ゆきとユキのはなし ③
「よく来てくれた!」
相変わらず快活に喋る次郎だが、その顔に吉定は疲れも感じとった。戦が起きると、確実に人は死ぬ。特に馬に乗らぬ歩兵が標的になりやすく、次郎にとっては町でささやかに生きている者たちと重なり、さぞ辛いだろう。
「少しですが剣術を嗜みました。次郎様にいくらかのご恩を返せたらと思いまして」
敵味方としてなら、帝の娘である姫が嫁いだ武家なら問題はないだろう。何かあれば呼ぶ、と言われたので、少し躊躇われたが、吉定は寺にいる旨を伝えた。
「町外れの寺だな……みつが、ゆきを託したという」
「はい……最初は旅芸人のふりをし、騙したようで申し訳ありません。しかし領内なのに少し遠くにいけば、身元を偽ってもわからぬものですな。ゆきはそれこそ、生まれた時からここにいますのに」
そうだな、と次郎はうなずく。
「私も領民のことをほとんどわかっていない、ということを痛感した。こうして吉定殿のように見識の広い方から意見をもらう機会というのはありがたい」
吉定は次郎は謙虚さに感心する。
「次郎様は、上に立つ者の資質を備えてらっしゃいますなあ……ゆきも素直ではありますが、妙なところで達観していて、慈悲に欠けるところがありまして……」
「確かに。なんだろうな、あれは……」
二人はううむ、と考えてしまう。
「それはそうと、寺はかなり大きいのだな」
次郎はてぶりで山を示した。部下に見に行かせたらしい。
「まあ……山を所有してますし、古いらしいですから、建物の装飾などもそれなりですが、和尚は質素な暮らしをしております。私どもは旅人が泊まる宿坊をありがたく借りております」
「いっそ屋敷に住まえば良いのに」
「それは……さすがに……」
次郎は真面目に言っているようだ。周りには分家や、何代も付き合いのある武家もあるが、信頼できる者は多くないのだろう。
それから少しののち、吉定は何度か戦に帯同した。近隣領主との争いは小競り合い程度で、前線にたつことはなく、危うくなれば式神を使役し回避するため本人に怪我もなく命を奪うこともない。だが最近まで町人や農民だったものが武器を手に戦い、命を落とすさまを目の当たりにすると、どうしようもなく心苦しくなった。
「やはりゆきには、このような場所に出てほしくは無いな……」
寺に戻れば加津と草太は安堵し、ゆきは真剣に戦地の話を聞く。反対に町や農地の様子を聞けば、攻めいってきた農兵たちに反撃をしたりと、身近でも少なからず血は流れているようだった。
「そういえば寺に、盗人が入りかけて」
和尚がいたので大事にはならなかったが、大きい建物で天井装飾も立派なのを見た者が、宝飾品や仏具があると思ったのだろう。物騒だが命にはかえられぬので、万一の場合は真っ先に逃げるよう和尚に言われ、一同は神妙にうなずく。
吉定はそれからも次郎に呼ばれ、戦に出たり戦術の本を一緒に読み解いたりしている。一緒に屋敷へ出向くゆきは、それを羨ましそうに見ているが、吉定からは「ゆきの出番はない」と言われたら引っ込まざるを得ない。
「ずるいです!」
悶々としながらもゆきは子供らと剣術の稽古をしたり、読み書きの先生としてすごし、加津はそれを微笑ましく眺める日々であった。
「えい、やあ!」
寺の中庭に、威勢のいい声が響く。子供は飲み込みが早く、ゆきが教える剣術の型も、だいぶ様になってきていた。
「午前中に、おとうがやっと出稼ぎから帰ってきたって、嬉しそうに言ってましたよ」
加津は運んできたお八つの中からひとつ、吉定に渡した。饅頭を頬張りながら吉定も目を細める。
「新年を家族で過ごせるんか。よかったのう」
ほんとに、と相づちをうつ加津に、吉定は真面目な顔を向ける。
「あれから放火や盗人騒ぎは起きとらんな。いっときの鬱憤が晴れたんならいいが……まだ気は抜けん」
「そうですねえ……」
饅頭に気付いた子供たちが、木剣がわりの枝をほうりなげて縁台に駆け寄ってきた。加津は皆を座らせ、饅頭を渡していく。
「こうして無事に年を越えることができるっちゅうんは良いことやのう」
吉定は饅頭をひとくち食べてから、そういった。
加津はそうですねえと答え、茶を差し出す。そのあと吉定たちは町へ行くことにした。
毎年夕刻になると、家のないものたちが年を越す場所を求めて寺の境内にやってくる。少しでも温かいものをと、ささやかに汁物を振る舞うための買い物である。草太と和尚はこの寒空に、葬式のために寺を空けている。ゆきは一人留守番を引き受け、吉定たちを送り出した。
剣術の稽古のあとは、読み書きだ。庭のすみに枝をまとめると、ふと人の気配がした。
誰かいるかとゆきは外を伺ったが、誰もいない。気のせいかとそのまま子供らと縁側から座敷にあがり、本を広げると「あら」と声がした。
「一人? 大きな人は?」
庭先に立つ声の主は、屋敷の女中である。年末の忙しい中であるが、二の方が飾り物が欲しいというので出てきたらしい。
「お店なんて閉まってるけどね。みつさんもそれわかってて外に出してくれたのよ。もう少ししたら人が大勢集まって夜通し宴会になるから、ちょっとでも息抜きできてありがたいわ」
相変わらず聞いてもいないことを喋り始める女中に、ゆきはどう返していいかわからない。子供らは不思議そうな顔で女中を見ているが、当の本人は「このお兄ちゃんのお友達」とだけ言い、子供らもあっさり納得したようで、すぐに読み書きに戻った。
「どうしてここが?」
おそるおそる聞くゆきに、女中はあっさり「用心棒みたいなほうの彼が、外れの寺にいるって言ってたから」と言う。「お使いであちこち行くから、土地勘はあるのよ」と笑い、子供らを見回した。
「懐かしいわ。私もこうして習ったことあるよ」
「お寺で?」
「ううん、伯父さんの家で。あ、親は火事で死んじゃって、弟と一緒に、お店やってた親戚の家で育ったの。読み書きができたから、口利きでそのまま屋敷で働くようになったんだ」
「へえ……」
明るく、物事を深く考えなそうな女中だが、意外と苦労をしているようで、ゆきはまた曖昧な相づちしかできない。女中は構わず座敷にあがり、隅にある琵琶を触りはじめた。
「そうそう、こういうのが出来たら、女中じゃなく興入れできたかもしれないんだけどね、そこは伯父さんも残念がってたわあ」
べべん、と琵琶の音が鳴ると、かげろうが飛んできた。まるで「触るな」と言わんばかりにくるくると旋回するが、女中には見えない。
戸惑っているゆきだが、女中はそのうちに子供らの近くで一緒に本を読み始めた。子供あしらいは上手いらしく、また同じような町の出身で馬が合うのか、子供らもすぐ懐いていく。
「たまには、こういうのも良いわねえ」
吉定やゆきと旅芸人として共にまわりたい、と言ったときは、働くのに嫌気がさしたただの思いつきかと吉定はあしらったが、女中は人と一緒に過ごすのが好きなたちらしい。ゆきは、自分と同じく家族を求めてのことかもしれないと考え、女中を無下に帰すことをやめ、しばらく居させることにした。半刻ほど経ったろうか。子供の一人が帰る、と言い出し、それに続いてみな支度を始めた。女中も立ち上がる。
「あまり遅くなると、古くからいる人に睨まれちゃうからね……じゃあ」
ゆきが「良いお年を」と声をかけると、にこりと笑って帰っていく。
その年越しは和尚、ゆき、吉定のほかに加津と草太も加わったためたいそう賑やかだった。




