ユキのはなし③
帝のもとから帰ってきた政成は、夕餉を食べながら深い溜め息をついた。
「なあユキ、どうしたらいい?」
俺の喉を撫でながら猫背であぐらをかく政成は、なんかもう、既に隠居じいさんの哀愁を漂わせている。俺もつい、ごろごろにゃーと反応しちまったが、のんびりしてる余裕もないからな。ちょっと気合い入れるために、シャッと政成の手を叩いてやった。
「……痛いよ、ユキ」
切なさ満載の顔をして更に項垂れた政成を、俺以上に呆れて見ているのは、もちろん楓だ。涼やかなつり目をしゅっと細めている。
「いい加減になさいませ。それでも、当代きっての陰陽師と言われたお方ですか?」
「いやそれは、他の陰陽師の手に負えないもののけ退治がたまたま上手くいっただけでな……」
そういやあ俺も、町にいる他の猫から聞いたことがある。権力争いの渦中にあるもの同士が、互いに呪いをかけるのはよくあることだ。数年前の事件もまあ、大陸の呪術をかじったとかいう雇われ陰陽師が、うっかり手に負えない位のもののけを召還しちまって、そいつが雷や風雨を操るやつだったから、権力者双方どころか市井の民にまで被害が出るほどの惨事になりそうだった。
そこに現れたのが、政成だ。
歪んだ召還によって狂暴になってたもののけに、政成は懇懇と説得を試みた。
「とりあえず、大陸に帰ってはどうか?」
とな。けど、不本意に呼ばれたもののけは「勝手に呼んでおいて何を言うのか」と、怒りをおさめない。悩んだ政成は、その雷雨を増幅させるために自分の式神や懇意にしてる精霊をわんさか追加した。式神たちが起こす巨大な雲に包まれたもののけは、輿にかつがれたみたいにはるか上空に上っていき、市井は災厄から逃れることができた……という話さ。だが、この話には続きがある。
山の頂上付近で、雲の中心だけが晴れたんだ。
雲から舞い降りたもののけを、政成は土地神として祀るよう民に伝えた。思いがけず祀られたもののけは、悪い気はしなかったのか大人しくなり、それどころか日照りが続けば雨を降らすようにまでなったというんだ。まあこれは余談だけど。
「その件以来、政成様は帝からの信頼を得て、お近くで大きな仕事をこなし、名実ともに希代の陰陽師として活躍なさっているではありませんか」
楓の言葉に、俺もうんうんと頷くが、政成はいまいち覇気がない。
「だってなあ……理由はどうあれ、帝に嫌われたらこの仕事をやっていけないというのは、楓だってわかるだろう? 今日も、悪霊が出るかと準備万端で臨んだのが無駄足に終わったが、ひとつ間違えたら、俺が帝を襲うために式神を用意したなどと捉えられたかもしれない」
「だろうな。そこで政成を失脚させて帝の身辺が手薄になったら、無駄に争わなくても傀儡で操ればいいんだからな。大陸のやつらがこの国の権力争いにわざわざ関わる理由は、いまいちわかんねえけど……」
俺が言うと、はあああ、と政成はさらに項垂れた。もうちょっとで汁椀に鼻っ柱を突っ込むんじゃないかというところで、楓がその首ねっこを掴む。
「ええ、ええ。政成様ほどの陰陽師なら、真っ向に戦うよりは虚偽を流したほうが敵も勝算があると読んだのでしょう。それなら」
そこで、楓が、ぽんと膝を……いや、赤子が入った自分の大きな腹を手のひらで軽く打った。
「そうですよ、ユキです。ユキにひと芝居打ってもらえば良いのです。他の式神や精霊と一緒に帝を襲うふりをして、そこに現れた本当の悪霊を退治するのです」
はああ? と政成は頓狂な声をあげた。
「楓? なに? なにを申しておるのだ?」
「ですから、帝にすり寄っている悪いやつらをおびき寄せて一気に退治するんですよ。ほら、ユキの助けを借りれば、そう難しいことではないはず」
「ううーん。でもなあ、ユキにあまり大変なことさせるのも、な?」
同意を求められたけれど、俺はうにゃ、と首を振った。楓も俺と同じく反論する。
「何を仰いますやら。ユキは市井を脅かす化け猫だったのでしょう? 実際、化け狐から政成様をお守りした、とても頼りになる存在です。ね?」
今度は楓から俺に「ね?」と同意を求めてきた。そもそも化けもの退治を提案したのは俺だからな。とりあえず政成の膝に乗り、相づちがわりに尻尾を腕に絡ませる。
「まあ、俺はお前の代わりに被害をこうむろうが、そんなのは今更だ。以前にお前が化け物退治の最中に呆けて、その隙に襲われそうになった時も、一歩間違えたら庇った俺は八つ裂きだった。だが」
うにゃ、と俺は背筋を伸ばす。
「体は一応あれど……俺は長生きしすぎてすでに半妖の存在だ。俺を気にするより、生きてる楓と生まれてくる子供のために働け」
うーん、と政成はゆっくり、俺を撫でた。だが俺がその手を「鬱陶しい!」と払いのけると、政成は観念したように、楓に向かって「……わかりました」と小さく呟いた。
だがその二日後、改めて帝に拝謁して計画を、と考えていた政成が実行に移す前に、なんと帝が本物の悪霊にさらわれそうになっちまった。どうやら、政成を陥れようとしたやつらが呼び寄せた悪霊は、当初帝をさらう「ふり」だけだったのが、帝はさすがというか、良くも悪くもいろいろなものを惹き付ける体質らしい。
帝に接した悪霊は、このまま憑いたら帝の力によって自分らの霊性もあがると思ったんだろう、まるごと飲み込もうとしちまった。
その帝の窮地を救ったのが政成……だったら良かったんだけどな、ここで出て来たのは、大陸出身で、いまは土地神として祀られている元・もののけさ。そう、政成が退治せずに穏便に済ませた案件よ。お人好し……もとい、政成の温和な性格があとから思わず役立ったってわけだ。
俺は、帝を襲う悪霊と対峙している政成を援護していたら、それなりに疲労しちまったんで、くたびれて一度退散した。その時に土地神の使いのものとばったり会って、詳細を聞かれたんだ。
土地神は、自分を退治せずに居心地良い場所まで提供してくれた政成が困っているのを知り、駆けつけてくれた。そして、さすが、もとは大陸のもののけ。それ相応の力に、今度は神格まで加わってるやつに、雑魚が敵うわけがない。帝は無事に救出され、政成はきちんと手柄を評価してもらい、晴れてもとの信頼を取り戻したってわけだ。
まあいきなりとんでもなく裕福になったり、偉くなったわけでもないけどな。楓はちょっと不服そうだったけど、政成は自分が今まで通り陰陽師として帝の近くで仕事ができることが嬉しいらしく、子どもみたいににこにこしてる。楓もそんな様子を見て苦笑いだ。しかし政成は貧乏性というか……真面目だからな、俺に向かって、不安そうに言ったよ。
「……なんかなあ……いいのか? これで」
政成は自分の力で退治したわけじゃないから、手柄を横取りしたみたいだからと、土地神に伺いをたてに行ったんだけどさ、土地神も、その大きさくらいおおらかな口調で「気にするな」と言ってたっけな。確かに、あんまり細かいことを気にしてたら、人間なんてすぐ弱っちまうからな。
政成がやっと堂々と構えるようになった頃、微々たるもんだが給金もあがり、楓も臨月を迎えて無事に可愛い赤子がうまれた。男の子だ。なんていうかさ、とにかく可愛いんだな。俺はもう、暇さえあれば赤子の近くで過ごすようになっていたよ。




