ユキと吉定のはなし ②
世の中は次第に混乱してきた。地方の武士でも力を付けてきたものが、次々と強い者を倒していく。吉定は昔の書物でしか知らない話を目の当たりにし、どうしようもなく虚しい気持ちになることがある。
朝餉を食べながら、吉定はユキに話しかけた。
「なあ、ユキよ。お前は何百年も前の世の中を知ってるだろう。今の世はこれからどうなると思う?」
吉定はぼうっと遠くの山を眺めながらユキに問うた。
「知らねーよ。それに、どう転んでも人の寿命ってのは決まってんだ。人間はそんな長く生きないだろ。寺だって、吉定が生きてる間に完全に元通りになるとは思えねえし」
「そうだな、あれは時間がかかる……」
うんうん、とユキは頷く。
「火をつけたのは、お屋敷のものだったよな。寺に子供を集めて武芸を仕込んで、一揆を企てようとしてる、って」
「ゆきは屋敷に出入りを許されているが、どこぞの豪族の内偵かもしれぬ、いつ襲撃されてもおかしくない、とか言ってたな」
吉定は、純粋に目を輝かせて剣術を教わっていた子供らの顔を思い出す。
「混乱の世でも、貧困が蔓延っても、寺は変わらずそこにある。胡乱な話も立てられやすいのだろう」
はあ、とユキは溜め息をつく。
「そもそも、寺は何百年も続いてんだ。金があるときもないときも、誰が領主だろうと、寺や山は変わってないんだけどな。変わるのは、周りのやつらだよ」
うむ、と吉定も同意する。
「和尚がよく言っていたな。寺は権力者と結びつきやすいから、攻撃の対象にもなると」
「そこは、ほんと仕方ねえよ。なまぐさ坊主はどっちにしろ地獄に落ちてくんだろうけどさ」
吉定は、ユキを見た。
「俺は……どうだろうか。戦地でも、直接手は下さず式神の力を借りて生き延びるのが、小狡いのではないかと思うのだ」
「また言ってんのか、それ」
はあ、とユキは溜め息をつき、宙であぐらをかいた。
「人間、生きてなんぼだ。そう思ったから、吉定も俺を使ってゆきを生き返らせようとしたんだろ?」
「……ううむ。あれはしかし俺の私欲で……」
「それで良いんだよ、人間は。欲が無ければ、生きる意味を見失うだろ。食べたい、飲みたい、戦いたい、それに」
ユキはためらいなく一気に言う。
「誰かに会いたい、ってな」
吉定はユキを見た。愛弟子と同じ顔の式神は、何百年も篠目家を見守ってきた。眠りにつく前は何人も見送ってきたはずで、寂しくはないのかと吉定は思った。
「……ユキ」
なんだ? とユキが首を傾げる。その顔は十五のゆきであり、ユキの快活な性格が表情に現れている。
「いや、なんでも……」
言葉を濁した吉定に、ゆきは溜め息をついた。
「なんだよ、辛気くさい顔されると、こっちまで滅入るぜ。そういや和尚から仕事受けてんだろ? 次郎の用事がないうちに、さっさと片付けるぞ、ほら」
ユキは吉定を引っ張り立たせると、袂から巻物を出し、そこに筆を走らせた。するすると書かれたのは、道である。
「境界を繋ぐからな。ちょっと酔うかもしんねーけど、まあ我慢しろ」
「……はあ? いつの間にそんな技を?」
「ええとな、これは川で河童を退治したときに、見逃す代わりに教えてもらったんだ。猫の姿んときは筆が持てなくて出来なかったけどな」
「河童……」
「川の境界をうまく繋いであちこち行き来してるやつでさあ、そんときも、まんまと逃げようとしたところを、俺が皿を引っ掻いて阻止したんだ。知ってるか? 皿って意外と柔らかいんだぜ」
「いや……特に知りたくもないな……」
苦笑いする吉定に、ゆきは自分の袖を掴むよう言う。軽くつまんだ吉定に、ゆきは「もっとしっかり掴まねーと、振り落とすぞ」と言い、巻物を翻した。
「いくぜー!」
ぱたん! とゆきが巻物を二つに折る。すると吉定の視界は黒く、もやがかかったようになった。
「ぐえっ……」
勢いよく体を回されたのか、はたまた揺さぶられたか。ともかく激しい渦に一瞬巻き込まれたと感じた直後、ゆきと吉定は見慣れた寺の裏山にいた。
「お……お、おお……吉定さん?」
和尚と弟子の広孝は、突然現れた吉定に驚いているが、本人は激しい船酔いに遭ったかのように顔面蒼白だ。うずくまる吉定の頭上を浮遊するユキは、「そのうち慣れっからよ」などと言っている。
やっとのことで起き上がった吉定は、和尚たちにユキの仕業という旨を説明すると、少し離れたところの木を見た。後ろ手に縛られている男は、幽霊か妖怪のように出現した吉定を見て、がたがたと震えている。
「依頼は、あの野武士ですか」
和尚は頷く。
「街道から外れた山道で、商人を狙っていたらしいんですな。追い剥ぎだけで命までは取らなかったそうですが、たまたま揉みあいになり殺してしまったそうで、林道の端に埋めたのに夜な夜な枕元に立つから祓ってほしいと」
「……それはまた」
吉定はあらためて野武士を見た。体格は普通、無造作に束ねた髪と伸びた髭を整えれば、実直な農民だったことが窺える。
「戦のほうが稼げるからか。そのあと稼ぎがなくなら野武士に転落したか」
野武士は答えず、というよりは歯の音が合わず声が出せない。
「どっちにしろ、自分が命を奪った商人が化けて出るって……そんなん自業自得じゃねえか」
ユキは袂から護符を取り出しながら呆れたように言う。
「殺す……つもりは……」
がたがたと合わない歯の間から、やっと野武士は声を絞り出した。ユキの声は聞こえないので、返事ではなく独り言のようだ。
「いつもは……怖がってみんな逃げていくんだ……それなのに……」
「それはお前の勝手な言い分だろ」
ユキはそう言い、吉定に目配せする。吉定は広孝に、野武士の荷物はないのか聞いた。
「荷物は全部広げてみました。盗ったもののなかに、商人のものらしきものは、ありません」
ふうん、とユキは言い、野武士の背後に回る。
「もののけの気配がするな」
くんくんと鼻を鳴らすユキの隣に、どれ、と吉定も近づいていく。
「ああ……確かに。これは獣の妖怪か?」
「だな。狐かなんかだろ。どっちも自業自得だなこりゃ。どうせこっちのやつも女に化けてなんか盗ろうとしたんだろうよ」
「……だそうだ」
吉定が伝えると、野武士はさらに動揺した。
「だっ、だってな? 山ん中に女が一人でいて、にっこり笑うんだぞ? ついふらふらっと近寄ったら急に首になんか巻き付けてきて」
「そりゃ尻尾だ。ふわふわしてたろ?」
ユキが呆れて言う。
「そ、そう……ふわふわしてて……そのまま首をしめてきたから、思わず鎌で切りつけちまって……そしたら悲鳴は聞こえたけど姿が消えて……」
身ぶり手振りで説明する野武士を見ながら、聞いている和尚と広孝も、どっちもどっちですねえ、とうなずいている。




