ユキと吉定のはなし ⑦
「おきろ───っ!」
寺の一室に、ユキの声が響く。
といっても、篠目家以外のものにはその声は聞こえない。
「うーん……ユキ、もうちょっと寝かせてよお……」
もぞもぞと動く寝具からは、子供が眠そうな声で返事をしており、ユキは腕組みをしてそれを見下ろしていた。
「駄目だ。今日から草太と一緒に修行するんだろ。何事も最初が肝心なんだからなあ、ほら、さっさと起きて支度しろ」
「えー……父上は徐々にって言ってたのに……」
「草太は優しいからなあ……しかしだ、七歳にもなれば、もう病気もしなくなる。ここで甘えず修行に励むことで、より強い男として生きていけるってもんだぞ」
「えええええ……」
やり取りが聞こえたのか、部屋に人影が入って来た。やや大柄は女性は三十過ぎ、細い目元が落ち着きを感じさせる。
「おや、寅吉。まだ起きていないの。早くしないと朝餉を下げますよ」
「母上ぇ……」
物資の少なくなってきた中で、寺の畑でとれた野菜で用意された食事を無駄にするわけにはいかず、寅吉はしぶしぶ体を起こした。
草太は、願然和尚の寺にそのまま残り、時折陰陽師の仕事をしつつ、町人のふりをしながら暮らしている。寅吉は草太とせつの間に生まれた一人息子だ。
せつは檀家の娘で、法事の手伝いをしていた草太に惚れて、人を介して縁組みをしてもらった。草太も働き者のせつに最初から好印象を抱いていたが、何分陰陽師ということをどう伝えるか悩んでいた。
結局、意を決して打ち明けたところ、「陰陽師と言っても、別に普通の人と何も変わらないでしょう」とあっさり言われて簡単な祝言を挙げたわけだが、草太が自ら祝詞を上げて晴れて夫婦となった瞬間、せつの眼前に現れたのは、ユキだった。
せつはまず、たいそうな美少年に驚き、つぎにその額に生えた角に驚き、せつがユキを見えることに驚く草太に驚いた。「篠目家のものにしかユキは見えんから、せつは式神にも認められた篠目家の一員っちゅうことやな」とは、加津の言葉である。
だがそれから寅吉がうまれ、こちらはおぼろげに物が見える頃にはユキの姿を見て笑うようになり、一同驚きつつも感心し、ユキと篠目家の関係に納得したのであった。
そんなわけで、寅吉にとっては式神のユキがいることは至極当たりまえなのだが、他の人には見えない旨を理解させるにはなかなか苦労した、というのは余談であるが。
「ねえ、修行ってなにするの?」
寝ぼけ眼をこすりながらも、ぱくぱくと寅吉は朝餉を食べる。
「そうだなあ……小さな式神でも使ってみるか」
穏やかな口調で答えるのは草太だ。自分自身も幼い頃からもののけが見えて苦労したが、修行嫌いだったので子供にたいしてもそれほど熱心でもない。
「草太さん」
そんなのんびりした夫に、せつはやや厳しい口調で言う。
「これからの世は、弱いものは生き残れるか危ういものです。寅吉のためにもきちんと教えてやってくださいね」
「うーん……」
草太の返事は煮え切らない。
「そもそも、亡くなられたお父上は、この家の子孫として生まれ変わるというではありませんか。それまで、この戦が多いなかでもうまく立ち回り、無事生き残れるよう育てるのが、跡取りの役目なのでは」
せつは真面目に熱弁する。勿論寅吉に対しては親として愛情があるが、嫁いできたものの責任も感じていたようであった。答えあぐねている草太にかわり、寅吉が口を開いた。
「ユキは、ずっとこの家にいるの?」
うん、とユキは頷く。
「どうして? お祖父様の生まれ変わりに会いたいから?」
七つともなれば、道理はわかっている。半分は無邪気に、半分は疑問として、そしてほんの少し試すように寅吉はユキに聞いた。ユキは、子供の突然の質問にやや緊張している草太をちらと見ると、笑顔で寅吉に向き直る。
「会いたいのは本当だ。けど俺は、寅吉も草太もせつも、みんな大好きだからな。みんなと過ごすのが楽しいから、この家にいるんだ」
その笑顔から本心とわかった寅吉は、頬を緩めて安堵の息を吐いた。




