第6話 その10
現れた獏は、象の鼻を回し鋭い目であたりを見渡し、体に対して短めの足でのそっと立っている。
ユキも他の式神も見えない岡崎と真理子は、結界内に時折発生する小さな雷に驚きながらも、キョロキョロと落ち着きなくあたりを見回しており、獏はというと、いまだ真理子の念が出てこないため、対象物を探してこちらも頭をあちこちに向けている。
「うーん、やっぱり出てこねえか」
そう言いながら、ユキは真理子の背後に立つ。背中を蹴って物理的に眠らせようと足をあげたとき、真理子の正面に獏が二本足で降り立った。真理子がこの事態に対して抱いた不審や嫌悪か、はたまた負の感情が滲みでたのか、とにかく獏は真理子が抱く意識を食おうと、ゆっくり大口を開けた。
「……あっ……」
しかし、式神が見えないはずの真理子の視線は獏をとらえ、そのまま彼女は足の力が抜けたように、かくんとその場に座りこんだ。
「へ?」
間抜けな声を出したのは、真理子の背後にいたユキだ。前蹴り動作の途中、片足立ちの状態のユキをまるごと飲み込むかのごとく、獏の口が更に大きく、開いた。
「ユキちゃん!!」
靖成が叫ぶ。ユキと靖成の距離は3メートルで、獏はその場から動いていない。袂には護符もあるし何より自分の式神なのだから収めればいい。だが靖成は飛び出した。
「あーっ。……ああ……」
圭介が緊張感のない声を出した。靖成の体は座った真理子の頭上を飛び越え、ユキを抱き込みながら宙で前方に転回し、そのまま背中から拝殿の畳に落ちた。パキッという派手な音を立てて靖成が持っていた木札が割れる。
「うわっ、靖成くん?大丈夫?」
岡崎は真理子を自分の方に引き寄せながら、大の字で寝ている靖成を見た。
「いやあー……岡崎さん、すみません。ちょっと式神が暴れまして」
「式神が、ですか?」
ええ、と圭介は頭を掻く。聡子は目を丸くして拝殿を見回している。
「そういえば獏は?ユキちゃんも……いなくなっちゃったわよ?」
「だよなあ。どうやら夢の中に行っちゃったみたいでなあ」
「夢?」
体勢を整えた真理子は、毒気が抜かれたような顔をして、きょとんとしている。うーん、と圭介は苦笑いをして、ユキがいた場所にひらりと落ちている和紙を拾い上げた。描かれているのは、獏。そして二人の男性。
「まあ、そのうち戻ってくるでしょう。お茶でも頂いて待ちましょうか」
靖成が目を開けると、満面の笑みを浮かべるユキの顔が見えた。伸ばした自分の手は、もみじほどの大きさで、ぷくぷくした乳幼児のものだ。そうか、夢か。靖成はそこでまた目を閉じようとした。
「おい靖成、呑気に寝てんじゃねーよ」
ユキの呆れ声を耳にした靖成が上体を起こして顔を上げると、広い建物の天井が見えた。しかし先ほどまでいた神社のものではない。龍の絵が描かれた天井は、この建物の主の権力を表しているようだ。
「あれ?ここどこ?夢だよね?」
「夢だよ。俺の、な」
「えー?ユキちゃん、夢見るの?」
靖成は思いきり眉間にシワを寄せた。だからその顔はやめろ、とユキは翻した袖で靖成の頭をはたく。
「厳密に言うと俺自身の夢じゃないんだけどな……うん、でも懐かしい」
「それなら、平安時代てこと?」
いや、とユキは笑った。
「人間たちの教科書風に言えば、戦国時代てやつなのかな。俺が靖成の先祖から復活させられた頃だ」
「ああー……」
ユキは平安時代から篠目家に仕える式神で、怨念との戦いにより一度消滅した。しかし、その何代もあとの篠目の当主がユキを復活させたのである。当主は陰陽師としてではなく、戦禍によりまもなく絶命したが、甦ったユキに言い残した。自分より○代あとの子孫の体に宿り必ず復活する、と。ユキが存在していればそのときまた会えるだろう、と。
「俺のこの格好は、その時のものだ」
平安時代の狩衣ではない、羽織の袖をつまんでユキは言う。
「そう言えばそうだったねえ……」
「靖成さ、俺が話すことぜんっぜん聞いてねえだろ?」
「だってユキちゃん、平安時代の勢力争いから何百年分も話すんだもん。たまにはしょるし」
「自分のことってな、説明しにくいんだよ。それに、俺についての細かいことは、巻物に書かれて佐々木さんとこの蔵に保管されてるぜ。圭介やさっちゃんも読んでるし」
「いやまあそれはさ、そもそも陰陽師継ぐつもりなかったから……」
誤魔化す靖成の視界に、赤いものが飛び込んできた。炎だ。
「……火事だ」
「そうそう、火を付けられたんだ」
「ユキちゃん、覚えてるの?」
「まあな」
「ユキちゃんは、死にそうな弟子の体を与えられて式神として復活したんだよね」
ユキは、熱くない幻の炎に手を伸ばす。
「当時の当主は、寺で人に読み書き教えたり、町人として地味に暮らしてたんだけどさ。戦が激しくなると前線に駆り出されてそりゃあもう大変だったらしい。で、命からがら間借りしてたこの建物に逃げてきたんだけど、戻ってきたら火の手があがってて。中に弟子がいる、って半狂乱で飛び込んで」
幾度となく聞いた話に、靖成は頷く。
「救い出したあとな、もう意識がない弟子の体に、依り代を失くして眠っていた俺の魂を入れたんだ。弟子を依り代にして新しく作られた、ってほうが正しいのかもな。だから俺の中にいるその弟子が、当主に会いたがってるってことだ」
ユキは、いつものように快活に笑う。その笑顔は普通の15、6才の少年のものだ。靖成はつい先ほどの会話を思い出した。
「その当主は、弟子に元服させたかったのかなあ……」
「ああ、そんくらいの年か。まあ武士じゃないし習慣はないからな」
さて、とユキは軽く首を回して辺りを見る。
「とりあえずここから出るか。まったくなあ…式神返し喰らったような、自爆したような感じだな。ええと、バクは…ああ、いたいた」
ユキは燃えさかる建物の幻を全く気にせず駆けていき、壁際に座り眠る獏の頭を撫でた。
「おい、獏。起きろ。俺たちを向こうに帰せ」
きゅっ、と獏は顔を上げる。
「よしよし。さあ、行くぞ」
手招きされた靖成がユキの近くに寄ると、なんの前触れもなく獏が大きく口を開け、靖成とユキを飲み込んだ。
「うっ……え?」
靖成は船酔いをしているような感覚に陥り、なすすべもなく身を任せていたが、一瞬体に圧力を感じたあと気付いたら拝殿の床で仰向けに寝ていた。天井を見上げたが、龍の絵はない。
「……おっ、背中……いた、痛い……」
情けなく呻く靖成の上に影が落ちた。ユキだ。
「問題なく帰ってこられたな。一応圭介たち呼んできたぜ」
その言葉が終わるかどうか、というくらいに、母の「あらあら」という呑気な声が聞こえてきた。あぐらをかいて座り直し視線を向けると、岡崎たちのホッとした顔も見えた。そしてちょっと遅れて来た父は、煎餅を食べている。




