ゆき編 終章
「それから何年、何十年。何百年と、ユキちゃんは篠目の者たちと一緒に過ごしてきたのよ」
聡子は、まだお喋りも上手にできないくらいの息子に、優しい口調で話す。
「ほんとに、子煩悩でねえ……お義母さんが、圭ちゃんの子守りをしてくれて助かったわーとか言ってたけど、ほんとそうだわ。猫の頃から子供好きだったんでしょう?」
聡子は息子より少し目線を上げた。息子をあぐらに座らせているのは、式神のユキだ。
「そうみたいだな。うん、可愛い。圭介に似て地味顔になりそうだけど、可愛いな」
「そうなのよねー。なんか地味顔な家系みたいなのよねえ……」
「んなこともねえよ。目付きの悪いのとかもいたぞ」
「それもちょっとねえ……」
ユキは靖成の顔をのぞきこむ。
「計算が合ってたら、靖成の子供が、俺の待ってるあの人の生まれ変わりになるんだな。おい、早く立派な陰陽師になって自立しろよ、そんで良い人見つけて結婚しろ」
聡子はわざとらしく渋い顔をする。
「ユキちゃん、それはさすがに気が早すぎるんじゃないの?」
「そうか?」
靖成は、ユキに高い高いをされて嬉しそうに声をあげている。
聡子はわざと、何気ない風を装い、常々気になっていたことをユキに問うた。
「……生まれ変わりの人に会えたら、ユキちゃんはどうなるのかしら……結局はまた、別れが待ってるってことでしょ?」
聡子が篠目家に伝えられるユキの「待ち人」の話を聞いたのは、靖成が産まれて少し経ってからであった。
その頃にはもう、ユキの愛情は真っ直ぐ子供本人に向けられているとわかっていたが、それゆえにまた、ユキが再度背負うかもしれない悲しみを憂慮していたのだ。
その悲しみの一端である跡取り息子を自分が産んだという事実も、嫁いだ身として以上の苦悩を生んだ。
「もしくはユキちゃんが……本懐を果たしたら消えてしまう可能性は、ある……?」
「どうだろうな」
ユキは聡子の質問に対し、顎に手をやり考える。
「俺にはもともと祀られていた本体がある。さすがに五百年これで過ごしてきたのに、いまさら『はいさよなら』って突然消えるとも思えねーんだけど」
「五百年、よねえ」
「化け猫時代から合わせると千年超すけどな」
ユキは笑う。
「体を……姿を変えて、人の世を人間以外のものとして過ごして、何十人の人生を見送ってきても、俺はずっと俺のままだ。短い人間の寿命とは相容れない。ただ……」
「ただ?」
「あの人と、酒を酌み交わしたことがなかったな……と思ってさ」
十五で命を喪ったゆきと酒を飲みたかった、というのを、ユキはただ中年の愚痴として呆れて聞いていたのだが、形だけでも果たしたことはなかったのだ。
「ユキちゃん、お酒飲めたっけ?」
「いや。飲むっていうか、供えられたら吸収はするかもしれねえけど」
「じゃあ、どうするの?」
ははは、とユキは笑う。
「ふりでもいいんだ。平和な時代でのんびり過ごす……ただそれだけをやってみたいかなあ、と思ってさ。そのあとはまあ、なるようにしかならねーんじゃねえの?」
聡子も笑った。
「その、鷹揚なところはユキちゃんらしいわねえ」
「そうか? 昔から言われるんだけど、これはゆきの性格らしいぞ」
ううん、と聡子は首をふる。
「私たちは、今こうして喋ってるユキちゃんしか知らないもの。あーあ……」
聡子は息子に手を伸ばした。
「なんにも知らないで無邪気に笑ってるわ、この子。でもほんと地味顔ね……これでちゃんと結婚できるのかしら……」
「圭介は地味顔でもモテてたぞ」
「そこは不思議なのよねえ、でもこの子は全体的にのんびりしてるし、寝起きも悪いし」
「篠目家の男子は一代おきに、必ず寝起きの悪いのが生まれてるからなあ……大人になっても直んねーぞ、これ。そう言えばじいさんの母親も、だいぶ苦労してたなあ……軍隊で寝坊したらどうしようって」
ため息をつく母親と、苦笑するユキを交互にみながら、靖成は笑う。
「うん、かわいいなあ」
ユキは愛情をこめて、靖成の頭を撫でた。そうしてふと、自分の手を見つめる。
「さっちゃん」
「なに?」
「俺は、こうして靖成を抱っこしたり撫でたりできるだけでも、この姿になって良かったと思ってるよ」
それを聞き、聡子は泣き笑いの顔になった。
「ほんとに……ユキちゃんは人間ができてるわねえ……」
「いや、俺は式神だってーの」
ははは、と夕方のマンションの一室に、笑い声が響く。他人からは母親が幼児をあやしてるだけにしか見えないこの光景は、ユキにとってはかけがえのない、幸せなものなのだ。空には、うっすら月が見え始めており、それを指さす靖成に、ユキは優しく話す。
「月からしたら、俺が待ってた五百年なんてあっという間だろうな」
靖成は返事の代わりに大あくびをした。
「あらやだ。今から寝たら夜眠らなくなりそう。ユキちゃんが寝かしつけてもなかなか寝ない時があるでしょ?」
「確かになあ……ここまで手のかかるのは、そんなにいなかったぞ。おい、靖成。早く自立しろ。さっちゃんにいつまでも手間かけさせんなよ」
そこで聡子が「手に負えなくなったらユキちゃんにお任せするわよ」と言い、ユキが『えー』と眉をひそめ、靖成の頬をつつきながら更に言う。
「まあ……それもありかもしれねーな。一緒に暮らす相手がいるってのは、楽しいもんだ。嫁さんなら、なお良しだけどさ。うん、できたら朝きちんと起こしてくれる人が良いぞ」
そうそう、と聡子も同意する。
きょとんとする靖成をあやしながら、ユキはもう一度月を見上げ笑った。
了
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