怒りと悲しみ
「ただいま」
「あいおつかれ、楽勝じゃん」
ベンチに戻った神山を、いの一番に迎える中井が手をあげてパンッとタッチを交わす。
「見事なカウンターだった」
「あざっす、町田さん」
町田は拳を突き出し、それに神山は拳を軽くぶつけて応えた。
「鮮やかなり、ようやった」
「うっす、河上さん」
河上は先程の苛立ちは消えたか、神山の方を軽く叩いた。
「……ざまぁみなさいな、ミラ……はぁ……皆、ありがとう、お疲れ様」
そして、TEAM PRIDEの雇用主マリスは気が晴れたと呟いて、皆に頭を下げた。そういえば賭けてたな、全財産をと皆思い出し、それは何処へ吹き飛んだままに戦っていた。
「いやぁ、うん……すんなり勝ちましたな、うん……というかマリスさん、全財産賭けましたけど、相手ももしかして?」
相手もあれだけ言ったのだ、全財産くらい賭けているのだろうなと、皆そう思っていた。が、マリスは首を横に振る。
「ううん、二つだけ賭けさせたの……」
なんと、マリスは全財産を賭けさせていなかった。二つだけを対価に指定したというのだ。
「え、二つ?金っすか、土地っすか?」
神山はこれに対して安直な答えを出した。
「命か?尊厳か?」
中井はミラが余程気に入らないらしい、スペツナズナイフを光らせ今にでも殺しに行きそうだった。
「二人とも違うだろう、手足だろうに」
悪ノリした河上が、両手足を斬り落とすに違いないと鍔を押し上げ刃を覗かせる。
「いい加減にしなさい」
町田は相変わらずかと、三人の悪ノリを止めるように叱責する。マリスは神山達を見て、何を賭けたのか話し始めた。
「一つは、あなた達に頭を下げる事……私、怒ってるから……今からこの場で裸にして土下座させる」
「「「「えっっ!?」」」」
マリスの口から『裸で土下座させる』という台詞が出てきて、一同は目を見開いた。中井真也がなんと当たってたのである。そんなマリスの目には、四人が慄くほど怒りの炎がうずまいていた。
中井も冗談混じりで答えたのだが、マジかよと神山や河上、町田に目線を向けると、マリスはすくりと立ち上がる。
「闘士への罵倒は貴族への罵倒であり、闘士の傷は貴族の傷なの……あの時から私は、ハラワタが煮え繰り返って仕方なかった、マナト達が馬鹿にされたのが悔しかった……絶対許さない、ニルギリ!ミラを連れてきなさい!!」
ステッキで地面を小突けば、ニルギリが主人の命を聞いて歩き出す、向かう先はムーラン・ルージュのベンチ。闘士は全員運ばれてしまい、ミラを守る闘士は居なかった。
「あ、あのーマリスさん……僕はその、気にして無いっすよ?」
神山は流石に、いくらなんでもこんな観衆の面前で裸土下座キメる女性なんて見たくないので、恐る恐るだが気にしてないからと言った。
「マナト、貴方だけの問題じゃないの、私の問題でもあるの、私が彼女を許さない、私が……満足してないの、だからさせるの」
こりゃいかん、もうこれは本気でさせる気だわと、町田に神山はどうにかならんかと目線を送ると、町田は咳込みながらマリスの背に問いかける。
「マリスさん、情けを……掛けてやってくれないかね、少なくとも私と神山は、気にしてはおらんから」
町田も、情けをかけてやってくれと進言するが、聞く耳を持たなかった。
「ダメよ、絶対……二人ともしっかり目にしておきなさい、命令よ?これが、代理決闘で負けるという意味なのだから」
それどころか、主人として命じられた。代理決闘における敗北が何を意味するのか、今後もしも……逆の立場になったらどうなるのか、それを目に焼き付けろと、初めてマリスは……マナト達に『命令』を下したのだった。
河上はもう何も言うまいと、腕を組みマリスの背中を見ている。その中で……。
「じゃ、俺、頭踏んでいいですか、マリスさん?」
中井真也だけは乗り気であった。中井だけは、マリスの横に歩いて並び立ち、ミラが連れて来られるのを待ったのだ。
観客も響めき出している中で、ニルギリが無表情ながらミラの腕を後ろに組み付して、闘技場の中心に運んできた。
「行くわよ」
本当に、させる気なのか?裸土下座……いや、あくまでふりだろう、冗談だろう、神山は顔を見せないマリスの背に追従する。
そして、闘技場となる石のリングの中心にて、ムーラン・ルージュを束ねる貴族ミラが、恨めしそうにしてマリスを、TEAM PRIDEの面々を睨みつけていた。
「代理決闘の賭けは絶対、それがシダト王国の代理決闘の決まり……ミラ、覚悟はいいかしら?」
「あ、あんた正気なの、私に……この場で裸になって、頭下げろって」
「この顔が、冗談を言う顔に見える?」
神山達からは、どんな表情をしているかは分からなかった。中井ですら、少し右を見ようだなどと想いもしなかった。
「馬鹿げてるわ」
「その馬鹿げた賭けに乗ったのは貴女よ」
「ねぇ、そんな事して楽しーー」
この瞬間だった、TEAM PRIDE一同が驚愕する事態が怒ったのである。マリスは地面を突いていたステッキを回し、振りかぶり、なんとミラの顔面を思い切り殴打したのである。
「あぁああ!?」
「なっ!?」
「えっ、ちょぉお!?」
倒れ伏すミラ、それに対して驚くは町田と神山。中井は静観を決め込み、河上に至っては振りがいいなとすら思ったのだった。
「な、あ、ちょっ……痛い、痛いい……」
「本当はねぇ、こうしてやりたかったの……お父様を殺して、闘士を掠め取った貴女を、貴女達を!私自身の手で!」
「わ、私じゃない!私じゃないわ!」
「じゃあ誰なのよ!」
蹲るミラに、マリスのステッキが叩きつけられる。土下座云々の前に、その一振り一振りが撲殺すら意識している程の力が込められているのが見て取れた。
「いいやぁあ、ああ、あぁあ!」
頭部を正確に何度も殴りつける、あれだけ自信満々な顔が腫れて、流血して、辺りに飛沫が飛び散る。
「答えなさい!答えなさいよ!誰がお父様を殺したのよ!誰が、誰がぁああ!!」
「マリスさんストップ!死ぬから!殺しちまう!」
「殺すのよ!離しなさいマナト!」
これはいくら何でもいかんと、いよいよ神山がマリスの脇に背後から腕を差し込み拘束した。裸土下座からなんで殺害に変わってしまったのか、理由はそう、このミラとやらが、マリスの父を殺したかも知れぬ疑惑があるらしい。
余程の恨みを抱えていても、仕方がない。肉親を殺した相手なのかもしれぬのだ。しかし……当の主人がこれでは真実を知る前に冤罪で殺すやも知れぬ。
「おい、お前」
聞き出すしかあるまい。中井真也は、這いつくばり、息を荒げて血を流すミラの髪の毛を掴んで自分に向かせた。
「いぁああ、痛い、痛いい」
「答えろ、はい、いいえだけだ、それ以外は許さん」
「い、痛い」
「折檻」
はいといいえ以外だったので、中井はミラの顔面を思い切り石畳に叩きつけた。
「あがぁああ、ああ」
叫びを上げて、顔面が血に染まるミラを再度引き上げ応答させる。
「返事はぁあ!?」
「かひ、は、はぃい」
マリスが神山に取り押さえられ、町田も流石にまずいとステッキを取り上げに行っている。ニルギリは……こいつは命令があるまで動かない気なのか、中井がミラを叩きつけても我関せずと主人を助けず、ただ立ち尽くすだけだった。
「マリスの父親を殺したのはお前か!」
「い、いいえ、いいえ!わらひは」
「誰が喋っていいっつったぁああ!はいかいいえだろうがぁああ!」
再び叩きつける、そして引き上げて再び中井は尋ねた。
「じゃあ何だ、計画か何かしたのか」
「あ、あい、ばぃい」
「関わったのか、首謀者は誰だ、言え!」
「あぁうう、ひ、ひべ、ひべさば……」
「姫……だと?」
簡単な質問の中で、中井は全容をしっかりと掴んだ。マリスの父親を殺したのは、ミラではないらしい。しかも、計画的な犯行と来た。その首謀者は……姫であると。
中井はミラの髪から手を離す、ミラは身体を震わせ痛みに呻いて蹲った。
「離しなさいってばぁあああ!」
「マリスさん一旦!一旦落ち着きましょう!痛い痛い痛い!わぁこの人凄い的確に踏んでくる!」
我を忘れたマリスを神山と町田は止めており、神山は何度もマリスに足を踏まれていた。
「マリスさん……ミラは、こいつは父親殺してないって、殺したのは、殺害計画したのは姫なんだとさ」
そう言ったはいいものの、まだマリスは暴れて聞く耳を持たず、中井はため息を吐いて暴れるマリスの、襟首を掴み、一気に引き絞った。
「あ、あうーー」
「うおぉ!?」
マリスの意識が離れた、中井はマリスの襟首を使って頸動脈を締め上げ落としたのである。両手締めという、柔道の絞め技であった。絞め落とされて力が抜けたマリスに、神山が慌てて支え、前に倒れそうになるのを中井が支えた。
「もう、戻ろう……客もドン引きしてるし」
一体何があったのか、何が起こったのか理解できない観客達を見回して、中井と神山がマリスを支え、闘技場を後にする。ただ一人、血の池に沈んだミラは、虚とした目で去りゆくTEAM PRIDEの背中を見て、何かしらを呟いて倒れ伏したのだった。