シードチームのエース達 下
「うおぁあああ!?」
テーブルの上の食器や料理を撒き散らし、中井真也はそのままテーブルの上から滑り落ちた。その一連の流れを見ていた町田は、オリヴィエが何をバックボーンとしているのか理解したのである。
「合気道か!」
オリヴィエなる女闘士が中井に見せた身のこなし、何より綺麗な返しの投げは、合気道のそれであった。まるで形稽古か、解説のために相手と示し合わせた様な綺麗な投げ方に、町田は戦慄する。
「子犬と遊ぶのも大変ね」
パンパンと手を叩きながら彼女が一息を吐けば、観衆が沸きたった。
「流石不触不敗の令嬢!調子に乗ったルーキーをあしらったぁ!」
「オリヴィエ様ぁああ!素敵ぃいい!」
残って見ていたパーティに参加していた者たちも、彼女が中井を投げ飛ばした事に歓声をあげる。中井真也の予選会場における態度を見れば、スカッとするのも無理は無かろう。しかし……たったこれだけで中井真也が終わるわけも無い。
「おらぁああああああ!!」
起き上がった中井が雄叫びを上げ、自分が投げ飛ばされたテーブルを思い切り、オリヴィエ向けて押し始めたのだ。
テーブルで押しつぶしにかかった中井に、オリヴィエはその場を軽く飛び、テーブルの上に着地するや、右足のヒールを履いた爪先で中井の顔面向けてサッカーボールキックを放つ!
「ちぃいっ!」
それになんとか反応した中井はテーブルから手を離して寸前で掴んだ、喉元に軽く爪先が触れていた、危うく致命傷を受けていた、彼女は本気で殺しに来ていると、中井はそれで火がついた。
「そら足の腱貰ったぁああ!」
叫びながら中井はオリヴィエの足を左へ思い切り捻る!関節技と言えないが、それだけで人間の腱というのは簡単に断裂するのだ。
しかし……オリヴィエもそうはさせないと動いた。
「ふぅうう!」
中井が足を捻った方向へ、自らも錐揉みに、回転しながら飛翔し、中井の捻りあげを無効化し、そのまま地面に着地した。ドレスにヒールという出立ちながら、華麗に着地したオリヴィエに、観衆が歓声を上げる。
「……まだ遊び足りない?子犬ちゃん?」
余裕とばかりの澄まし顔を中井に見せつけ、またも子犬と嘲りを込めて呼ぶ。対する中井は……。
「遊んでやるよ、尻軽女、かかって来い」
侮蔑には侮蔑をと返して、低く両手を開いて前に伸ばして構えた。これにはさしもの相手も、すまし顔を歪ませて睨みつける。
「体にも口にも躾が必要ね」
前に重心を掛け、腰を軽く落とし、右手を顎に拳を作り、左手は開いて下段に構るオリヴィエ……。コマンドサンボと恐らくは合気道……最初の接敵からは真逆の間合いの詰め合いに、町田も思わず息を飲む。
互いに、組み技を得意とする以上、この戦いの主題となるのは。
『如何に主導権を握るか?』
に集約される。相手を自らのコントロール下に引き込み、如何なる技で制するか?それが、この2人の戦いの肝なのだ。
それを中井は、この世界では初めて行う事になる。
現世の喧嘩相手にも居た、柔道、レスリング、総合格闘技を扱う輩が。そしてまさかまさか、この世界にも居たのだ、組み技、投げ技を主体とする闘士が!
最初の投げで、中井の怒りは既に冷めている。スイッチが入ったのだ、本気で戦う為のスイッチが。ベタ足で、右へ右へと回る中井にオリヴィエもまた正面に中井を捉えて離さない。
周囲の闘士達には、この間合いのせめぎ合いが理解できないのが大半だった。町田はその様子を眺め、中井が如何に仕掛けていく気かと凝視すると。
「シッッ!」
遂に中井が仕掛けた、左のジャブ、本気で当てに行くとそれはフェイント、体勢を低くして足を取りに行く!
それすらもフェイント!中井は踏み込みながら右の拳を振りかぶったのだ。
右のロシアンフック!ジャブ、タックルフェイントで上下に散らして視界の外から意識を刈り取る攻撃!町田も、これは避けれないと明らかに感じた。ジャブの勢いも、タックルのフェイントも、全て身体が反応する、当たる!その中井の右拳は……。
「えっ!?」
オリヴィエの左腕に阻まれた。
「見え見えね?」
あれを引っ掛からなかったのか!?中井が驚愕するのも許さず、右腕を掴んだオリヴィエが中井の腕を引き込み体勢を崩し、そして右腕を親指の方向に捻り上げた!
「うっ!あぁあ!?」
コマンドサンボという、関節技と投げ技を知っているからこそ、この力には抗ってはならないと中井は身を委ねた。自ら地面を蹴り上げ、横に回転して石畳に背中を打ちつけられる。
合気道の投げ技、小手返し。響き渡る石畳に打ち付けられた音と、苦悶の声。しかし、中井はその勢いのまま立ち上がった。
まだだ!すぐに反撃を!そう思ったのも束の間、中井は気付く。まだ、オリヴィエは袖から手を離していない事に!
「しまっーー」
「それっ!」
気づいた時には遅かった、オリヴィエの腕が中井の首にあてがわれ、また崩されてしまう!また中井の身体が宙を舞い、石畳を揺らした。
入り身投げ……合気の基本技の一つである、二連続に投げられた中井を見て、町田は唖然とせざるをえなかった。
これまで、中井真也に関節技、投げ技というこの世界の格闘には無いアドバンテージ、それがあるとは言えここまで、まるで師範代と入門しばらくの門下生並みの差があるのかと。
いや、それよりもだと、町田は違和感を感じていた。おかしいのだ、ここまで綺麗に投げれるのか?ここまでまるで、演舞の様になるのかと、町田はオリヴィエを見た。
「フィニッシュ!」
最後だと宣告すると、袖を引きつけ、襟首を掴んで押し込み、宙に浮いた中井の顎を左手で押さえて、オリヴィエは脳天より中井を落とした。
変形の隅落としにより、突き刺さる様に落とされた中井は、数瞬の間足が止まって逆立ちとなり、そのまま大の字に倒れーー。
「終わる、かぁああ!」
「えっ!?」
無かった!脳天から落とされながらも、中井真也は意識を保っていたのである!
「二、三回叩きつけられて意識手放す程柔な鍛え方ぁしてないんだよ!」
頭から血を流しながら、中井は身体を地面に転がしながら、左足をオリヴィエの右膝裏に絡ませつつ、右足で左の内腿を蹴り抜いた。一瞬の油断を突いた中井により、背中を向けられながらオリヴィエは中井に引き込まれて、背後を取られて捕縛されたのである。
中井真也を構成するのは、関節技と投げ技だけではない!関節技へと向かうプロセスの中で、有利なポジションを手に入れる、寝技を構成する技術。『スイープ』と呼称されるその技術を、オリヴィエは知らなかった!
今、中井が行ったのはブラジリアン柔術における、立つ相手に対しての防御姿勢『ガード』の中の『デラヒーバガード』と呼称されるものに近い。
相手の片足に対して対面の肺を膝裏に絡ませつつ、その足の袖を掴み、もう片方の足で相手の逆の足を踏む様に押さえ込む防御姿勢だ。
近い、というのも本来これは防御姿勢の為、中井が奇襲として下から仕掛けた事から、自然と同じ形になったのが正しい。
そこから、中井は片足を蹴る事により背中を向けたオリヴィエを引き込み、バックを取りながら引き込む事に成功したのだった。
「ようこそ寝技地獄へ!糸切れた操り人形みてぇにしてやるよ!!」
「ううく!?」
こうなってしまえば、中井真也の領分だ。シダトの平民の娯楽、奴隷の闘技場で『蛇男』と恐れられた、中井真也の脱出不可能な寝技地獄が、今始まろうとーー。
「危ないオリヴィエ!」
する前に、地面を走るような弾道で、光る何かが中井の顔面向けて飛来した。
「おおおほぉおーほぉおーほぉおおおお!!」
「お、おあぁああ……」
偶然にも、ツープラトンバックドロップを決めた神山と長谷部。互いに脳天を打ち付けた為に、神山は叫んで頭を押さえて左右に転がり、長谷部は呻いて懺悔するように伏せながら頭を摩る。
「だぁいじょうぶかい?2人とも、氷いる?それともこの子達のおっぱい触る?左右よりどりみどりだけど」
諸悪の根源より選択を言い渡される、氷か?それともおっぱいか?そのおっぱい達は漏れなくこの喜劇を笑っているが。
「畜生、星が飛んだ……て言うか、誰すかこいつ?河上さんの知り合い?」
神山はまだ痛む頭を摩りながら立ち上がりつつ、見事にバックドロップのまま気絶した剣を握りしめている青年を見下ろした。
見るからに好青年がまぁ、パーティ開場で本身抜き放って河上に喧嘩を売るとは……命知らずだなこいつと神山は思いながら誰なのかと尋ねる。
「そやつは水戸景勝、恐らく今は17歳だったかな……現世で僕が3年前に、中学高校で剣道最強の学校、城戸広陵学園の剣道部だった奴だ」
もしも、この場に剣道、剣術にくわしい奴が居たならば『マジかよ』と一言捻り出せたかもしれない。しかし神山も長谷部も畑違い故、全く知らぬ、そうなんですかと意味を込めて、ふうん?と生返事をするのだった。
「で、その剣道最強の学園の奴が、なぜ河上さんに喧嘩ふっかけてたんですか?」
そんな剣道男子がなんでまた河上に喧嘩を売ったのかと神山が尋ねると、河上は淡々と、軽々しく吐かしたのである。
「そりゃまぁ復讐だろうよ、諸先輩達の。何せその3年前に僕が、城戸広陵学園の高等部の剣道部員全員と対峙して、全員に一本勝ちして看板貰ったからね?」
「は?」
「その日をもって廃部、高校最強と期待したのだが……俺には児戯でしかなかったよ、彼はその時の中等部、生き残りというわけだ」
嗚呼つまらぬ、そうも言いたげに河上は、肩をすくめると、バックドロップの状態だった水戸景勝は、やっと転がってゆらりと立ち上がった。
視線が定まらず、それでも河上をしかと睨みつける眼差しに、神山も長谷部もたじろいだ。何せ、右手に本身を握りしめたままである。下手をしたら斬られかねないと慎重にもなる。
「お、前は……あの時お前は、何をしたのか分かっているのか!俺の先輩達に何をしたか覚えているのか!」
余程の恨みがあるらしい、悲痛な叫びをあげる水戸に対して……河上静太郎は腕を組み、細目になり言った。
「無論、覚えているさ……鍛えた割には柔な奴らだったと、だから諦めさせてやったのだ、俺が居るから剣を捨てろとな……あ、コーチは首吊ったらしいな、無様に死んでいったと聞いたよ」
「お前は、お前はぁあ!」
臆面なく言い放つ河上に、水戸が構える。本当に河上は、一体何をしたのだと神山は目を向けた。その時だった、神山は見た。
河上静太郎の顔に……微かながら怒りを見たのだ。煽るような口ぶりの先に、何かを隠して、抱えている感じがした。そして……。
「水戸、まさかお前……何も知らんわけではなかろうな?」
「何をだ!!」
「俺がなぜ斯様な事をあの時したか、何故ここまでの仕打ちをしたか、全く知らないというのか?」
「知るか!現代最強を証明する為に、それで弄んだだけだろう!」
それを聞いた河上は、舌打ちをしてから組んだ腕を解き、言い放った。
「興が削がれたわ、神山、長谷部、帰るぞ」
そう言い放ち、河上はそのまま水戸の横を通り過ぎるのだった。