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うつしみひとよ  作者: ロジーヌ
ゆき編(2)
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ゆきのはなし③

 吉定は、寝起きが悪い。しかしなぜか、梅雨どきは自然と目が覚めるのだ。この日も夜が明ける前に起きてしまい、うつぶせのまま布団から上半身を出した状態で、吉定は障子に手を伸ばした。その袖口から飛び出した小さなかげろうのような式神が、障子の枠に添って飛ぶ。すると障子は音もなく動いた。


 縁側の先、しとしとと雨の降る庭を見ながら、吉定は妻子を想う。

「加津は……元気やろか」

 かげろうが、頷くように羽を下げたので、吉定は苦笑した。

「まあ、お前らは飛脚より早く帰れるからなあ。しばらく会うてないから、寂しくて泣いてないやろか」

 するとかげろうは、吉定の鼻先を飛びながらすうっと淡い光を放つ。光の残像は人の形を作った。幼く見える丸顔に、大きな目を更に見開いているのは、加津だ。

「なんやこれは……怒っとるような……ひょっとしたら草太が母親を困らせてるんか?」

 そう言えば、先日届いた手紙には、草太が家業を継ぎたくない、と駄々をこねて困るというようなことが描いてあった。


 小さい頃からいろいろなものが見えてしまうのは、篠目家に生まれたからには仕方ない。だが体格同様肝の据わった子どもだった吉定とは違い、草太は物心ついたときから心優しい性格で、米粒ほどの虫が腕に止まってもなかなか払うことができず、見方によっては軟弱と言われるほどだった。そもそも篠目家の跡取りは、概して穏やかな気性のものが多い。それは力を悪用しないためやも、と吉定は考えているし、実際にそれで無用な争いに巻き込まれず、家の断絶を逃れてきた部分もある。

 この時代は群雄割拠。陰陽師といえど優しいだけでは生きていけない。草太を心身とも立派に育てようと、農家で生まれ育った加津は、野良仕事は足腰が強くなる、と張り切ったが、農具を持たせたら尻餅をつき、田を歩けば足をとられて転ぶ草太は、父の吉定からみても不安があった。

 それに比べると、ゆきはたくましい。吉定はゆっくり体を起こすと、廊下に出て勝手口のほうへ歩いた。ある部屋の前で立ち止まり静かに障子を開け、すやすやと寝ているゆきを見た。


 吉定は、客人だからとの気遣いで、質素ながらもかいまき布団を使わせて貰っているが、ゆきは寝ござだ。いまは寒い季節ではないが、寝る環境を問わないだけでも、生きていける確率がぐんと高くなる。

 それだけではなく、寺に読み書きを習いにくる子どもたち相手にも、すでに先生として教える側であり、上に立つものとしての資質と親しみ両方を持ち合わせるゆきの姿は、農家や商人の出自とはまるで違う。

 故郷でもたまに接する、戦乱の世をたくましく渡り歩く大名や武士の面々を思い浮かべながら、ふう、と吉定はため息をついた。そっと障子を閉めると首を横にふり、ゆきがいる部屋から離れるように廊下を歩く。


「いかんいかん……俺には仕事があるのだ。どれ、姫の様子は……ん?」

 かげろうが、吉定の鼻先で激しく羽ばたいている。ふわふわとした姿に合わないくらい、切羽詰まったその様子を見て、吉定は慌てて庭に飛び出た。すぅっと力無く足もとに落ちてきたのは、鳥の羽である。しかも、傷だらけだ。


「これは……使いに遣っていた……」

 吉定は、拾い上げた羽が青白い炎を放ったのですぐに手を放す。羽はその場で消滅した。自ら使役する式神が発する炎を、陰陽師が熱いと感じるのことはない。だが明らかに他者のまじないがかけられたそれの残骸を見て、吉定は舌打ちした。

「姫の命を狙う者か」

 姫は帝つきの女官が生んだ子だ。けれども女官は側室に引き立てられる間もなく、産後のひだちが悪く亡くなった。帝は女官の忘れ形見を慈しんだが、姫は政治的な思惑と帝の側近たちの利害により、表向きは貴族の子として育てられた。そして三年前に十二歳で関東の武家へ嫁いできたが、五歳年上の相手は美男子で、性格も良い。侍女の便りからも、若い夫婦は仲睦まじく暮らしているのがよくわかった。

 だが次期当主が貴族と繋がりを持つことをおもしろく思わない輩が、若夫婦にまじないをかけているらしい、と姫の侍女から聞いた帝は、吉定に姫たちを守るよう命じた。あからさまに命を狙わず病気に見せかけ弱らせるのはよくあることだ。現当主には、跡取りの他に側室が産んだ十五歳の男子がおり、おそらくこの側室も一連のことに関わっているのだろう。

「権力というものは、民を幸せにするために使うのが本来だろうに」

 吉定は自分の式神が消滅した場所に向け、手を合わせる。すると、背後から静かに声がした。

「吉定さま」

 ゆきだ。さすがに目を覚ましたらしいが、眠そうなそぶりはなく、きりっとした表情をし背筋も伸びている。

「起こしたか。すまんなぁ」

 いえ、と微笑しながらゆきは言う。その顔は先ほど式神が消えたあたりに向けられていたが、眼差しは鋭い。

「吉定さま。姫の身が危ういとなれば、私は何をしたら良いでしょうか。ご指示を仰ぎたく存じます」

「なにを……と言うてもなあ……とりあえずゆきには何もできることはないぞ。そうだ、もう一回寝直したらいい」

「む……」

 ゆきは口を真一文字に結んだ。

「だいたい、俺もすぐどうこうできる訳じゃあない。いまは現状を帝に報告し、姫の身辺にはもっと強い式神を送る。そうして姫に実害が及ぶのを少しだけ遅らせる。せいぜいそれが関の山だ」

 実際、すぐに屋敷に乗り込んでいけるわけではない。侍女が最低限近くで守ってくれるのを祈るしかないだろう。

「陰陽師は、生きている人間に対しては無力だ。暦を読むことが重宝されるのも、それを利用する権力者による。海沿いの合戦では潮の満ち引きが重要で、新月の日は夜襲に都合がいい。俺は、それで人が死ぬのは、本当は嫌だがな……敵でも味方でも」

 それでも、自分が帝という権力者に仕えているから家族は安寧に暮らしていけている。吉定は、自分が恵まれているのもよくわかっていた。

「私は、役に立ちたいんです」

 ゆきの、固く握られた拳は、骨ばっている。色は白いが、男子らしい手だ。

「拾われた恩か? それならなおのこと、救われた命を粗末にするものではないぞ」

「わかっています……でも」

吉定が諭す言葉にも、ゆきは引き下がらない。

「戦国の世に生まれ……なにもできずのうのうと過ごしている自分が不甲斐なく思うのです」

 ああ、と吉定は納得したように呟いた。月の見えない夜の室内だが、ゆきの凛とした表情は不思議と吉定にはっきりと見え、心をざわつかせた。ゆきはきっと、どこか武家の生まれなのだ。


 血筋というものは隠していても、容貌や性格に現れてくる。和尚が考えた通り、やはりなんらかの事情で寺に託されたのだろう。けれども、持って生まれた気性というのは、周囲がどれだけ抑えようとしても自己主張をしてくる。

「これは……一度動いてみないといかんかも知れんなあ……」

 吉定は眉間に皺を寄せたまま、自分の頭を掻いた。ゆきはじっと、吉定を見つめている。

「ゆき」

 吉定は姿勢を正した。

「はい」

 ゆきの声音は、しっかりしている。吉定はその気品ある姿に一瞬気圧されそうになり、苦笑してから優しく話しかけた。

「屋敷へ、行ってみるか。姫の様子がどんなものであるか、式神とともに探ってきてほしい」

「探る……」

「そうだ。しかし闇雲に行っても無駄足になる。ふむ……」

 吉定が周りに視線を巡らすと、かげろうが目に入った。

「ゆき、楽器は弾けるか? 琵琶や琴、笛は」

「楽器ですか? いえまったく……」

「まあそうか。それでは俺が笛を吹こう。かげろうよ、お前はゆきの琵琶の撥となれ。ゆきは弾くまねをすれば良い。あとは和尚の蔵書から知った市井の物語をそれらしく歌えば良いだろう。あとは……」

きょとんとするゆきの顔を、吉定はのぞきこむ。

「念のため顔を垂布で隠しておくか」

 こうして、吉定とゆきは芸事を生業とする親子として、武家屋敷へ向かうことにしたのだった。


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