第2話 その2
外回りから直帰した靖成だが、今朝方のことは終日頭から離れなかった。賀奈枝のオーラが何故消えたかも、気になるところである。
「というわけで、教えて下さい、ユキ様」
昭和のアパートで温め直したボルシチを前にして、式神に話し掛ける35歳独身男性。シュールだ。
「嫁姑問題ってやつじゃね?」
ユキは腕を組んで座ったままニヤニヤしているが、靖成は、えー、と反論した。
靖成は帰宅するやいなやスーツを脱ぎ、Tシャツにトランクス姿で胡座をかいて座卓で夕飯を食べながら、時折ユキから、いや、見苦しい、とか、もう少しちゃんと座れ、など注意を受けている。
夜になってもまだ暑い部屋で熱いボルシチの残りスープをすすり、靖成はユキの言葉に心底あきれた顔をしていた。
「嫁も姑も、いなくない?何言っちゃってんのユキちゃんてば」
ボケた?などとボケをかます靖成に、ずいっとユキは顔を近付けた。くりっとした大きいユキの目を見ながら、なんとかボーイコンテストで式神部門なんてあったら、ユキちゃん絶対グランプリだよなあ、などと靖成は考えている。
「そのカナエちゃんだよ。靖成一人っ子だしさあ、結婚したら実家からスープの冷めない場所に近居とか、まして同居なんてことになったらどうしようとか心配してんだよきっと」
随分と昼ドラっぽい発想である。
「ユキちゃん、それ、いつ仕入れた情報?」
「平成10年くらいかなあ」
やっぱり昼ドラだ。しかもホームドラマテイストとみた。
「そもそも同僚として話しただけで結婚まで飛躍するなんて思い込みの激しい女性は苦手だし、それでピンクのオーラが消えたなら俺は別に構わないぞ、ユキちゃん」
ごちそうさま、と手を合わせ、せめてと流しに食器を下げにいく靖成。最近は皿を洗うようになったので大進歩だ。しかし、この程度しか家事をしない男のもとに、嫁にきてくれる女が果たしているのか。
「カナエちゃんじゃなくてもいいんだけどさあ。本当に誰かいないのかよ、靖成」
「そうだな~。ユキちゃんよりボルシチが上手な子なら考えても良い」
適当すぎる靖成の返事に、ユキちゃんは空になった鍋を前にして溜め息を吐く。
「それより、来週末も京都らしいからよろしくねー」
靖成は皿を洗って濡れた手を雑に振って水気を飛ばし、和室にかけてある狩衣を指差した。
「あれ、なんで?仕事?」
「うーん。わかんないけど今日手紙が来てさあ。出先だったから誤魔化すの大変だったよ。全く佐々木さんは空気が読めないんだよなあ…」
靖成は通勤鞄から、「京都→東京、靖成行」と尾翼に筆で書かれた紙飛行機を取り出す。
開くとそこには、今週末の日にちと時間、駅からほど近い、結婚式もできるようなホテルの名前、それから「キレイなスーツで来るように。ユキちゃん宜しくv( ̄ー ̄)v」と書いてある。
「靖成、これさ…」
ユキは、真剣な顔で紙を凝視している。ただ事ではないかと靖成もユキの手元にある紙を覗きこんだが、ユキはそのまま靖成のほうを向いた。
「見合いじゃね?」
「へ?」
普段は縁の無い単語に、靖成はいつも以上の間抜け面になる。見合い?なんで?誰?ユキちゃんが?と子供の質問みたいに矢継ぎ早に言う靖成に「俺が見合いしてどうすんだよ」とユキは一蹴した。
「…見合いか。相手は普通の人なのかな」
「ユキちゃん、俺、平安時代の女よりは現代っぽい顔の方が好みなんだよねえ…」
「ちげーよ。陰陽師関連かどうかってことだよ。さっちゃんみたいに霊感が皆無の人とだいたい結婚してるからさ、皆」
さっちゃんとは、靖成の母の聡子のことである。
「あー…」
なになに、と靖成が再度聞くと、ユキは、スーツかあ、と頭をかかえた。
「今着てるので良いんじゃないの」
「だめ!見た目だいじ!第一印象大事!!」
えー、と面倒くさそうに言う靖成を見もせず、ユキはあー、とかうん?とかひとしきり考えたあと、ぽんと膝を打った。
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ユキが「道」を書いた目的地は、京都の佐々木さんちである。
佐々木さんは事務長のようなポジションで、各地でまとめられた月報をさらにまとめたり、定例会でプチ研修をしたりしている。逆らうとあとが怖い。
その、佐々木さんちで借りた紺の袷の着物に羽織という格好で、靖成は指定されたホテルのロビーにいた。
「薄物か単衣でいいんじゃないの?」
涼しいホテル内とはいえ、着込むと窮屈だ。靖成は思いっきり不機嫌な顔をしているが、やや中年の靖成に濃色の和装はよく似合っている。
「だめ。それに、やっぱり似合うよ、靖成。ヨレたスーツより全然オッケー」
笑顔で軽く親指を立てる式神のユキ、inホテルロビー。もちろん他の人には見えないので、靖成はロビーのソファに座り新聞を広げるふりをして、背後に浮遊するユキと小声で会話している。
「しかし…賑やかだねえ」
今日はまさに、このホテルで披露宴があるらしい。ホテル内部のチャペルから披露宴会場へ移動する参列者は、一様に着飾り華やかだ。
靖成も友人の結婚式へは呼ばれたことがあるが、すでに5年ほど前に呼ばれるピークは過ぎている。あまり興味ないまでも何となく眺めていると、ユキが誰かに気づいた。
「あれ、カナエちゃん?」
カナエ?と靖成が言われた方を見ると、橋口賀奈枝がいた。どうやらこの参列者の一人らしい。
「橋口さん。あれ、なんで?」
靖成はユキに対して話しかけたのだが、自分の名字を聞き慣れた声で呼ばれた賀奈枝は、ソファに座っている和装の靖成を見つけ、わ、と小さく声をあげた。
わっ、と思わず靖成も心の中で叫ぶ。
フォーマルで清楚なピンクのワンピースと、いつもより華やかな化粧をした賀奈枝は、驚いて靖成に向かって歩いてくる。
「へー、綺麗じゃん、な、靖成」
「そうだなー、うん、綺麗…」
ユキの冷やかしに靖成も素直に頷くが、ちょうどそこで賀奈枝が近くまできた。
「篠目さん…なんでこちらに?しかも着物で…」
お似合いですね、と賀奈枝は靖成の頭のてっぺんから足先まで感心したように見てから、可愛くはにかむ。
なんだかベタな出会いシーンのようだ。そして、再び賀奈枝のオーラが恋愛モードになる。
結婚式の二次会で友人同士がくっつく現象を思いだした靖成だが、自分は参列者ではないので同僚モードを保持し、極めて事務的に返事をした。
「いや、ちょっと用事で…。橋口さんは、ご友人の結婚式ですか?」
「はい、大学の友人が関西出身の彼と結婚したので…今日はここに宿泊して明日東京に帰ります。友人も東京なので、ずっと遠距離恋愛だったんですよ」
特に求めていない情報まで賀奈枝から聞きつつ、それはスープが冷める距離だな、と靖成がぼんやり考えていると、今度は違う方から女性の声がした。
靖成!と近所の子供を呼ぶように勢いよく声を掛けてきた女性は、佐々木さんである。いかにも仲人然とした留め袖だ。
隣には、振り袖姿の京美人とその親らしき人物。
あちゃ、とユキは額に手をあてる。案の定、賀奈枝は状況を察したようだ。
あ、やべ。
靖成は、何事も起こらないよう神に十字を、もとい、こっそり賀奈枝の背後のもやっとした影に向かって九字を切った。