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うつしみひとよ  作者: ロジーヌ
ゆき編(4)
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ユキと吉定のはなし①

「おきろ──っ!」


長屋の朝に、威勢の良い声が響く。しかし式神のユキの声は吉定以外には聞こえない。

「おや、まだ寝てるんですか」

 のんびりとした口調で戸をくぐってきたのは、寺の兄弟子である広考だ。昨年修行から戻ってきて、住職である願然和尚とともに焼け残った寺を修復しながら、知り合いの寺で働いている。やや肉付きがよく、体格どおりに性格も温厚だ。


「ユキ? おはよう」

 見えないながらも挨拶をするのは、寺にいたゆきと一緒に過ごした名残だろう。自分が寺を空けていた間に、ゆきが命を落としたことを聞いたときは時間が止まったように呆然としていたが、ユキのことを聞けば安堵したように笑顔になった。

「見えないのは残念だねえ」

 おっとりとした口調に「そうですなあ……」と吉定は答える。

「こちらは見えるばかりか、蹴りも受けられるので……老体には堪えます」

「ならさっさと起きろよ。それに、年寄りは朝が早くなるっていうのは定石じゃねえのかよ。いい年なんだから自分で起きろ、ほら」

 容赦なく蹴りをいれるユキだが、体格の良い吉定にはそこまで効いておらず、うなり声をあげてまた布団に潜ってしまった。

「ったく世話ねぇな!」

 吉定の様子に、ユキも広考も呆れ顔だ。

「私はそろそろ出勤ですので、また……。吉定どのは、お屋敷ですか?」

「……そうですな。次郎様に呼ばれてますんで……」

「わかってんなら起きろってーの!」


 吉定は広考を見送りながら、観念して体を起こした。ユキとの生活は、すでに五年だ。次郎は二十歳で、見た目も立派になった。そろそろ嫁を、という年頃であり、それは同い年の草太とゆきも同じである。

「ゆきも、生きていたら二十歳か……しかしユキは十五のまま、変わらんな」

「式神になったときのゆきの姿なんだから、当たり前だろ」

「まあそうだが……」

 大きな目と、愛嬌のある鼻。少しあひるを思い出させるような口元をしたユキは、女顔というのもあり、長髪がよく似合う美少年だ。活発なユキの本性は表情に現れており、生前のゆきとは雰囲気は異なる。

 だが吉定への接し方や考え方に関しては、ユキとゆきはよく似ており、吉定も寂しく思う間もそれほどなく式神ユキとの生活を楽しんでいた。



 春の屋敷は、敷地内の木々が輝き心地よい。だが次郎に呼ばれたというのは、また戦があることを示しているので、吉定は少し気が重い。

「浮かない顔だな。この前はちょっと危なかったからな。だからいざとなったら式神出しときゃ良いのによ、律儀に剣で戦おうとするからなあ」

 ユキはふよふよと、歩く吉定のななめ中空を浮遊している。

「ユキ、俺は式神で歩兵とやりあうのは好きじゃないんだ。不公平ではないか」

「んなこと言ってもな。死んだら終わりだろ」

 それはそうだが……と、しかめ面をしながらぶつぶつ呟き歩く吉定に、すれ違う人はたまにぎょっとして距離を空けていく。

 ユキは一部の人以外には見えないのだ。

「その……さ、悪人顔をどうにかしろ。人はな、見た目の印象が大事なんだろ?」

「人に見えないお前がなにを……いやしかし、それを言うならゆきは見た目が良いので随分と徳をしていたなあ……まあ俺は弁慶だから仕方ない……」

 さらにぶつぶつ言う吉定に、ユキは肩をすくめた。そうしているうちに屋敷へ到着し、門番へ取り次いでもらい中へ入ると、女中と会った。

「あら、こんにちは」

 にこりと笑う様子は、以前よりも落ち着いている。

「お寺はまだ、直んないわね」

「しばらくかかるのは仕方ないな……しかしそなたがいてくれたので、被害は少なく済んだのだからな」


 火事のあと数日たち、寺にやってきた女中に、吉定はゆきのことをなかなか伝えられずにいた。

 加津も事実を言えず、ゆきは怪我をしたため療養で自分の実家に連れていったのだと話したとき、ユキが言った。

「ありがとう、って言ってるぞ。その女が子供を連れてくれて良かったってさ。神様も自分も無事だから、と」

 それは紛れもなくゆきの記憶であり、気持ちであった。吉定がそのまま話すと女中は安堵し、宜しく伝えてほしいと去っていったのだ。

 女中が屋敷で働く従者と良い仲になり、ころあいを見て夫婦になるらしい、というのをユキから聞いたときは、吉定も嬉しく思ったものだ。しばらくしたら、夫婦となる男性とともに屋敷から去るだろう。ならば尚更、ゆきのことを伝える必要もない、と、吉定はほっとしたのである。


 女中は会釈をすると、奥へと歩いていき、吉定は次郎が待つ座敷へ向かった。

 次郎は、大真面目な顔で、しかし黙ったままである。

「次郎様……?」

 吉定が促しても話をしようとしない。口を真一文字に結び、だが怒っているわけではない。顔は紅潮して目は畳の一点を見つめている。

「どこか具合でもよくないので?」

 そう問われても、次郎は「うっ」や、「あっ」などと唸りすぐ口を閉じるだけで、あとはなにも言わない。

 これは、と吉定が思っていると、頭上でユキがにやりと笑った。


「こりゃあ、恋の病だな」

「……だな」

 吉定は腕を組み、天井を仰いだ。


「俺もこの手の話は得意ではないが……はてどうしたものか。それに、相手が誰かもわからぬ」

「相手は姫だよ、若の元奥さん」

 さらっと聞こえた言葉に「え?」と吉定が反応すると、ユキはにやにやしながら頷いている。

「姫を⁇」

 吉定の頓狂な声に、次郎も顔を真っ赤にして上げた。

「な、なんだ。知ってたのか……」

「いえ、ああ、はい……今さっきユキが」

 次郎は激しく動揺した。

「ユキ……ユキはひょっとしてその、全部見ていたってことだろうか……」

「全部じゃねえけどよ、先週、次郎が姫のいる尼寺に行って、求婚断られたとこは見た」

 そのまま吉定が伝えると、ああ、と次郎は頭をかかえる。

「ユキ……お前、そんな覗きみたいな」

「いやさ、散歩してたら、次郎が周りに気付かれないように切羽詰まった顔して馬走らせてるからさあ、何があったのかと付いていっただけだぞ。姫はもう、気持ちいい位すっぱり断ってたけどな」

 そうなんだよ……と次郎はうじうじと話し出す。

「兄嫁様はもとより素晴らしい方……私どもを気遣い、たまにここにも来て下さっていた。それで私も、尼寺へ伺い、幾度となくお話するうちに、女性としてとても惹かれてしまって……」

 次郎には、嫁とりの話が来ているのだろう。それなら姫をと思ったがあえなく玉砕したのだ。

「まだ若のことが?」

「……それもあると思うのだが、還俗してまた世の中の争いを目の当たりにするのは辛いと……そう言われてはどうしようもない」

 だが! と次郎は吉定に詰め寄る。

「私は兄嫁様以外……考えられない……どうしたら……」

 うう、とついに泣き出した次郎に、吉定はどうしていいかわからない。

「まあ、なるようにしかならねーんじゃねえの?」

 ユキはあっさりしている。

「京に根回しって手もあるけど、出家しちまってるし、本人の気持ちがなあ」

「お前……そういうとこはゆきっぽいな。また和尚の本でも読んだのか?」

「望まぬ結婚で駆け落ちして追手にやられる話とかな、あれはなかなか辛い結末だぜ」

 吉定とユキのゆるい会話は、次郎にわからないが、ともかく望みが薄そうな空気は察したらしく、しくしく泣き出した。


「うっとーしいな。それより、戦があるから呼んだんじゃねえのかよ。本題!」

 ユキは呆れている。吉定が次郎に改めて聞くと、やはり戦があるようで、しばらく屋敷にいてほしいとのことだ。吉定は承知し、詳しい話を聞く。自分の屋敷に出入りする者同士でも腹の探りあいがある。分家や同じ守護につく者たちの中で、信じられる者は少ない。

「かといって、俺のことを全面的に信用するのも、人が良いというか」

 吉定はあてがわれた部屋で晩酌をしながら、ユキと喋る。

「人が良いから信用してんじゃねえよ。ゆきが信頼してるからだろ」

「そこか」

 ぐいっと吉定は酒を飲む。

「……ゆきと、酒を酌み交わしたかったな……」

 急に、涙ぐんだ吉定に、ユキはあほかと軽く蹴りを入れてどこかに行ってしまった。

「年をとると涙もろくて困る……」

 月を眺めながらしみじみ思う吉定であった。



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