ユキと吉定のはなし ③
「とにかく、狐はすでにもののけであろう。悪さをしようとする者はどちらにしろ放っておけぬ」
吉定が懐から護符をだすと、ユキはそれを受け取り、ふぅっと息を吹き掛けた。
「お願いします……」
護符はかすかに動き、その表面から四つ足の動物を浮かび上がらせた。恰幅のよいそれは、狸だ。
「まあ、うまい具合に剥がしてやってくれ」
狸は吉定の言葉に答えるように首を回すと、野武士に向かっていく。式神の見えない野武士は、急に暗くなった空を見上げおろおろしているが、その無防備な口の中に狸は無理矢理飛び込んだ。
「強引だな」
「持ち物に痕跡がないってことは、体内に何か残したのかと思うからな。ちょっと大きさは考えてなかったが……まあ大丈夫であろう」
大口を開けてもがき苦しむ野武士を見ながら、吉定とユキが立っている脇で、和尚たちは申し訳程度に念仏を唱えている。
それほど経たないうちに、野武士がひどく咳き込み、なにかを吐き出すと同時に、手足を地面につき四つばいになった。
「出たな」
ユキが見るほうには、人のように二本足で立つ狐が真っ赤な着物の裾を翻してふわふわと飛んでいる。しかし着物は破れ、毛並みも乱れておりなんとも不憫だ。和尚らも、もののけは見えるので「ああ……」と同情するようにため息をついた。
「おう、中に入ってどうするつもりだったんだよ。自分で化けて他のやつをたぶらかすほうが、よっぽど良いんじゃねえの?」
ユキの問いかけに、狐はひとのように着物の裾を直しながら、不服そうに言う。
「だって……好みだったんだよ。ちょっと声かけて尻尾で顔を撫でたら、鎌で切りかかってくるなんてあんまりさ! 悔しいけど、まだ諦められないから枕元で気持ちをささやいてただけなのに」
「ああ……なるほど」
どうやら本当にたぶらかすつもりだったらしい。それを吉定から伝えられた野武士も、不思議そうな顔をしている。
「そうは言っても、狐と人間とではうまくやっていけるものではない。ここは引いて、山に帰るのが良かろう」
「いや」
「なら退治するぜ」
「いやー!」
逃げようとする狐をユキが追いかけるが、一歩はやく狐の尾をつかんだのは野武士であった。
「ん?」
ユキは野武士を見た。彼は先ほどまで怯えていたとは思えぬほど、きりりとした表情をしている。そして、ぼろぼろの狐の頭を撫で、毛並みを整えてやっている。狐は二本足のまま、人間の女に姿を変えた。
「おお……そうだ、そなただ。近くで見るとなおのこと美人だな……」
ぽっと、狐女が頬を染めた。恥じらいながらも尾は喜びを隠せておらず、それを見ている吉定や和尚たちは、口をあんぐりと開けた。
「……な? なんだ……? それは狐が化けたおなごぞ?」
吉定の言葉を引き取ったのは、ユキだ。
「別に良いんじゃねえの? 異種間の婚姻なんてそれこそ昔からあるし」
「いや……人間ともののけだが?」
「固いこと言うなよ。もともと化けられるやつらは人の格好して騙したまま、さらっと子供産んだりしてんだぜ。正体が最初からわかってるなら、あとから揉めることもねえしな」
ユキの言葉どおり、野武士は狐が振る尻尾を愛しそうに撫でている。
絶対に揉めないかどうかは不明だが、少なくとも今ふたりには種の違いは既に問題ではないようだ。もともと野武士に転落していた若者は身寄りもないのだろう。連れ合いが出来、真っ当に暮らすすべを考えたなら、追い剥ぎなどの悪さもしなくなるかもしれない。吉定は和尚に目配せをした。
「……では、この件は丸く収まったということで、宜しいかな」
苦笑しながら頷く和尚の隣で、広孝がためらいがちに口を開いた。
「祈祷料は……」
そうなのである。実際に悪し事は解消されたとはいえ、狐は祓われたわけでなく、祈祷はしたことになるのかと広孝は吉定をじっと見ている。寺の修復に充てられるなら、はした金でも欲しいのだ。
「うーん……そうだなあ。そもそも野武士に払える金はあったのか謎だけどな? 誰かから巻き上げた金貰っても後味悪いし」
吉定がユキの言葉を伝えると、野武士は気まずそうに顔を逸らした。
「やっぱりなあ」とユキは思案し、二人の世界に浸る狐の尻尾を掴んだ。
「なにすんのさ」
「それはこっちの台詞だぜ。そっちの野武士、陰陽師をただで働かせようっていう不届きな考えだったようだな。夫婦になったお前も連帯責任だ。ちょっと働いて返してもらうぞ」
ユキはそう言うと、尾を掴んだ際に抜いた毛を数本、護符に包んだ。
「あっ……それ」
「預り金だ。なんかあったら呼ぶから、式神としてきっちり働けよ。賃金は祈祷料として相殺だ」
「ええー、なにそれ?」
「この場で祓わないだけ有り難く思え」
しぶしぶ了承した狐は、まだ夢見心地な表情をしている野武士と一緒に、街道がある山のほうへ帰っていった。
「さて、屋敷に帰るとすっか」
ユキは護符を懐にしまうと、吉定を手招きした。
「……あのな……さっきの……またやるのか?」
吉定は胸の前で手のひらを合わせる。
「境界を繋ぐ術というのは、便利だが体に負担などはかからんものかのう……」
「迷子にならなきゃ大丈夫だろ。人間ももののけも知らねーうちにどこかの狭間に迷いこんだりしてるからな。しっかり掴んどけよ」
ユキは和尚と広孝に「またな」と手を挙げ、吉定が挨拶し終わった瞬間に巻物を合わせて空間を繋いだ。
「うっ……うおおおっ……!」
吉定な珍妙な叫びは瓢箪にでも吸い込まれるように一瞬で消え、残された和尚と広孝は顔を見合わせた。
「いやはや……あんな活発な守り神では、吉定様くらいの術者でないと体がいくつあっても持ちませんねえ」
広孝の感心とも呆れともとれる言葉に、和尚も笑いながら頷く。
「まあ、こう言ってはなんだが、とても楽しそうであるから良いのではないか。ユキも、おそらくゆきも、な」
それを聞いて、はい、と広孝も笑った。




