ゆきとユキのはなし①
若を見送ってからはや数ヶ月、寺の木々は、赤や黄色に色付いてきた。
「もう、手がかじかみますねえ」
まだ薄暗い早朝に庭の掃き掃除をしながら和尚が笑う。ゆきは廊下を四つばいで勢いよく拭いているが、こちらも素手に素足。
「元気ですなあ」
吉定は縁側に座り、起きがけのぼさぼさ頭を掻いた。姫は出家し、尼寺に身を寄せている。だが世の中はさらに落ち着かず、関東の様子を京へ知らせるために、吉定たちは今しばらくの滞在を命じられた。
「いっそ、加津さんたちをこちらへお呼びになったらいかがですか」
「和尚もそう仰りますか……」
「草太さんなんて、もう立派な男子でしょう」
同い年のゆきを見る和尚に、吉定も同意する。
「しかし三年離れると、いざ会ったときにわかるかどうか……顔つきも変わっていそうで」
「そうですねえ、でも自分の子供ですから、おそらくわかると思いますよ」
乳児のころ生き別れた兄弟のゆきと次郎も、互いの繋がりを感じられたのを考えると、わからないのはかえっておかしい、ともおもえる。
「最近はやりとりされてないんですか? かげろうに頼むとか」
「ああ、かげろうからは特に……」
吉定はかげろうを呼んだ。するとかげろうは、ふるふると羽をゆする。
「違いますよー! 吉定さまからお手紙書いたり、しないんですか?」
たたたっ、と廊下を軽やかに雑巾がけしながら、ゆきが楽しそうに言った。
「以前買った髪飾りも、まだお手元にあるじゃないですか! きっとお喜びになりますよ」
「ああ……まあ、それはいつか戻ったときに……」
「きちんと感謝のお気持ちを常日頃お伝えしないと!」
ごにょ、と口ごもる吉定の肩を和尚は同情するように軽く叩き、そのまま入り口の掃き掃除をするため去っていった。
「吉定さまは、ほんとに加津さんに頭があがらないんですね」
ゆきは拭き掃除を終えて、雑巾をたらいでゆすいでいる。冷たい水も苦ではないらしく、また思いの外肌が丈夫なのか、ゆきは毎年寒い時期でもあかぎれなどなく、水仕事もなんなくこなす。
「加津も手荒れなどしないんだよなあ……手も小さいんだが、野菜も米も軽々担ぐし」
「それは力の使い方がお上手なんですよ」
「そんなもんかのう。俺はそのへんのもののけより、加津のほうがよほど得体が知れんと思っとる」
大真面目に言う吉定に、ゆきは『怒られますよ』など言いながらも笑いをこらえている。そんなことを話しているうちに、日が少しのぼってきた。眩しい、と吉定は目を細める。
「父上、ちょっと……人相が良うないです、それは」
突然、聞いたことのない若い男の声がした。
「そうですよ、ただでさえ厳ついのに」
こちらは聞き慣れた高い声。庭を見ると、逆光の向こうに、大小ふたつの影が見えた。
「加津……と、草太か?」
大きい影は、三年ぶりに見た息子の姿である。吉定には届かないが、細身で、ゆきより頭半分ほど背は高い。丸顔で温厚そうな笑顔を浮かべる様は、いかにも好青年である。
息子の成長に感心している父親を見て、草太は苦笑いをした。
「父上、相変わらず背中が丸まってます」
「いやはや……大きゅうなったなあ」
ゆきは、親子のやりとりを見て、うずうずしており、それに気づいた加津が、ゆきにおっとりと笑いかけた。
「ゆき……さんね。随分きれいな子やね、こんにちは」
「こんにちは! わぁ……」
目を輝かせてるゆきを見て、加津は、どうしたの? と可笑しそうに聞く。ゆきは笑顔だ。
「だって……吉定さまから聞くお姿通りと思って」
「聞いた姿?」
はい、と無邪気に答えたあと、ゆきと目があったのは、眉間に皺を思い切り寄せた、吉定と草太だ。あっ、とゆきも口を押さえた。
「あんた……」
加津が、低い声で吉定に声をかける。
「またどうせ、怪力だとか怖いとか、厳しくて草太をよく泣かすとか言ってたんやろ?」
くつくつ、といつの間にかいる和尚が笑う。
「ほんとに、小柄なのに器が大きく、とても頼りになると常々仰ってますよ」
「和尚ぅぅ……」
吉定が心底ほっとしたような声を出したので、草太は慌ててその脇腹をつつく。ゆきはばつが悪そうだが、それをみて加津も苦笑した。もともと丸顔で若く見え、ともすれば幼く見えそうな容姿だが、目がなくなるくらい笑顔になると口角が大きくあがり、快活で気っ風のよい性格が伺える。こほん、と吉定は咳払いをして加津に向き直った。
「それで……突然来たのはなんでや」
「あらぁ、突然やないですよ。飛脚を頼みましたもの」
「飛脚?」
困惑した夫の顔をみた加津に、和尚は言う。
「なんも届いていませんねえ。最近山道も物騒なので、ひょっとしたらもう届かないかもしれません」
あらあ、と加津は目を丸くした。
「せっかく遣いを出したのに、なんや驚かす格好になってしまったいうことですか」
「それにしても……いつ発ったんや」
草太は、半月ほどまえの日にちを口にした。吉定は、頭の中で日数と距離を計算する。自宅のある京から関東の外れの此処までは、百二十里以上はある。一日八里として、おおよそ十五日きっかり、女性のわりには、早い。
「さすがやのう……」
「ほらそこ、また女房つかまえて化けもん扱いしよる気ですか」
「いや、そんなつもりは……」
ぽんぽんと返ってくる加津の言葉に、吉定はため息をついた。
聞けば、京での仕事は一段落し、さてどうするかと夜空を見たらば、父のいる方へ星が流れたという。
「それで……なんやいま行けるときに行かんと、と思い立ちまして、それを母上に言うたら、自分も行く、と」
草太は母をちらと見、吉定はなるほどと妻を見る。加津には不思議なものを見る力は全くないが、勘は鋭いのだ。
「それならしばらく、ここで過ごしたら宜しいでしょう。幸い部屋なら空いております。なんなら数年いていただいても構いません」
すでに三年、吉定が居候している寺としては、さらに数年でもたいした代わりはないのだろうが、草太は深々と頭をさげ、きっちりと返事をした。
「願然さま、かたじけのうございます。いつまでかはさだかでないのですが、お言葉に甘えさせていただきます」
「ん? 京の仕事は?」
吉定は首を傾げた。
「ええ……空の様子を見るに、しばらく父上の元にいたほうが良い気がしまして……」
内容が曖昧なのは、託宣がはっきり読み取れないからだろう。吉定は「なんや俺のことが不安なのか」と冗談まじりに言うが、草太も「吉事か凶事かそれすらわからない」と言う。
「ご安心ください。佐々木様に留守はお願いしてきました」
「うお、あの狸親父にか。まあ仕方あらへんなあ……」
佐々木というのは陰陽師仲間であると吉定から聞いたゆきは、へえ、と驚いている。
「思ったより陰陽師って、あちこちにいらっしゃるんですね」
「大っぴらに知られると不都合しかないから、言わんけどな」
不都合? とゆきは不思議そうに言ったが、すぐ笑顔になった。
「では、草太さんたちはしばらくこちらにいるんですね」
傍目でも嬉しそうというのがわかるゆきの様子に、吉定は笑った。
「初めておうたのに、なんやえらい懐いとるの」
「だって……」
ずっと話を聞いていたので、と恥ずかしそうに言うゆきに、草太も照れ臭そうに返す。
「それは……こちらも同じで。面倒くさがりの父が弟子を取ったというから、どんな人かとずぅっと思ってました。あ、姿かたちは、かげろうが教えてくれていましたけど」
草太とゆきは、少し黙ったあとどちらともなく笑いだした。初対面と思えぬほど打ち解けた二人を、和尚はあたたかい目で見る。
「遠くで暮らす親類か従兄弟のように思っていたのでしょうな」
「そんなもんなんですかねえ……まあ仲良いにこしたことは無いけども……」
そうして、草太と加津は、寺に居候することとなった。ただ遊んで暮らすというわけにいかず、草太は吉定と一緒に陰陽師の仕事をこちらでも請け負ったり、ゆきとともに屋敷の離れで、次郎のもと剣術を学び日々を過ごす。
「本当に、私のもとで働いてほしいのだが、なあ」
次郎はゆきに、以前よりも懇願するよう言うことが増えた。心身ともに逞しいとはいえ、まだ若い。ゆきは兄の頼みを聞きたいが、陰陽師としてもまだ修行したいと断っている。
だが吉定には草太という息子がおり、ゆきが跡を継ぐわけではない。
「お前は武家の子ゆえ、好きにしたらいい」
吉定はそう言うが、ゆきの気持ちの整理がつかないらしく、周囲ももどかしい思いで過ごす日々が続いた。




