ゆきのはなし⑧
じりじりとした日差しの中、往来には向日葵が咲いている。
この頃、ゆきは姫に請われて琵琶を教え、代わりに琴を教わっている。
「琴は女性が弾くことが多いですが、雅楽では男性の奏者もいます。ゆき殿は指が細く力強いので良い音が出るでしょう」
たしかに姫が弾くよりぴんとした音が出るのと、弦を押さえるときに揺らがない。
「女性の格好で琴を引いてたら、嫁にもらいたいと貴族や武士からお声がかかりそうだな」
吉定は感心しているが、ゆきは本気で嫌そうだ。化粧も最初のころだけで、すでに格好も男物だ。姫はやりとりを見て笑っている。
「そう言えば、若様と次郎様はなかなか屋敷においでにならないですな。次郎様に、芸を披露するよう言われたのですが」
ええ、と姫は申し訳なさそうにうなずく。
「一度出掛けると長く屋敷を空けることが多くて……本来は地方武士の出番はそれほどないのですけど。なにか巻き込まれて何かないか心配です」
「そうですな……」
姫は、二の方が若と自分の命を狙っているというのを知らない。女中も知っている噂だが、よほど姫の耳に入らないよう周りが気にしているのだろうか。
あれから、時折女中は町へ出たついでに宿や飯屋に訪ねてくるので、それとなく屋敷内の様子を聞いてみるが、やれ良い男がいないやら、愚痴が多く肝心なことは聞けない。
「大名さまと、鷹狩りですって。お偉方は良い趣味があるわねえ」
飯屋にいる吉定たちを見つけ、店内に入ってきた女中は、当たり前のように吉定たちの隣に座り、勢いよく喋り始めた。
なるほど、大勢引き連れてしばらく屋敷を空けているため、女中も暇らしい。もともとそれほど仕事熱心ではないのでちょうど良いのだろう、と吉定は思う。
「そう言えば若様の体調はどうか、ご存じか」
吉定の問いに「良くはないみたい」と女中は答える。
「誰か呪ってるなら……私は全然そういうのわからないけどさ。お部屋かどこかに、なにか仕掛けがあるんじゃないの? でも屋敷に残ってる姫は元気になっていて、反対に、たまに帰ってくる若様は顔色も悪いしさ。次郎様は健康そのもので、若様の心配してるけど、実はご自身が仕掛けてるのにねえ?」
兄弟仲もよく、次郎本人が関わっていないとするならば、兄の心配をするのは当然だろう。演技でなければ、の話だが。
「それにしても、それだけ屋敷内で噂になってるのに、いまだ姫……若奥様の耳には入ってないのか」
吉定は常々気になっていることを女中に聞く。
「そうさね……私に教えてくれた人は、くれぐれも他の人の耳に入らないよう、と言ってたから、私は屋敷でこの話はしないようにしてるけど。ああ、他所の人に話したのもあんたらだけよ。ほら、外に連れていってほしくて、つい」
つい、はともかく、屋敷内でむやみに広まっているわけではないようだ。そして女中は、意外に約束は守るたちらしい。
ここで女中は、ちょっと間をおいて首を傾げた。
「あれえ……そう言えば……」
「なんだ?」
吉定は女中に聞いた。
「いやね、私に教えてきたのって、誰だっけと思って……」
「誰? 仕事の仲間ではないのか?」
「ううん、いやだなあ、顔が思い出せない。ええと……」
女中はしかめ面をして、一生懸命考えている。
この女が下手な嘘は付けないのは、吉定もわかっているので、余計な思い込みをさせないよう、慎重に聞く。
「……名前は」
「名前……名前は……あれ?」
どうやら本当にわからないらしい。
やだなあ、などと言う女中に「疲れてるので早く帰ったほうが」と吉定は促し早々に帰らせた。残った二人は通りの喧騒が聞こえるなか、小声で話す。
「吉定さま……これは」
「ああ、何者か……相手の術士がまじないをかけたのだろう。しかし、呪術を隠すためのまじないならともかく、わざわざ呪ってるなどと噂をたてさせるとは……」
「もしや二の方様と次郎様を罰したいのでは。でもそれで若様の体調を脅かすってのも、本当に何かあったら大変ですし……」
「そもそも、お家騒動というのはよろしくない。内部で違和感なく処理するのが適当であり、だからこそ病気に見せかけてるのだと思っていたが」
二人は唸った。
「ともかく……いま俺たちにできることは、姫の身を守ることだ。幸い姫の状態は回復している」
「でも、若様は芳しくないんでしょう?」
体調が優れないとはいえ、命令ならばと病をおして当主の供をしているのだが、それこそ外出先で何かあったらどうするのだろうか、と吉定は思う。だが吉定はあくまで姫の護衛であり、若の行動にどうこう助言できる立場ではない。
暑い日が続く中、吉定たちがまた姫のもとへ行くと、姫は嬉しそうにしていた。若がやっと帰ってくるのだという。
「少しですが琵琶の音をお聞かせしたいと思ってます」
真剣に琵琶の練習をする姫の姿は微笑ましく、吉定は、そういえば姫も次郎やゆき、草太とほぼ変わらないのだと思い出した。
しかしその後数日がたち、吉定たちが屋敷に行くと「しばらく来ないように」と門番に帰されてしまった。かげろうから様子を聞くと、鷹狩りから帰った若様が大分弱っており、とうとう床に伏したという。姫の憔悴ぶりもかなりのもので、せっかく良くなったのに看病疲れもありこちらも体調を崩したようだ。
「呪術のせいでしょうか……」
帰り道、心配そうな顔をするゆきに、吉定もううむ、と首を傾げながら答える。
「そう考えるのは妥当だろうが……一度若の様子を見たいものだのう……」
そう言いながら再度屋敷のほうを見る。
「かげろうよ」
吉定が袂から紙を出し、すっと撫でると、そこから大人の親指ほどの羽をもつ虫が現れた。
「ちょっと中へ行ってきてくれんか」
以前、遣いにやった別のかげろうが返り討ちにあっているので、ひとまず遠巻きに探ってくるよう言いつけ、飛ばす。かげろうが門の向こうへ消えるのを見て、吉定はゆきと宿へ戻ることにした。
羽が半分なくなったかげろうがほうほうの体で帰ってきたのは、その晩である。
「誰が……二の方様側の陰陽師か」
吉定は式神を労りながらも事態を探ろうと声をかけた。すると瀕死ながらもかげろうは飛び、よろよろとゆきの手に止まる。
「……あ」
ゆきが何か気付いたように目を見開いたのと、かげろうが最後の力をふりしぼり羽ばたいたあと、消滅したのはほぼ同時である。
「ゆき?」
吉定には、一連のかげろうの動きと、ゆきの反応の意味がわからないが、ゆきは渋い顔をしている。
「ひょっとしたら、次郎様では。私と同じ血ならば、もしかしたらあやかしを見る力もあるのかもしれない」
「……ああ」
姫が若の近くにいるのは違いないだろうが、次郎もまた、兄を心配し同席している可能性がある。そこへかげろうが飛んできたので、すわ怪しいやつ、と握りつぶした可能性がある、いや、そうだろう。
「そうか……次郎様も同じ力を……ならば陰陽師はやはり、次郎様を介して若様に呪いをかけていた可能性があるな」
「あやかしを見る力があるなら、気づかないんですか?」
「自分に向けられたものでなければ、案外気付かないものよ。そして式神を憑けられていても乗っ取られない強さがあるのだ」
さて、と吉定は荷物を探る。
「やはり次郎様と話さねばならんのう……」
木札の包みを撫でながら、吉定は苦笑した。
「いざとなったら、お願いしますよ、守り神様」
翌朝、二人は屋敷の門の前に立った。
「次郎様にお目通り願いたい。以前、屋敷にて芸を見せるよう直々に仰られたのだ。話を通してほしい」
およそ一介の旅芸人とは思えぬ貫禄を出して吉定が言うと、勢いに負けた門番は中へ入っていき、少し経ち戻ってくるとそのまま吉定たちを中へ入れた。奥へ案内され、言われるがまま入った部屋には、次郎が座っている。
やや疲れているようにも見えるが、それでも生気に満ち溢れている。
「よく来たな」
二人はうやうやしく礼をし、中へ入った。部屋の後ろには従者と女中が控えている。吉定とゆきは、次郎に向き合い、被り物を取った。次郎が少し間をおいて話す。
「ここ数日、屋敷内が少し騒がしくてな、どうやらあやしいものも入り込んでいる……しかしそなたらの芸を見たら、皆見惚れて毒気も抜かれてしまうだろうと兄上が言っていた。さあ、存分に頼むぞ」
喋りは快活、それでいて親しみやすい笑みも浮かべながら、次郎が二人を促すと、では、と吉定が笛を吹き、次いでゆきが琵琶を弾いた。
静かに、明瞭に調べを歌うゆきの声はよく響く。儚い戦記ものは次郎の胸にも感慨を与えたのか、唇を強く噛むのが見え、吉定は次郎が無骨なだけではなく、繊細なところもあるのだなと心の中で意外と感じた。
だがこの男子がゆきの兄弟かと思うと、それも納得である。そうしているうち、一曲が終わった。
次郎はとても力強く拍手をし、高揚している。
「ああ、良いな。母上にもお聞かせしたい」
次郎がそう言った。そう言えば次郎が幼い頃には町へ親子で出掛けていた、と町人から聞いたのを吉定は思い出し、二の方と一緒に大道芸を見たこともあったのだろうか、などと考えていると、次郎が唐突にゆきへ話しかけた。
「ところでそなた、母の親類ではないか?」
吉定は『きたか』と思った。ゆきに今日化粧をさせたのもそのためだ。吉定たちは二の方の顔を知らないが、姫の言うとおりならば次郎もまた、母親とゆきが似ていることに気付くだろう。
「……そう……お思いですか。残念ながら私どもは二の方様にお会いしたことはございません」
ゆきが、落ち着いて聞く。
「そうか。しかし似ているな。そなたは女のように綺麗な顔立ちだが、往来で見たときも母に似ていると思ったのだが……」
「もったいないお言葉。しかし他人のそら似だとしても、それゆえ次郎様よりお招きいただいたのであれば、二の方様へも感謝してもしきれません」
「うむ。母は若くして嫁いできたので世の楽しみをあまり知らぬ。旅をしているなら方々の話も知っておろう、今度は母に歌を聞かせてやってくれ」
はい、と吉定は頭をさげた。
「それにしてもそなたの笛も、なかなかなものだのう。笛も立派なものだ。もとは楽師ではないか?」
「……以前は奉納でよく吹いておりました」
そうか、と次郎は頷き、見せてほしい、と手を出す。
「ああ……しばしお待ちください」
吉定が笛をぬぐい、次郎へ渡した。次郎は受けとるやいなや、唇をあててふぅっと吹くが、火吹き筒のような気の抜けた音しかしない。何度か挑戦したがやはり音色は出ず、顔を真っ赤にしながら吹く次郎を、周りのものは微笑ましく見ていた。
「なかなか難しいな」
次郎は懐紙を出して丁寧に笛を拭い、吉定へ返す。
「ところで……」
笛をしまい、間をうかがっていた吉定が、ゆっくりと次郎に話しかける。
「若様のご様子が宜しくないと伺ったのですが……」
「ああ、兄はあいにく表に顔を出せる状態ではない。客人にまでご心配をおかけして申し訳ないな」
自分らのことを『客人』という次郎に、吉定は性格のよさを感じた。次期当主とは一度しか会っておらず勿論人柄も申し分ないようだが、次郎のほうが、無自覚に人を惹き付ける魅力を備えている。
次郎は果たして、呪術のことをどこまで知っているのだろうか。
「そのことですが」
吉定は慎重に話し出した。
「原因のわからぬ病の場合、ひょっとすると誰かが良からぬ術を使っているからかもしれません」
「術?」
次郎は突飛な言葉を聞いて呆気に取られたような表情になった。素直な反応を見て、吉定は続ける。
「私どもは明日をも知れぬ芸人の身ゆえ、旅の途中で宿を借りた寺社に、歌を奉納することもあります。そうした中で、呪術について知ることも多く……」
半分ほど本当である。ゆきはなるほど、というように小さく頷いているが、次郎には相槌に見えているようだ。吉定が次郎のまわりの従者や女中を見ていると、みな腰を浮かせたり目を伏せたり、落ち着かない。だが互いに目を合わせないのを見ると、術者が個別に噂を広めているというのも本当だろう。
吉定は軽く咳払いをした。
「若様も、まだお若いのにお気の毒であること。次郎様は若様とよく一緒におられ、仲がとても良いと伺いましたが、術者らしい人物がいるのを見かけたりはしませんか」
ううむ、と次郎は真面目に考え、数秒のち『ない』と答えた。
「……では」
吉定は質問を変えた。
「どのようなときに……たとえば鷹狩りで馬に乗る際など、若様が苦しそうになる時に心当たりはないでしょうか」
「うむ……」
次郎はまたしばし考え、多少自信がなさそうに返事をした。
「馬に乗るときはむしろお元気であらせられる。だが私と話している時に、時折表情が険しくなる。会話の途中で妙に興奮し、噎せることも多い。鷹狩りが終わり、帰り道で並走しているときに話をしていたら、突然吐血したのだ」
「吐血……」
ではやはり次郎になにか仕掛けられているのでは、と吉定はゆきに目配せし、さてどう切り出すかと考えていると、がらりと障子が開いた。
日はもうかなり高く、熱風が部屋に流れてきた。人影は細く子供のようだが、大人の女性である。
「母上」
嬉しそうな次郎の呼び掛けにゆったりと顔を向けたのは、二の方である。後ろには五十代とおぼしき大柄な女が一人、こちらは奥女中だろう。明るい廊下より部屋の中を見回した二の方はまだ目が慣れないのか、かろうじて息子の姿をとらえると、静かに名前を呼んだ。
「次郎、芸人たちを招いていると聞きましたが?」
声は若く、口調こそ丁寧だが、やや舌足らずだ。ゆきがその顔を凝視しているのは吉定もわかり、不躾にならない程度に素早く観察した。
大きな、猫のような目、鼻は愛らしく、唇はふくよかで口角があがっている。年齢よりあどけなさが残っており、さらには姫より小柄なため、まだ十代にも見える。なるほど確かに似ている、と吉定は思った。薄化粧をして少しおとなびた風貌になるゆきと、年より若い二の方は、姉妹と言ってもいいほどだ。
目が慣れてきたのか、二の方がゆっくりと吉定とゆきを見た。
どうだ、と吉定が息をのんで反応を伺っていると、二の方は目玉が飛び出そうなほど驚いた顔をした。
(やはり……)
親子なのか。吉定がそう思ったとき、二の方が突然、よろよろとゆきに駆け寄ろうとした。奥女中はぽかんと口を開けて立ったままだ。
二の方を止める者はおらず、本人はおぼつかない足取りで一直線にゆきへ向かう。
「……母上?」
さすが次郎は咄嗟に動き、足がもつれ倒れそうになった母親を抱き止めた。ゆきも素早く立ち上がりそのまま後退ったため、双方に怪我はない。
「二の方様?」
「どうされました?」
周りのものは動揺しているが、それ以上に二の方がまるで何かに憑かれたかのように落ち着かない。
「あっ……あっ……」
かろうじて聞こえる声は、赤子の喃語のようだ。手を伸ばし、ひたすらに空を裂いている。
「母上!」
次郎が二の方を胸に抱きこみ、身動きが取れないようにすると、二の方はそのまま気を失った。




