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うつしみひとよ  作者: ロジーヌ
ゆき編(1)
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ユキのはなし④

 赤子は、高政と名づけられ、あっという間に大きくなっていった。すくすく、のびのび。男児の相手は大変だ、と楓はぼやきながらも幸せそうだ。

 そしてこの高政、やっぱり陰陽師の息子だからか、この世のものじゃないものが見えるらしい。


「あ、あ」

 と、座敷に座った高政が指差した方を見た俺は、正直、驚いて一間ほど飛び退いたんだ。夕刻の薄暗い縁側から庭をみやると、そこには、人なら十歳ほどの背丈か、ひょろっとした白い塊が立っていてさ、ゆっくり手招きをしてる。まだお座りができるくらいの高政は、そっちに行くことはできないが、しきりにその白いやつに、手を伸ばすんだ。

 楓には、そいつが見えないが、訝しがって俺を見る。俺は楓に「にゃー」と返事をすると、深呼吸をして、白いやつの近くに行った。驚いたことに、そいつは俺の尾を撫でるんだ。優しく、何度も。


 その話を伝えると、政成は翌日の仕事を早く切り上げ、白いやつが出る日暮れまで高政と縁側で待った。

 秋の日は短く、あっという間にあたりは暗くなっていく。楓はいつも通り、少し眉間に皺を寄せた表情で後ろに控えている。

 そうしていざ白いやつが現れたとき、俺は政成が退治するかと思って加勢する気満々でいたら、いつぞやの土地神を説得したときみたいにな、政成はゆっくりと話し始めた。


そなたは誰だ。なぜここにいる?


政成の言葉は、白いやつには届いていたようだが、いかんせんそいつは喋らない。

 うむ、と政成もちょっと困った様子で、高政を見た。高政は白いやつに向かって手を伸ばしている。こっちへ来い、というふうに。

「ユキ、どう思う?」

 政成は俺に問うた。正直、俺にもこいつの正体はわからない。

「どうって……まあ、嫌なやつじゃあなさそうだけどよ」

 俺の言葉を聞いた政成は、微笑して高政を抱っこし直すと、白いやつにてのひらを向けた。

「あ」 

 高政の驚いたような声と同時に、白いやつは姿を消したんだ。けれど、退治され消滅したようには思えない。ん? なんでわかるのかって? そりゃあな、そこにはまだ白いやつの気配が残ってたからだよ。ああ、気配だ。まるで庭の樹木をなでる風のような、ともすれば気付かないほどのささやかな気配だけど、俺にとってはなんだか懐かしいものだった。


 それからもしばらく、白いやつは庭に現れた。政成がいるときも、いないときも、高政がいれば必ず現れたんだ。

「まるで子守りをしてるようではないか」

 座敷から庭を眺めながら政成はそう笑うが、俺はちょっと面白くなくて、水の入った皿から顔を上げて、にゃーと反論する。高政は政成のあぐらの中で、昼寝中だ。

「子守りは……俺がいるから足りてるってーの。それより、最近山に住むやつらが騒いでるじゃねえか」

「ああ……そう言えば鳥たちがよく旋回しているな。ユキよ、何か聞いているのか?」

うん、と俺はうなずく。

「山が、なんだか唸ってるってな」

「唸る?」

 俺は、山の兎や鹿たちが、最近地鳴りのためよく眠れないらしいという話をしてやった。土地神が寝返りをうつときの振動とは違う、もっと地中深くから響いてくるようで落ち着かないらしい。

 ふむ、と政成は顎に手をやる。

「それは多分に心配だが……自分も外出が多い。ユキよ、なにか有事の際には、楓と高政を頼むぞ」

 俺は、神妙に頷いた。しかしあの巨大な山が起こす唸り声に、こんな小さな猫の姿で何ができるだろう。若輩のもののけ相手には戦えるが、地に根付いたような古老に勝てる自信はなかった。


 けど、俺は「できない」とは言えない。言ってしまうことは、高政との別れを意味するからだ。そんなことは、俺に到底耐えられない。政成も俺の葛藤を感じたのか優しく尾を撫でてくれ、うつらうつらしているうちに、俺は昼寝をする高政の隣で、そのまま眠りについた。 


 しばらくは、平穏な日々な続いた。冬を越え、春を過ぎ、暑いさなか。俺はいつものように、楓と高政と一緒に散歩へ出掛けた。歩くのが上手になってきた高政は、ほんとうに目が離せない。「あっち、行く」などと言いながら、どんどん進んでいく。そして転ぶ。あらまあ、と言いながら楓が抱き上げると、もっと歩きたいとごねる。その繰り返しだ。そうして高政が進むほうへ、俺と楓はついていった。町を抜け、川を渡り、山へ。

 そう。ここは政成が土地神として祀ったかつての「もののけ」がいる山だ。俺は少しばかり緊張したが、高政はお構い無しだ。

 気づくと、木々の間に隠れるように、やつがいた。白い影だ。どうやら、ずっと高政にだけわかる絶妙な距離を保っていたらしい。高政がなぜか迷いなく山道を進んでいけたのは、やつが先導をしていたからなのだ。

「こりゃあ……何かあるのか?」

 俺は少し緊張したが、楓は高政が楽しそうなのを見て嬉しそうについていっている。葉は夏の日差しを適度に遮ってくれ、歩くのもそれほど苦ではないのだろう。しかしなぜ、白いやつはここに連れてきたのか。

 にゃー、と首を傾げながらも、俺は高政から離れないよう、懸命に歩いた。いつの間にか、兎や栗鼠が伴走するように一緒に山道を駆けている。少し離れたところには、鹿もいる。

「……なんだ?」

 俺は胸騒ぎを覚え、山裾を見下ろした。その瞬間、黒い影が足元を這うように勢いよく迫ってきたんだ。

「こいつはっ‼︎」

 以前、帝を襲おうとしていた悪霊の気配だ。土地神の力でねじ伏せられたはずだが、まだ生きていたらしい。今日、政成は暦を読む仕事で帝のお側に上がっているはずだが、あっちは無事だろうか。そう思い町に目をやると、建物の上部に雨雲のようなものが広がっていき、ところどころで火花が上がっている。どうやら応戦しているようだ。

「それにしても……俺だけでどうにかなるか……?」

 ひぃ! と楓の悲鳴が聞こえた。高政を抱き上げ、大木の影に隠れようとしている楓を狙う悪霊に、俺は飛びかかり爪をたてた。

 単なる猫じゃない、まがりなりにももののけの攻撃に、悪霊は一瞬ひるみ、すぐ反撃してきた。黒い霧のようなからだを、でかい蜘蛛の手足のように伸ばして俺をしめつける。意識がもうろうとしてきた時、目の前に白い影が立ちはだかった。

「お前……?」

 白い影は力強く黒い悪霊に絡みついているが、俺はもうその場から離れる余力もない。


 すると、地面が鳴いた。ずん、と振動が体を伝わり、山肌は波打った。地震だ。かなり大きく、長い揺れ。

「……高政!」

 楓が叫んで、高政を強く抱く。高政は急な揺れに驚き、キョロキョロとあたりを見回した。影は両方ともすでに霧散したかのようにいなくなっている。

 俺は揺れのせいもあり、更に足元がおぼつかなくなったところで、地滑りにより倒れてきた木を視界にとらえた。そして次に目を覚ましたとき、眼前にいたのは件の土地神だった。


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