


「寝技師の袖を掴むど素人には、いいお灸だろう?関節技だけが寝技師じゃない、関節技というフィニッシュへ向かうセオリー、パターン、投げ、崩しがあるから寝技師なんだよ」


「けっ……優しいねぇ、頭から落としゃ一撃、マウントも取れたろうに……」


 寝技師の袖を掴む愚行、それを指摘する中井に、強がりながら言葉を返した。頭から落とせば、マウントから殴り倒せば勝っていたろうにと、そして呼吸を整え立ち上がる俺に、中井は笑みを浮かべて言うのだった。


「そんな醜い勝利はいらないんだよ、俺にとっての勝利は、敵の関節を極める、締め落とす、一本勝ちしか認めちゃいない……投げて気絶など優しいものだ、マウントで殴りつけるなど野蛮人でもできる……」


 中井の演説染みた話、俺はそれを聞いて、思わず笑んでしまった。やっぱりそうだった、こいつも、この目の前で自信満々に俺と対峙する男もまた……『格闘馬鹿』であると。


「極めて勝て、それが俺の先生から教わった言葉だ、それが中井真也という、サンビストが決して変えないと決めた、戦いの信条だ!」


 そして中井は、腰を低くして、両脇を絞めて手を前に軽く出す構えを取った。中井の格闘家としての背骨が、今彼自身の口より明かされた。


 サンビスト……つまりは、サンボ使い。ロシアで生まれた格闘技。ルーツは柔道とされているが、その競技性もルールも全く違う。


 そもそもがロシア、旧ソ連時代の軍人から使われている徒手空拳術であり、日本にその技術が広く知見が出来始めたのは……UWFプロレスの選手『千のサブミッションを持つ男』ヴォルク・ハンが発生源とされている。


 成る程、サンビストだったか。ブラジリアン柔術家かと思ったが、全く違っていた。寝技師の範疇ならば一纏めにしたいが、それは通らないだろう。


 まぁ、だからこそ余計に燃えたぎるのだがな。俺はもう、ニヤついてニヤついて仕方がなかった。


「っはは……」


「あ?なに笑ってる、頭打っておかしくなったか?」


「いいや、やっとこさよ、マジ者に出会えて嬉しいんだよ」


 俺は改めて、中井に話した、俺がどれほど焦がれていたか、眠れない鬱屈した夜を過ごしたかを。


「闘技場のやつらも、確かに強かったが技術が無い、この世界には格闘技の芽吹きは皆無だった、そして優性召喚者の肩透かし……俺はこのまま自分の熱を持て余してくだばるのかと……そこに中井、お前が居てくれた……」


 中井は、奇襲も掛けず、行儀良く俺の話を聞いてくれた。さっきの挑発による怒りも消え去ったのか、構えたまま、俺の話に耳を傾ける。


「分かるか?俺一人と思った無人島によ、お前という生存者が居た気分なんだよ、お前もそう思わないか?本気で技を使える、戦える相手が、格闘技を知る人間が、やっと自分の前に現れたんだぜ?」


 まるで愛の告白染みた、それ程までの心情を吐く。それを聞いた中井は……俺と同じ様に口端を吊り上げた。


「はっ、それは同感だよ……闘技場で戦った奴より、今のお前との喧嘩が、一番ヒリついてるよ」


 中井もそうだと頷いた、それを聞いたらもう、もう……総毛立つに決まってる。爪先から脳天、指先の毛細血管まで流れている血液が、一気に瞬間沸騰したのを、俺は確かに感じ取った。


「そうかぁ、良かったよ、相思相愛のカップリング成立だな」


「この場合はマッチメイク決定、とでも言うべきか」


「違いない……ふはっ、なぁ?楽しいなぁ……おい!」


「あぁああ!楽しくなってきたぁああああ!!」


 互いの声が荒くなる、最早そこに歯止めは無くなった。俺は素早く駆け出して、中井向けて飛び跳ねた。


「っしゃらぁああ!!」


 右の飛び膝!奇襲の一閃!しかし中井の十字に組んだ両腕がその膝を防ぐ!着地したと同時に俺は中井を両手で押し込み、間合いを確保した。


「っしゃ!ぁああいっしっ!」


 防御も考えない、ただひたすらに、俺の技を繰り出す!右のロー、左ミドルと放てば、ローが左太ももへ、ミドルは中井の右横腹に減り込んだ。


「っぐく!」


「おらさっきのやりそびれいいゃあ!」


 さっきは投げられたが、次はそうはならない。後頭部を両手に掴み、引き寄せながら俺は右膝を放つ!確かに感じた膝頭が、硬い何かにぶつかった感触、ガードできてないことを知らせる生々しい音!


「もう一発!」


 反撃の隙は与えない!左の膝を放てば、中井の顔にめり込んだ、次は右と左膝を引き抜こうとしたが、びくともせず、片足立になった。


「ッンガァああ!!」


「うぉぁおぁあ!?」


 中井が左膝を掴んでいた、さらにそのまま俺を持ち上げ、背中を逸らして、また石畳に叩きつけようとしている!させるかと必死に右足で地面を付こうと重心を落とそうと足を伸ばした。


 しかしそれが狙いと、中井は俺の右足を払って、案の定俺は石畳に倒れた。


「足貰ったぁあ!」


 中井が俺の左足爪先を右脇に挟み込み、踵を肘にはめ込む様固定しながら両足で左足に絡み付いた、そこから導き出されるは、ヒールホールド。足関節技の中でも、一瞬で膝靭帯や半月板を破壊する為、場合によっては禁止されている必殺の技!


「んくぁあっ!」


 極められてたまるかと、俺は中井の捻る方向へ身体を捻った、しかし中井も転がり極めに掛かる。同じ方向へ転がりながらも俺は右足で中井の足を蹴って、左足を無理矢理に抜いて脱出した。


「っあ、あぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」


 あと少し遅ければ、左膝が破壊されていた。しかし……無理矢理抜けた代償は大きかった。


「膝は無理だったか、だが足首は貰った」


 中井は膝立ちになり此方を見て言った、鼻から血を流し、口からも血を垂れ流している、膝が入った証拠だ。血と唾の混ざり物を吐いて俺を見る中井に、俺はゆっくり立ち上がって、左足首に走る鈍痛に顔をしかめた。


 足首の靭帯が伸ばされた……無理矢理逃げたが故に起きた怪我に、俺は歯噛みした。足は、体を支える為に、何より打撃の威力を司る地盤なのだ。足を破壊される事は即ち、打撃の威力を殺される事と同義なのだ。


「クソが、やっぱり水と油だな、お互いによ……」


「知ってて喧嘩、売ったんだろうが」


 まともに打撃を放てるのは、あと一発か……二発めは……痛みでまともに打てやしないだろう。次で決める、次の接敵で倒さねば負けると、俺は構えた。


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