ゆきとユキのはなし ⑤
ゆきは煙を掻き分けながら、吉定が笛を置いている場所を思い出していた。
(部屋の……長持……)
蓋を片っ端から開けて、笛を入れてある袋を見つけるとゆきは安堵した。中を見ると、ちゃんと笛と木札の包みが入っている。
そのまま縁側から外に出ようとしたが、煙と熱風で立ち行かない。どうしようかと思案したとき、ゆきは羽織を思い出した。廊下を小走りで駆け、自室に置いてある羽織を手に取る。以前は和尚が保管していたのだが、ゆきの身元がわかった時点で本人の手に返されたのだ。
(今までに二度、自分を守ってくれた……ならば今いちど……)
ゆきは包みを懐に抱えて、羽織を頭から被った。女中がしていたように、袖で口を押さえて無我夢中で駆け出す。
(母上……どうかお守り下さい)
やっとの思いで煙の届かぬ裏山へ逃げこみ、息も絶え絶えに座り込んだゆきの耳に、吉定の声が聴こえてきた。
(吉定さま……)
返事と気配を感じたかげろうが、ゆきの元へ飛んできた。
「……さすが吉定さま……」
次いで、馬の蹄の音と、自分の名前を呼ぶ吉定の声がさらに近く聞こえたが、ゆきはすでに返事ができない。胸は熱風で熱く、息をするのも苦しいのだ。
かろうじて命は消えず、しかし息も絶え絶えというゆきを吉定は抱き起こし、懐の袋を見つけた。
「これか……このために。俺は見たことのない神様より、お前の命の方が余程大事だというのに……」
嗚咽しながらも、吉定は考えを巡らす。だが吉定は天文を読み、式神を操ることはできるが、傷病の治療はできず、反魂ができるほどの術者ではない。
(肝心なときに役に立たなければ、術者なぞ、いても無駄だ……)
そう嘆いているところに、次郎が馬で駆けてきた。女中と加津より事情を聞いたしく表情は切羽詰まっているが、馬から降りると、自分の後ろに乗せていた人をゆっくり降ろした。
一緒に来たのは、みつである。
「ゆきにとって数少ない身内であり、巫女でもある。懇願を受け連れて参った」
「……不吉な予感がしましたゆえ……」
みつはそこで、死にかけているゆきを見ると息を呑んですぐ駆け寄ってきた。吉定はゆきと、袋を示す。
「これを……我が家に伝わる式神を守るために、ゆきは火から逃げ遅れました。申し訳ありません……」
「式神……これが?」
みつは驚き、袋を開ける。
「確かにもののけの気配がする……年経た獣だが、おかしい……何故私の式神の気配がするのだ?」
訝しげにみつは包みから木札を取り出すが、もう一つ、袋に入っている笛を手に取った。
「こっちの笛には、私の術の跡がある。なぜ……」
次郎が言った。
「その笛、私が吉定殿よりお借りしたことがあります。お返しする時に懐紙で拭いました……その時は懐紙が呪符と知りませんでしたがもしや……」
「まじないが移ったか……? それならなぜ、吉定殿は何も術を受けなかったのか……」
首を傾げるみつに、吉定は「ひょっとしたら」と言う。
「……その木札の主は、しばらく眠っておりますが、どうやら活力が足りないらしく、近くにいるもののけや式神を吸収して栄養にしているようです。笛にまじないが移ったあと、同じ袋に入れていたのでそのまじないも食べてしまったのかも知れません……」
「それは……腹を壊したりしないのか?」
次郎が真面目な顔で聞いてくるが、みつは神妙に頷く。
「腹を壊すどころか……少しの式神では足りないというなら、もしや」
みつは吉定と、ゆきを見た。
「……吉定殿、私も反魂は残念ながら使えぬ。だがその守り神とやら、その者の魂の助けがあれば、ひょっとしたらゆきは命拾いするやもしれん」
「それは……どういう……」
「ゆきを、食わせようと思う」
きっぱりしたみつの言葉に、反論したのは次郎であった。
「……食わせるとは⁈ そなた何を申しておる? 孫の命ぞ?」
「次郎様、孫だから言っております。どうかわかってくだされ……」
「いいや、そなたは娘……私たちの母親に次いで孫の命までも軽く考えてるのか?」
黙っているみつの代わりに、口を開いたのは吉定だ。
「次郎様」
吉定の口調は穏やかである。
「ゆきはもうだいぶ、脈が弱くなっています。おそらく体の中がところどころ焼けてしまっているのでしょう……これは私どもには、どうすることも出来ません」
ですが、と吉定は続ける。
「ゆきは羽織の加護を受け、また術者として常人にはない力を持っております。ゆきの命を、うちの守り神に託そうと思っております。いかがですか、みつ殿」
みつは頷いた。
「どう転ぶかはわからんが、このまま手をこまねいていても、ゆきの命はなくなるだけだ。吉定殿が良ければ」
「私より、祖母であるみつ殿のご意向が……」
吉定の言葉にみつは首を横にふる。
「ゆきは、あなたに全幅の信頼を置いている。それに、力を借りるのはそちらの守り神。あなたの選択なら、私も次郎様も、ゆきも異存はない」
次郎もうなずいた。吉定の腕の中で、ゆきはもう虫の息だ。これ以上迷っている暇はない、吉定は意を決した。
「……それではみつ殿、お力添えを頂きたい。我が守り神よ。ゆきの命と肉体を託すゆえ、いまひとたび彼をこの世に留めたまえ……」
吉定はゆきの胸に木札を押し付けた。みつは触媒となりそうな式神を召喚し、憑霊の呪文を唱え始めた。ゆきの顔色はかなり白く、傍目にはすでに息耐えているように見えるが、指先がかすかに動いたところを、吉定は左手で懸命に握りこみ、みつの呪文に声を重ねた。
息絶える寸前、この世のものでなくなるゆきを、木札は……守り神は、うまく捕らえてくれるだろうか。
あたりは既に闇。雨を呼ぶ式神は寺の火を消し、さらに雷雲を呼び寄せている。夜空に稲光が走った。
「ゆき……」
それはゆきを呼んだのか、ユキを呼んだのか。吉定の声に呼応するように、雷鳴がとどろいた。
「きゃあっ!」
いつの間に帰ってきていたのか、加津が悲鳴をあげた。和尚と草太もおり、みな事の行方を見守っている。
雷鳴の余韻も消え、静かになると、雨も止んだ。
「……いない?」
吉定は、手の中に重さを感じないことに気づく。
ゆきの体はある。しかし、ほんの少し、軽いのだ。
「ゆき……?」
動揺し、あたりを見渡す。みつは少し離れたところの木を、緊張した顔で見ている。
「みつ殿?」
吉定が呼び掛けながら近づいていくと、みつは振り向き「あそこに何かが……」と、太い枝をゆっくりと指差す。その上に座っていたのは、浅葱鼠の羽織を着た少年である。
「おう、吉定!」
その声は十四、五の少年らしく高く朗らかであり、吉定には聞きなれたものだった。
「ゆき……?」
顔は確かにゆきだ。大きく、猫のような目と、愛嬌のある鼻。口は口角があがり男子にしてはかわいらしい。ゆき? と問うみつに、姿は見えないようだ。そして確確かにそれはゆきの姿だが、明らかに『ゆき』とは違う点がある。
「……角?」
無造作に束ねられた黒髪、その前髪の間に突起が見えた。額より2本、鬼のような角が生えている。『ゆき』は自分の角を触った。
「ああ、これか。なんか前に吸収した式神のもんなのかなあ……まあ別に邪魔でもないから良いんじゃねえかな」
細かいところは気にしなそうな、おおらかなところもゆきにそっくりである。
「ゆきなのか?」
今度はみつが聞いた。
「ゆきといえばそうだけどよ、今喋ってる俺は、猫のほうのユキだよ、ばあちゃん」
みつはゆきの声も聞こえないらしく、吉定がちょっと躊躇いながらもそのまま伝えた。
「ばっっ……」
ゆきなら言わなそうな物言いに、みつは唖然としている。ユキは周りを見渡して、言った。
「俺は篠目の式神、ユキだ。術でゆきを生き返らせようとしたみたいだけどな……そりゃさすがに難しいぞ。この体の持ち主、ゆきの魂はもういない」




