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うつしみひとよ  作者: ロジーヌ
ゆき編(4)
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ユキと吉定のはなし ⑥

 翌日は曇りだった。雨上がりでぬかるんだ山道は、歩兵の足と気力を鈍らせ、次郎や供が乗る馬も、思うように脚を出せず疲れがたまっているようだった。


「なあ……もう少しゆっくり帰っても良いんじゃねえの?」

 ユキは吉定の近くに浮遊しながら、あたりを見回す。木々に囲まれ湿気がたまっている上に、気温は高い。体に熱気がこもっていくのをいくらか楽にしようと、一行は口で呼吸をしながら懸命に足を動かしている。

「……俺もそう思うが……なにぶん次郎様の判断でもあるからな……」

 馬上の吉定も表情に疲れを滲ませているが、少し離れたところにいる次郎はそんなことをおくびにも出さない。

「しかたねえな。さっさと帰るか」

 ユキはそう言うと、頭上高く舞い上がり、木立を抜けていく。天候と、周囲に敵がいないか見るためだ。

 遠くに雨雲を確認したユキは、距離と時間をはかり、吉定のもとへ帰る。頭上高くから、おおい、と声を掛けようとしたとき、ユキは木の影に動くものを見つけた。


 野犬か、大人の狐か。そう思ったとき、その影が素早く手を動かした。昼前だが、薄曇りの天気。そして木立の中でそれは人々の目から巧妙に隠れて、そのまま矢をつがえた。

「……吉定‼︎」

 ユキが叫んだ。だがその声より一瞬早く、吉定は馬の腹を蹴り次郎の前に出ていた。矢はそのまま真っ直ぐ飛び、吉定の喉元を斜めに射た。


 どう、と大きな音をたてて吉定は落馬する。悲鳴は次郎の近くにいた歩兵からあがり、伝播していくとともに、何名かは狼狽して列から離れ林のなかに逃げこんでいった。

 次郎は動揺し、馬から降りると震える手を吉定に添え、血にまみれた上半身を仰向けにし、ひきつけたような声で懸命に吉定の名を呼んだ。

「よ……だ……どの……」

 ユキは呆然としたまま、中空よりそれを見る。吉定の喉はひゅうひゅうと息をもらし、すでに何も喋れない。


「吉定……」

 かろうじて声を出したユキを、吉定はうつろな目で探した。まだ命が消えていないその目を見て我に返った次郎は、周囲のものに毅然と命令する。追え! という言葉により一行があわただしく動き出した時、突如現れた雨雲がその動きを封じた。雷雨は木立の中で霧のように視界を遮り、先ほど矢をつがえた小柄な影の存在を無くしていく。


『……ユキ……ありがとうな……』

 声にならない言葉を受け取り、ユキは首を横に振る。その手には護符が握られていた。雷雲を操る式神の降らせた雨はあたり一面を水浸しにし、曲者を追いかけていく歩兵も馬も、ぬかるみに足を取られて転んだりと、それほどの時間もかからずに一行の士気を欠くには充分であった。

 その場に残された吉定は、空を見上げる。ユキもその視線を追うが、雨雲がおおう昼間の空には、何も見えない。

(流れ星は)

 吉定の言葉がユキに聞こえてくる。元々もののけであるユキの頭の中に直接聞こえるのは、この世のものでないものの念。すでに吉定の魂は肉体より離れかけているのだ。

(流れ星は、俺を射る矢だったんやなあ)

 自分の運命を司どる星を見た吉定は、そこに流れ星が刺さるように流れていくのを見たのだ。

「なんで……」

 ユキは嗚咽しながら言葉を絞り出した。

「なんで俺に言わねーんだよ……そうしたら、守ってやれたかもしれねえのに……」

 吉定はかすかに笑った。

(それは、天命に背くということやからな。残念ながら抗えん)

 大粒の涙をぼろぼろ流しながら、ユキはじっと吉定を見た。

「俺を……お前に復活させられた俺を、一人にするのかよ……」

(すまん)

「謝られてもなあ……だいたい勝手なんだ。ゆきの体に無理矢理ねじこんでさあ……」

(……ああ……すまんな)

 だが、と吉定は優しい笑みをユキに向けた。

(そのおかげで、ユキとも会えた。短い間だったが、楽しい日々であったな……)

 ぐいっ、とユキは羽織の袖で涙を拭い、それを見て吉定はからかうように笑う。

 (自分の出自を知った時すら、泣かなかったのになあ)

「うるせえ……」

 ユキも泣きながら笑う。

 次郎はずっと泥と血にまみれた吉定を抱き抱えているが、ユキが吉定と会話しているであろうことを慮り、何も言わず場を見守っている。


 矢を射った者にはすでに追い付けないくらいの時間が経った頃、雨雲はようやく晴れた。

「吉定殿……あなたは敵を逃すために雨雲を……」

 次郎は悲痛な顔で吉定を見ている。吉定はかろうじて視線を次郎と、そしてユキへ向けた。

「……吉定、お前に矢を射った子供は逃げたぞ」

 吉定はホッとし、目を瞑った。吉定を乗せていた馬は、ぬかるみの林道を抜けて、そのままどこかへ行ってしまったようだ。子供が乗っていったのかもしれず、逃走の助けになればという吉定の考えを読んでいたユキは、呆れたように言う。

「ほんとにお人好しだな……」

(子供に罪はない……あるのは、そう行動するよう駆り立てた大人の罪だ)

 ユキは、吉定をじっと見た。

(どちらにしろ、俺はこうなるよう定められていたのだ……すべては星の……天の定める通りに……)

 吉定はかろうじて意識を保ちながら、自らの星回りを思い浮かべ、空に問う。かすかに指を動かしなにか思案したあと、ユキに伝えた。


「二十代目……?」

 吉定は『そうだ』と答える。

「……二十代あとの子孫、っことか? 五百年以上先じゃねえか」

 ユキは涙をこらえ、吉定に問いながら自分でも計算をする。

(星の巡りは、俺がそのときに、子孫の体を借りて生まれ変わりとしてユキの前に姿を現すことになると告げている……)

「生まれ変わり……」

(また、現世で会えるかもしれんな……ユキがもし……待っていてくれるのなら……)

 吉定の念はすでに霞のようだ。だがユキは最後の願いを聞き漏らさんと、吉定の冷たい指先を握る。

「冷たい……」

 ユキはひとりごちる。

「俺は暑さや寒さは感じないが、吉定の体がもう亡骸となって、冷たいのはわかるんだ」

 ユキの目から、再び涙がこぼれ落ちた。

「ずるいな……俺を復活させておいて、今度は置いてきぼりにしちまう。寂しいから呼んだんだろ? なのに俺が寂しくなるのは、いいのかよ……」

 次郎が、吉定の命が消えたのを確認して嗚咽をもらした。

「昔から、ずっと吉定の祖先を見送ってきたんだ。どれだけ経っても、置いていかれるのは慣れねえのに……」


 ユキは、すでに矢の抜かれた吉定の首にそっと手をあてる。ほんの数刻前までは呼吸をし、脈を打っていたのだ。もう反応のない冷たい肌から、ユキは手を離した。懐から護符を取りだし、式神を放つ。

「……お願いします……」

 鳥の形をした式神は西へ飛び立った。次郎の一行が屋敷へ着くよりもはやく、鳥は半日も経たずに加津と草太のもとへ着いた。知らせを受けた草太から寄越された返事は、星のさだめを読みすでに父親の死を覚悟していたというものだった。


 吉定の体は加津達の到着を待たずに、願然和尚らによって荼毘に付されたが、加津は泣きはらした顔を隠さずに、気丈というよりは本心から「苦しんでいた顔を見ずに済んだ」と言っていた。

「加津も草太も……強いな……」

 墓前でユキがそう言うと、加津は力無く笑う。

「強いわけやないよ。もともと死と近い場所を常に生きてきた家系に嫁いだんやから、いつ何が起こっても天命と思うよう、あの人からは言われてたんやし」

 加津はふう、とため息をついた。

「寂しいって気持ちは、残された人の後悔から生まれるんや。私はあの人といるとき、次は会えへんかもなあと思いながら過ごしてたから、普通の人よりは気丈に見えるんやろな」

 それでも、と加津は苦笑して続ける。

「寂しいもんは、寂しい……」

 草太も頷く。

 その横顔は母親に似ているが、きりりとした目元は父親を思い起こさせた。


「……あ」

 ユキは吉定の言葉を思いだし、加津と草太に伝える。五、六百年ものちに子孫の体を借りて生まれ変わるという話を聞き、最初は驚いた二人だったが、草太は空を見て一呼吸おいてうなずいた。

「ほんまか嘘か……けれども、それが父上の読みであれ、願いであれ、信じない理由は私にはない」

 加津も同意する。

「うちらは勿論あと何百年なんて生きるわけはない……あの人の気持ちは、ユキだけに背負わせてしまうわけやけど……」

 強要したくないという、加津たちの気持ちを読みとったユキは、からからと笑った。

「背負うって……んな大袈裟なこと言うなよ。俺は、篠目家の式神なんだ。血筋が途絶えない限りは、嫌がられても憑いていくけどな?」

「そう……か」

 草太は笑った。ああ、とユキは答え、自分のからだを見た。

「言ったろ? せっかく吉定とゆきからこの姿をもらったんだ。これからも二人分働くからよ、よろしくな」

 加津も草太も、笑顔で頷いた。



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